蘭華、中村哲医師への鎮魂歌「愛を耕す人」に込めた想いとは
INTERVIEW

蘭華

中村哲医師への鎮魂歌「愛を耕す人」に込めた想いとは


記者:村上順一

撮影:

掲載:20年07月22日

読了時間:約9分

 7月22日にメジャーデビュー5周年を迎えたシンガーソングライターの蘭華が、5月4日の「愛を耕す人」を皮切りに3カ月連続で配信リリースを行っている。配信第1弾となった「愛を耕す人」は、アフガニスタンで凶弾に倒れたペシャワール会現地代表の中村哲さんの活動に感銘を受けた蘭華が、中村哲医師へ捧げる楽曲として制作。そして、6月13日に配信第2弾となる今年の元旦に生まれた楽曲「あなたに愛されて」をリリースした。インタビューでは「愛を耕す人」、「あなたに愛されて」の制作背景に迫るとともに、蘭華が今考える想いを聞いた。【取材=村上順一】

音楽活動を前向きに頑張りたいという思いが出てきた2019年末

――昨年は、「スナックキャンペーン」や「リアルスナック蘭華」を展開するなど、新しい試みをされた1年でしたが、手応えはいかがでしたか。

 昨年の上半期は色々あって落ち込んでいた時期でした。そんな中、1月から行っていた「スナックキャンペーン」は、クリスマスに目標だった100軒に到達することができました。そして、ラジオ番組「スナック蘭華」から生まれた企画『リアルスナック蘭華』に来ていただいたファンやリスナーの皆さん、関係者の皆さんと直にお会いできたことによって、音楽活動を前向きに頑張りたいという思いが湧いてきました。

――「リアルスナック蘭華」には作家やミュージシャンの方も多く来られてましたよね。

 そうなんです。私もその方達と何かコラボができたらいいなと思いました。そこで出会った方に、昨年リリースしたDVD『蘭華Birthday Special Live2019』のジャケットデザインをお願いしたり、いつか私の曲を編曲してほしいと思っていた編曲家の船山基紀先生や、後にラジオ番組にゲスト出演して頂くことになるアーティストさんなど、いろんな方と繋がることができた「リアルスナック蘭華」でした。

――人との繋がりを実感できたと。さて、今年はコロナウイルスの影響で、人と会うのも難しい時期がありましたが、どのように過ごされていたんですか。

 自粛期間中にどれだけ自分をブラッシュアップして成長できるか? というのがありました。何もできないからといって、だらだら過ごしたくないと思っていたので、ピアノの練習や作曲の勉強などをしたいと思っていたんですけど、実際はなかなかできなくて…。

 なぜかというと、新しいラジオ番組『大好き 出雲 蘭華の歌縁』が昨年から始まり、今年に入ってからもラジオ番組『大石吾朗Premium G』のアシスタントを務めることになり、その編集やリモート収録など慣れない作業もあって、なかなか自分自身のことに時間が取れなかったんです。

――世間とは裏腹に忙しかったんですね。

 その中で配信リリースすることが決まったので、その制作もスタートしました。リリース日を迎えるとリモートでの取材も増えてきたので、自分のスキルアップは後回しになってしまって。でも、やることがあるというのは、ありがたいことだなと思いました。自粛期間はいつも以上に寝る時間が遅くなってしまってましたね。

――でも、充実されていたんですね。

 はい。でも、大好きな祖母が今年の4月に亡くなってしまって…。北海道に住んでいる叔母は、高齢だということもありお葬式にも出れなかったのですが、私は孫の中では数少ない1人として参列することができました。昨年は出雲の観光大使に就任したことで、祖母に会える機会が多かったこともあり、悲しいというよりも、最後まで一緒にいれたという感覚がありました。父が亡くなった時のように引きずる感じではなかったんです。とはいってもショックはありました。さらに5月には、私のことをとても可愛がってくださったお姉さんのような方が亡くなり、6月には仕事で大変お世話になった作曲家の服部克久先生までが亡くなってしまって…。

――すごい3カ月間でしたね…。

 こんなことは過去になかったんです。お仕事も秋まで決まっていたものが、コロナの影響でほとんど中止や延期になってしまいました。その間、事務所は無収入になってしまうこともあり、不安もありました。今考えると、それもあってなかなか眠ることができなかったのかもしれません。

緑を作ったというイメージが強かった

「愛を耕す人」ジャケ写

――さて、5月から3カ月連続配信が始まりましたが、6月13日に配信第2弾となる「あなたに愛されて」がリリースされました。この曲はどのように制作は進んでいったのでしょうか。

 楽曲制作を頑張りたい、と今年のお正月は実家には戻らず、東京に残りました。友人の家にお呼ばれして、美味しいおせち料理を一緒に食べたりして元旦を過ごし、そこからスタジオに向かったのですが、りんかい線の渋谷駅ホームに着いたときに出来たメロディが「あなたに愛されて」でした。もう一気にAメロ、Bメロ、サビ、Dメロまで出来てしまったんです。

――降りてきたんですね!

 はい。もう流れるようにメロディが出てきて、すぐにプロデューサーに電話して、歌って聴いていただきました。私はけっこう自信があったんですけど、プロデューサーからは「普通だな」と言われて(笑)。でも、その日にスタジオで整理して形にしたら、プロデューサーも「良い曲だ」と言ってくださって。

――蘭華さんの第一印象は間違っていなかったと。

 間違っていなくて良かったです(笑)。当初この曲は元旦に生まれた曲ということもあって、前向きで明るい曲にしたいと思っていました。ライブで最後にみんなで手を振りながら歌うイメージもあったんですけど、レコーディングが近づいて、歌詞を完成させなければいけないとなった時に、祖母や大切な人が亡くなったことが詞に影響しました。

――そうだったんですね。

 コロナ禍の今、愛する人に会いたくても会えない方や、私のように故郷に帰れない、感染のリスクを考えて会うことを控えている方がたくさんいると思います。どんなに孤独で悲しい日々でも、守るべきものがあるだけで、会いたいと思える存在がいるだけで人は頑張れる。そう思える歌にしたい、と歌詞を書き始めました。

 1番では、お互いに生きているという現在進行形を歌っているのですが、そこにはこの3カ月で大切な人を亡くしてしまったという思いも反映されています。Dメロには<星になる>という言葉がありますが、これはダブルミーニングで、亡くなった人だけではなく、自分の中の輝く星、心の星を表現しています。

――「愛を耕す人」についてもお聞かせください。この曲は中村哲さんへ向けた曲とのことですが、どのような経緯からこのテーマで書くことになったのでしょうか。

 私が中村哲さんを知ったのは訃報を伝えるニュースからでした。自分の命をも顧みず、遠い異国の地で多くの人命を救った中村医師の生きざまに感銘を受け、命の尊さと無償の愛をテーマに作り上げた楽曲です。大干ばつに見舞われたアフガニスタンで、井戸や農業用水路の整備を手がけられ、水を引いただけではなく、荒れ果てた砂漠を緑のオアシスに変えた人。12月4日は中村医師の命日なのですが、その月命日である5月4日のみどりの日に配信リリースしたのもそれが理由なんです。

 大きなリスクを背負いながらも救命活動に心血を注いだ中村医師の姿は、新型コロナウイルスの猛威と日夜闘う医療従事者の方や、私たちのライフラインを担っている方たちの姿と重なりました。もともとは中村医師に捧げた曲でしたが、このタイミングでリリースしたことで、命を救うために尽力してくださっている方たちにも感謝と敬意の気持ちを込めて届けたいと思いました。

――「愛を耕す人」はタイトルもインパクトがありますが、この言葉をタイトルにしようと思った意図は?

 パキスタンから水路を何十年も掛けて作るのは並大抵のことではないじゃないですか。荒廃した土地に水をやり、種を撒き、畑を耕し、緑の恵みをもたらすということを人生を削ってやってきた。これは愛がないとできないと思いました。

 そのなかで中村哲さんを表現するのに「愛を耕す人」という言葉がしっくりきたんです。“愛を撒く人”でもいいんですけど、私の中ではただ撒いただけではなく、さらに耕した人だと思ったので、このタイトルになりました。全然悩まなかったです。

――歌詞で、メリークリスマスという言葉が入っているのが興味深かったです。

 この曲をクリスマスライブで歌おうと思ったことと、中村医師がクリスチャンということをとある記事で目にしたことが、この言葉を入れた理由なんです。

――どんな内容の記事だったんですか。

 ある方がアフガニスタンに滞在されていた中村医師に電話されたときに、「メリークリスマス」と言ったら、無言になってしまったらしく、受話器の向こうで泣いていたそうなんです。そのときに「実は、僕はクリスチャンなんだよ」とお話しされたというエピソードなんです。そのエピソードから衝動に駆られて、「曲を書きたい」と思いました。

 アフガニスタンはイスラムの国ですし、メリークリスマスなんてきっと言えない。肩身の狭い思いをしていたんじゃないかなと思いました。クリスマスを待たずに天国に召されてしまった中村医師への祈りを込めた鎮魂歌であり、ありがとうとさよならの思いを込めて、メリークリスマスと入れたかったんです。

蘭華にとっての作詞とは

「あなたに愛されて」ジャケ写

――作詞というのは蘭華さんの中ではどのように考えて書いているんですか。

 実は詞を書くのはすごく苦手なんです。作曲は大好きですが、作詞は昔から時間もかかるし、自分では得意だとは思っていなくて。だからこそ、これで世の中に出して良いと思える歌詞としてOKを出すのに、すごく時間がかかります。前の事務所に所属していたときに私の詞はストレートで幼なすぎる、と言われたことがあるんです。それがショックだったこともあり、どうやったら自分の作詞の能力を磨けるかと考えました。

――どうされたのでしょうか。

 考えた結果、浅草にある俳句教室に通うことにしました。なぜ、俳句かというと、1曲の歌詞は20行くらいで構成されていることが多いと思うんですけど、事務所の方に「聴いた人が心にグッとくる1行を作れるか」と問われたんです。それで、コピーライターの養成所とも迷ったんですけど、当時、和を感じられるものに惹かれていたこともあり俳句教室にしました。

 五七五の17文字の俳句は世界最小の文学表現と言われていて、それが、私が求めていることに合っていると感じました。教室では先輩方のスキルや情緒を学ぶことができましたが、勉強を経て、あれから十数年が経った今、歌詞はストレートでもいいと思うようになってきました。

 でも、誰でも書ける詞というのはプロじゃないな、と思うところがあります。なので、タイトルであったり、伝えたいことを私なりの言い方、ニュアンスでどう表現するのか、というところをとても大切にしています。

――さて、今回レコーディングはいかがでしたか。

 2年ぶりのレコーディング、この間に色々あったこともあり、自信がなくなっている自分がいました。レコーディングをしても、誰にも聴いてもらえないんじゃないかとか、変なことばかり考えてしまって…。レコーディングの日が近づいてくるだけで緊張している自分がいました。

 本当はライブで歌って、曲を育ててからレコーディングした方が、良い歌が録れると思うんですけど、コロナ禍の今はそれもなかなか難しくて。レコ大企画賞を受賞した1stアルバム『東京恋文』が色んな方から評価していただけたのは、ライブで育ててきた曲の中から選りすぐった作品だったからだと思います。

――特に今の現状ではライブで育てていくのも難しいですね…。では最後に2020年、下半期への意気込みをお願いします。

「ねがいうた/はじまり色」ジャケ写

 意気消沈してしまっていた2019年でしたが、年末に中村哲さんという尊い活動をされていた方を知ったことで、久しぶりに「曲を書きたい」と強く思わせてくれました。2020年は「走る」というテーマを自分自身に掲げて、元旦からやる気に満ち溢れていたんですけど、コロナの影響を受けて、どうにもこうにもいかなくなってしまいました。

 でも、今はただ待っているだけではなく、こういう状況下でもできること、待ってくださっているファンの皆様にどうやったら喜んでもらえるか、というのを試行錯誤しながら形にしている最中です。私はずっとパッケージにこだわってきたのですが、今回配信した曲たちを皆さんのお手元に届けられるように、頑張って行きたいと思っています。また、作家としても、春からホリプロさんにお世話になることになりました。このご縁を大切に、沢山の方達へ届く曲を産み出していきたいと思います。

(おわり)

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