リンダ、ポルトガル語で「美しい女性」

 彼女らは週末になると大泉町に隣接する太田市のダンススタジオに集まりダンストレーニングに励んでいる。記者が訪れたこの日も汗を流していた。トレーニングを終えた彼女たちに話を聞いた。

 まず名前の由来は?「リンダはポルトガル語で“美しい、美人、可愛い”を意味します。それに私たちも日系なのでそれに合わせて」(シオリ)。

 大泉町出身のサクラを除き4人はブラジルで生まれた。ナオミは生後8カ月のときにサンパウロから、ムツミは4歳でリオデジャネイロから、サユリとシオリは6歳でベレンから移り住んだ。日本での生活で最も苦労したのは食べ物だったという。

 なかでもサユリとシオリはこんにゃくが苦手。学校の給食で出た時は困ったと振り返った。それでも時間の経過と共に日本食に慣れていき苦手だったこんにゃくも6年生の頃には克服した。現在2人は県内の高校に通うが弁当は自分で作り、中身は日本食に近いようだ。

 改めて聞いてみた。好きな食べ物は?サクラ「お雑煮」、シオリ「豚汁」、サユリ「アイス、グレープ、グミ、オモチ」、ムツミ「とんこつラーメン」、ナオミ「茶わん蒸し」―、と極めて日本テイスト。

 ブラジルよりも日本の影響の大きいとも話す。日本で暮らし、日本の社会で学び、そしてこの音楽活動も日本で行っている。日本語も流暢に話す。

彼女らならではの苦悩

 前述の通り、華々しくデビューした彼女たちだが、日系ブラジル人のアイドルグループだからこそ抱える問題もある。

 シオリ「日本のアイドルみたいな可愛い表情にも気を付けないといけない。でも、そればかりに気を配っているとブラジルのようなテンションが出せなくなる。日本を意識しすぎるとブラジルのリズムを忘れちゃう。大変だった」。

 悩みや苦悩を抱えながらも1年を走ってきた。振り返ってどうだった?

 「最初はダンスは踊れなかったけど、今では上達して」(サクラ)、「最初はバラバラだった。でも今は全員で揃って踊れている」(ムツミ)。「声もテンポも合っていなかった」(シオリ)。「恥ずかしがり屋だったけど今はすごく明るくてのびのびできている」(サユリ)、「大きな舞台では心臓が口から出るんじゃないかなというぐらいにプレッシャーを感じていた」(ナオミ)。

 今ではヒップホップダンスが得意なシオリとサユリは意外にも当時は歌やダンスが苦手だったという。「最初は歌もダンスも出来なくて、恥ずかしがり屋だった。すごく大変だった。慣れるのが大変だった。怒られもした」。

 涙を流すこともあった。それでもあきらめずに挑み続けた。そんな時に支えてくれたのがメンバーと家族、そしてダンスの先生。「怒られたけど、時には厳しく、時には優しく教えてくれた」(ムツミ)。

 定期的に行われているトレーニング以外でも努力をしてきた。風呂上りのストレッチやステップ練習など。ライブと期末テストが重なる時もあった。

特にシオリとサユリは昨年は高校入試へ向けての受験生だった。シオリ「寝ない時もあった。ライブが終わったあとも勉強で、移動中の車のなかでもやってた」。その二人の背中を見ていた他のメンバーは「見習いたい。同じ高校に入りたい」と尊敬の眼差しで見つめている。

 ダンストレーニングは火曜日の放課後と土日を利用して行われている。なかなかプライベートとかないね?と質問すると、全員が口を揃えて「ハイ!」と答えた。休日ができたら行きたい場所は?「海!滝も見たい!」(ナオミ)。

日本とブラジルの2つの感性で

 デビュー当時に掲げていたサッカーW杯ブラジル大会で歌うことは叶わなかった。でも目標は山ほどある。ナオミは「アルバム100万枚販売したい。あとザキヤマ(お笑い芸人山崎弘也)と共演したい」と茶目っ気たっぷりに語った。

 サクラは「CMに出たい」、シオリは「全国でライブしたい」、サユリは「ブラジルでライブがしたい。それと、ほかのアーティストとライブがしたい」、ムツミは「もっと歌とダンス、MCをうまくなってほかのアイドルから憧れるような存在になりたい」。ムツミとナオミはブラジルのサンバも得意とする。今後はサンバも取り入れていくという。

 ブラジル気質の陽気さも醸し出しつつ終始笑顔で穏やかに話す彼女らの表情からも乗り越えてきた自負が見える。住んでいる土地は違ってもブラジルリアンの血は流れている。大泉町という歴史が生んだブラジリアングループ。日本とブラジルの2つの感性をもった彼女らしかできない表現方法、そして人柄で今後アイドル界を賑わせてくれるだろう。(取材・木村陽仁)

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リンダ3世、群馬大泉町で生まれたブラジリアンガールズユニット

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