フランス・パリ駅(撮影・松尾模糊)

 先月、緊急事態宣言の解除を受け自粛期間から解放されつつある街もようやく活気づき始めた。しかし、まだ新型コロナウイルスに対する特効薬は開発に至っておらずこれから第二波に対する十分な警戒も必要で、全く元通りの生活に戻ることは当分先、もしくはもうないのかもしれない。自粛期間には普段読まずに“積読”された分厚い本を手に取ったり、動画配信サイトで何シーズンも続く海外ドラマを見始めた覚えがあるのではないか。“三密”対策のためライブや演劇鑑賞は難しい現在の状況だが、自粛期間に我々の退屈を埋めてくれたのはそうした文化であろう。ここでは改めて、心のソーシャルディスタンスを縮めてくれるカルチャーの魅力を音楽と文学の意外な関係性から見つめ直してみたい。

再注目された『ペスト』作者と音楽

 新型コロナ流行で再注目され話題となった仏作家アルベール・カミュの『ペスト』(1947年)は、アルジェリアのオラン市でペストが流行し、市民が混乱しながらも団結して感染病に立ち向かう様子を描くパンデミック文学の金字塔的作品だ。新潮社によると『ペスト』(宮崎嶺雄訳、新潮文庫)は2月以降で36万部余を増刷、累計発行部数は125万部に上っているという。

 カミュは、仏領アルジェリア出身で第二次世界大戦中、1942年に発表した『異邦人』で注目され、その後もエッセイ『シーシュポスの神話』など“不条理”をテーマに人間を描いた仏を代表する作家。1957年にノーベル文学賞を受賞している。輝かしい遍歴だが若くして結核を患い、ジャーナリストとして人民戦線よりの新聞社で数々の不正を暴いたものの取り締まりの厳しくなる当局から発禁処分を受け、その責任を問われ解雇されるなど私生活はかなり波乱に満ちていたようだ。最後も46歳の若さで交通事故により急死している。

 彼は二度結婚しており、二番目の妻フランシーヌ・フォールはピアニストで、彼との間にできた双子の娘と息子の母であった。カミュは自身が手掛けた戯曲に出演する女優と浮名を流したり女性関係は派手だったが、フランシーヌと別れることはなかった。カミュの生涯を描いた仏映画『アルベール・カミュ』(2010年)でアヌーク・グランベールが演じた彼女が夫の不貞に悩み、ピアノを弾けなくなる程に精神を病んでいく姿は印象的だ。

 英バンド、ザ・キュアー(The Cure)が1979年にリリースした1stシングル「Killing an arab」は、カミュの『異邦人』からインスパイアされたものだ。『異邦人』は母の死の翌日にアラブの海水浴場に出かけ、「太陽がまぶしかったから」という理由で殺人を犯し、死刑判決を受けるも自身の幸福を疑わないという倫理の欠片もない主人公の男ムルソーを通して非合理で複雑な人間性をあぶりだす代表作だ。フロントマンのロバート・スミスは「生きていて死んでいる」とアイデンティティを見失った人間の心情を切なく歌い上げる。この曲自体はタイトルが問題視され、「Killing another」として歌われるようになるという、まさに不条理な憂き目にあっているところも考えさせられるところだ。

ルネサンスから脈々と受け継がれる文化の潮

 『ペスト』と同じく、パンデミック文学として再注目されたのは中世イタリア作家でフィレンツェの詩人ジョヴァンニ・ボッカチオによる『デカメロン(十日物語)』だ。1348年~53年にかけて執筆されたもので、実際に1348年に大流行したペストから逃れる為にフィレンツェ郊外に引きこもった男3人、女7人の10人が10日間で退屈しのぎに語り合うという体で一人10話ずつ計100話から成る。『ペスト』とは違い、感染症のことはいざ知らずユーモラスな話題で話が進んでいく。

 『デカメロン』の戯曲をもとに作られたドイツ語のリブレット(台本)にオーストリア作曲家フランツ・フォン・スッペが曲をつけた歌劇はその名も『ボッカチオ』という。1879年に初演がウィーンのカール劇場でおこなわれて以来、世界中で上演され続けている。

 また、大きく海と時代を超えてボッカチオの文学はここ日本でもその存在感を示す。少年隊が1986年にリリースした2ndシングル「デカメロン伝説」は、秋元康氏による作詞、筒美京平氏による作曲でタイトル通り『デカメロン』にインスパイアされている曲だ。最近では、お笑い芸人のゆってぃがこの曲のイントロを使用してネタを披露していることで再度注目された。

 ボッカチオはダンテを敬愛しており、彼がただ「戯曲」として発表していた叙事詩『神曲』に“神聖なる”という冠辞をつけ『神曲』の名を定着させたと言われている。また、ペトラルカとも親交が深く、中世イタリア・ルネサンス勃興の中心人物であった。ペスト流行などで暗黒時代ともいわれた14世紀に、現代にまで続く文化の萌芽がすでに芽生えつつあったと思うと感慨深い。今はまだ予断を許さない不安定な時期ではあるが、こういう時だからこそ、ここから数百年も続く文化の歴史を照らす新たな光がこの闇に一つの道筋となって差し込んでくると期待したいのは筆者だけではないだろう。【松尾模糊】

筆者紹介

松尾模糊 1983年生まれ。フリーライター、編集者。福岡大学法学部卒。2007年に単身渡英し2012年に帰国後、様々な職を経ながら執筆活動を開始。

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