シンガーソングライターの蘭華が10月7日、両A面シングル「ねがいうた/愛を耕す人」をリリースした。「ねがいうた」は2015年にリリースされた彼女のメジャーデビュー曲で、恩師や支えてくれた人への感謝を込めた1曲。今回歌を録り直し、今の蘭華を感じることが出来る曲にリイシュー。両A面のもう一曲には、アフガニスタンで凶弾に倒れたペシャワール会現地代表の中村哲さんの活動に感銘を受けた蘭華が、中村哲医師へ捧げる楽曲として制作し、中村さんの月命日である5月4日に配信リリースした「愛を耕す人」、カップリングに6月12日に配信リリースされた「あなたに愛されて」を収録した。インタビューでは、なぜ再び「ねがいうた」をリリースしたのか、その背景を聞くとともに、今の彼女の心境に迫った。【取材=村上順一】
メッセージ、生き様を伝えられる
――メジャーからのリリースおめでとうございます。前回の取材でもCDをリリース出来たら、とお話ししていたので、それが早くも叶いましたね。
ありがとうございます。実はメジャーレーベルが無理だったら、インディーズでリリースしようかとも考えていたんですけど、6月末に徳間ジャパンさんからご連絡をいただきました。「ねがいうた」を改めてリリース出来て嬉しいです。
――両A面シングルなんですね。
はい。収録する曲は「ねがいうた」と「愛を耕す人」は決まっていて、3曲目をどの曲にしようか悩みました。「愛の遺産」を入れようかと考えたり。
――ちなみにレーベルが決まるまでには、どのような流れがあったのでしょうか。
お世話になっている作曲家の先生が推薦してくださったのがきっかけでした。その先生は昔から私のことを応援してくださっていて。ご紹介いただいた徳間ジャパンのディレクターさんも私のことを知ってくださっていて、先生の後押しもあり実現したんですけど、過去の経験から期待せずに待っていた節もありました。ディレクターさんがやりたいと言ってくださっても、レコード会社がOKを出してくれるかどうかはわからないですから...。
――でも、リリース出来ることになって。すごいスピード感ですよね。
そうなんです。デモ音源を持参してディレクターさんに託したのですが、会議で通れば7月22日に決まるとのことでした。
――その日は蘭華さんの5周年記念日ですね。
運命を感じました。今回トントン拍子に進んだのは、ディレクターさんが私のことを知ってくださっていたのが大きかったと思います。あと、社内にも以前出演させていただいた『ザ・ノンフィクション(フジテレビ系)』を観てくださっていた方も多くいらしたみたいなんです。今回、4度目の正直じゃないですけど、またメジャーからリリースさせていただけてすごく嬉しいです。昨年は色々あって全然曲が書けなかったので、「愛を耕す人」ができるまでは音源を出そうという気持ちはなかったんです。不安もあって前向きになれなくて…。でも昨年末、この曲をライブで歌った時に、お客さんから「音源化してほしい」と言っていただけて。
――反響があったんですね。
はい。それで2月からコロナの影響で生でライブを届けることができない状態が続いていて、その中で何ができるのか?と考え、音楽配信を始めたんです。そこから様々なメディアの方々が「愛を耕す人」に興味を持ってくださり取り上げてくださって。それで、これはCD化した方が良いんじゃないか、と思えるようになりました。私の周りには配信だとやり方がわからない人もいて、「聴けない」という方もたくさんいました。そういった声も聞いていたので、やっぱり手にしやすいCDの方が良いのかなと思いましたし、中村哲さんへの想い、メッセージをより伝えられるのではないかなと。
――やっぱり“モノ”としての存在感もありますし、重みが変わってくる気もします。
デビュー記念日の7月22日にリリースできることになったとの報告を受け、何かに導かれるような感覚がありました。10月7日のリリースが決まり、7月末にレコーディング、8月に入ってからはジャケットの撮影、ミュージックビデオの撮影と、バタバタだったんですけど。
「ねがいうた」を再リリースした意味
――異例のスピードだと思います。メジャーにこだわり続けてきた蘭華さんが、こうやってまたメジャーでリリースできるのはこちらも嬉しいです。あきらめなければ道は開かれるんだなと思いました。両A面ということで、メジャーデビュー曲「ねがいうた」を再録されていますが、なぜ今この曲を?
「ねがいうた」は、いつの日か歌手として花が開く日が来たら、今は一緒に夢を追い求めることができなくなった恩師や亡き父、私を支えてくれた方達に喜んでもらいたいという想いを込めて、当時デビュー曲として選んだ経緯があります。「ねがいうた」は数ある曲の中でも大切にしている1曲なんです。
――確かにライブでもアンコール、最後の方で歌っているイメージも強いです。
ライブで歌わなかったことは1度もなく、ショッピングモールなどのインストアイベントでも必ず歌ってきました。この曲は大小かかわらずどんな場所で歌っても、この曲の感想を伝えに来てくださる方がいるんです。例えば、お祭りで歌っていると遠く離れた屋台でお仕事をしていた方が、わざわざ聴きに駆けつけてくださったり、インストアイベントでもお母さんに連れられた目の不自由な車椅子のお子さんに、「この曲名が知りたい」と尋ねられたこともありました。
――反響が常にある曲なんですね。
そうなんです。以前リリースさせていただいたレーベルの方からも、「ウチから出した曲ではないけど、蘭華はこの歌が勝負曲になる」と言ってくださって。テレビ局のプロデューサーさんからも「何年かに一度生まれる時代の曲になるかもしれないから、長く歌い続けて欲しい」とデビュー当時言っていただけました。でも、私はデビューして半年ぐらいで「アルバムを作りたい」という気持ちが強く、移籍をしてアルバムリリースさせていただいたので、じっくりと「ねがいうた」を世の中に届けるという作業が出来ていなかったんです。それもあって、いつか「ねがいうた」をしっかり届けたいと、ここ何年間ずっと思っていました。今回は「愛を耕す人」とともに、この「ねがいうた」もゼロから丁寧に届けることをしたいなと思いました。
――再デビューしたかのような感覚もあるんですね。
その感覚はあります。マネージャーとも「新たなスタート地点に立ったよね」という話はよくしています。レコード会社のスタッフさん達も温かい方達ばかりで、日々感激しています。
――この「ねがいうた」はこの5年間でどのような変化を遂げてきましたか。
新録するまでは、私を育ててくれた恩師である以前所属していた事務所の社長や、世界中で誰よりも私を応援してくれていた亡き父に恩返ししたいという想いがあって生まれた曲でした。その想いがありながらも、この5年間、沢山のお客さんの表情を見ながら歌い続けてきて、レコーディング中に脳裏によぎったのは、恩師や父の顔の他に、いつもライブに来てくださっているファンの皆さんのお顔も加わり、見える景色が変わってきたのを実感しました。苦楽を共にしたマネージャーやプロデューサー、いろんなお顔が現れてきて、歌いながら込み上げるものがありました。
――歌に関してはいかがですか。
5年前の「ねがいうた」はすごく素直に歌っている感じがします。2014年、まだデビューしていない時に録っていたこともあり、メジャーへの期待や希望に満ち溢れていて。当時は現実をあまりわかっていなかったんですよね。そこからいろんな経験をして強くなれたんだと思います。今回の「ねがいうた」はまだまだ届けていきたい、という想いが乗った強い歌になったんじゃないかなと思います。
――それは聴かせていただいてすごく感じました。この曲と共に生きてきている感じが伝わってきましたから。
ありがとうございます。自分で聴いても重く、深くなったと感じています。「ねがいうた」はまだまだ世の中に行き届いていませんし、「よりこの曲を届けるためには」という思いで新録させていただいたので、まっさらな状態、新曲を届けるようなつもりで頑張っていきたいです。
「生で届ける」ことにこだわりたい
――「ねがいうた」の5年前のミュージックビデオを拝見させていただいたんですけど、トロピカルな作品で驚きました。
そうなんです。カンヌ国際映画祭で受賞された映画『EUREKA』の青山真治監督に作っていただき、石垣島で撮影しました。当時のシングルも両A面で「はじまり色」という曲が吉本ばななさん原作の映画主題歌だったので、こちらも映画つながりで撮ろうということになって。青山監督に「ねがいうた」を聴いていただいたところ、「島唄だね」と。私は島唄が好きで、「ねがいうた」はそのイメージで作った曲だったので、すごく嬉しくて。そこから沖縄や石垣島を連想されたようで、石垣島で撮影することが決まりました。
――しっかり曲のイメージが伝わっていたんですね。
でも、今思い出すとあの撮影は大変でした。着いた日が梅雨入りで、石垣島には3日間滞在したんですけど、ずっと大雨で(苦笑)。雨粒が目の中、口の中に入りながらも、がんばって歌っていました。
――そんな過酷な状況だったんですね。さて、そんな想いが乗った「ねがいうた」ですが、どのように届けていきたいと考えていますか。
今いろんな方たちが配信ライブというものをやられていて、音楽業界に浸透してきていると思うんですけど、自分がやることはまだ難しいと思っていて…。準備をするのも大変ですが、やっぱり「生で届ける」ことにこだわりたいと思っています。大きな会場でというのはまだ現実的ではないですが、だからといって指をくわえて待っていることもできない。「届けにいかなければ!」という思いが強いです。今年はCDを出せないかもと思っていたのが、ご縁とチャンスをいただいてリリースできることになったので、ならば一人でも多くの方へこの作品を届けていきたい。今度こそ恩返ししていきたいんです。少人数の会場でも地道に丁寧に届けていきたいと考えています。
――すでに9月28日にはバースデーイベントも開かれていましたよね。
はい。8月、9月とガイドラインに沿った少人数制でのファンクラブイベントだったり、ずっとお世話になっている老舗のCDショップさんでミニライブをやらせていただきました。今作の発売記念で中野名曲堂さんや赤羽美声堂さん、錦糸町セキネ楽器さん、小岩音曲堂さんなど、デビューの頃から応援してくださっているお店でキャンペーンをやっていく予定です。これまでスナックキャンペーンでお世話になった何軒かのお店は、このコロナ禍で閉店され恩返しができないままになってしまって…。なのでコロナ対策をしっかりと施しながら、お店を応援できる形をとれないかと考えています。
――今作が感謝の歌ということもあり、すごく大事なことですね。
支えてくれたすべての人たちへ贈る感謝と恩返しの歌、とキャッチコピーをつけたように、本当にそう思います。恩返しがいつでもできる状態だったら、その言葉はもしかしたらデビュー当時使わなかったかもしれません。父が生きているときに私のワンマンライブを見せることができなかったですし、テレビやラジオに出る姿も見せられなかったので、自分の中で悔いが残っていました。育てていただいた恩師にも何も恩返しができないまま、事務所を離れてしまったので。後ろ髪を引かれる気持ちはずっとありました。
――前事務所の社長さんである恩師の方とは、現在連絡は取られているんですか。
ここ1年半、連絡はほとんど取っていません。それは、私自身あまり良い報告が出来ないなと思っていたので….。でも、久しぶりにこの作品をリリース出来たことを、お手紙を添えてお伝えしたいと思っています。
――きっと喜んでいただけると思います。最後にファンの方にメッセージをお願いします。
このコロナ禍で活動が何も出来ないと思っていましたが、カザフスタン共和国大使館からの依頼で、カザフの詩人アバイの「黒い瞳」カバー映像制作をさせていただいたり、ANA国際線の機内音楽で「愛を耕す人」とアルバム『東京恋文』全曲が流れることが決まったり、そして、今回のシングルリリースとすごく良い流れが生まれてきています。この先、日本全国色んなところで「ねがいうた」が流れた時に、皆さんが「この曲知ってる」と言ってもらえるように、この曲を大切に育てていきたいです。
(おわり)