つるうちはな「悩んでいくことを祝福」心を“サルベージ”する音楽の秘密
INTERVIEW

つるうちはな「悩んでいくことを祝福」心を“サルベージ”する音楽の秘密


記者:村上順一

撮影:

掲載:19年10月23日

読了時間:約13分

 シンガーソングライターのつるうちはなが10月23日、フルアルバム『サルベージ』でメジャーデビュー。レーベル「花とポップス」代表、音楽作家、主婦など、様々な顔を持つ 彼女。2006年にミニアルバム「メロディー」で全国デビューし、2011年には「出れんの?!サマソニ?!」より、敗者復活枠からSUMMER SONIC2011に出演 。さらに各方面での楽曲制作(ATSUGI×最上もが「柄、じゃない?」「してみタイッ!」、カルビー堅あげポテト×ゆうこす「カタアゲ女子の幸福論」など)作家としても活躍。インタビューでは彼女の生い立ちから、音楽への姿勢、『サルベージ』の楽曲制作についてなど多岐にわたり話を聞いた。【取材・撮影=村上順一】

生まれた時からハイテンション

――幼少期はどんな性格でしたか?

 このままです(笑)。一度、不登校という暗黒期があったんですけど、生まれた時からハイテンション。両親が言うには、寝る前に子ども用の椅子から10回ジャンプしなければ寝られなかったらしいです。エネルギーが有り余っていて、口から生まれてきたんじゃないかというくらいずっと喋っていたり。

――元気だったんですね(笑)。つるうちさんは香港にも住んでいたんですよね?

 父の仕事の関係で小学校2年生から中学まで香港にいたんですけど、中国への返還のタイミングで日本に帰ってきました。香港は凄く良い所で、市場の食べ物は抜群に美味しかったです。香港があまりにも楽しすぎたので、日本に帰って来てからも、香港に近い感覚がある新大久保に住んでいました。新大久保は色んな人種の人がいて、色んな食べ物があって凄く気に入って住んでいました。

――生命力がみなぎっている感じがありますよね。そういった場所が好きなんですね。

 生も死も、性も食も。家の隣りがブティックホテルだったので、毎日誰かがそこでケンカしていたりして。綺麗な所と汚い所が混在している所が好きというのは、今回のアルバムにも出ていると思います。

――歌詞からもそういった部分を感じられます。最初に仰られた“暗黒期”が気になるのですが…。

 凄くシンプルに言うと、帰国子女で日本人の一般的な感覚とズレていたんです。香港の日本人学校では個性的な子が多くて、激しいいじめなどもなくてみんながのびのびとしていました。それで日本に帰ってきて、自分は仲良くしたいと普通に思っていてもコミュニケーションが上手くとれなかったり、「変な奴だ」と排除されちゃったんで、辛くなって行けなくなって。なので、ほとんど中学校には行ってないんです。一回転校したんですけど、それでも行けなくて。

――それは辛いですね。

 いまでも同じ環境に突っ込まれたら行かない気がします。「行かなくてもいい」という選択肢を、大人になるにつれて身につけていきました。自分と相性の良い人に飛び込んだり、自分が引き寄せればいいんだというのが、大人になる過程だったと思います。そこに早く気付ければ良いんですけど、たぶんいま学校に行けないという子は、自分のことを責めていると思います。自己否定というものを初めて強烈にしたのが中学生の頃でした。それまでは自己肯定感は高かったんですけど完全否定してしまって。そこから立ち直るのに20年くらい掛かりました。でも、このアルバムで、香港で超絶元気だった頃に戻ったんです。

――20年かかって、“サルベージ”されたんですね。

 人をサルベージしようと思って作ったのに、自分をサルベージしてしまいました(笑)。大好きになれて。いままで消えなかった自己否定感が馬鹿馬鹿しいなと。たぶん、学校だけではなくバイトとかでもうまく行かなかったし。人間関係の構築は凄く苦労しました。私の性格に問題があるんですけど(笑)。

――音楽に救われたということも沢山あると聞いたのですが、それはどういう形で?

 中学の時はラジオを聴いたりして、当時はJUDY AND MARYが大人気な頃で、私も大好きだったんです。JUDY AND MARYのオフ会とか、掲示板の時代だったんですけど。

――懐かしいですね! BBSとか。

 そういうところでJUDY AND MARY友達ができて、最初の彼氏もその時にできて、そこから一気に世界が広がりました。東京ドームのJUDY AND MARY最後のライブを観たんですけど、TAKUYAさんが「いまここにいる人達のなかで、このステージからの景色を見る人が現れたらいいな」みたいなことを言ったんですけど、「私が観ます!」って(笑)。そのライブで背中を押されて、本格的な活動もその頃から始めました。クラシックピアノをずっとやっていたので、曲は小学生の頃から書いていて、それは矢野顕子さんの影響だったんですけど。

――他にも救われた時はありましたか?

 定期的に救われていますけど、ガガガSPの存在に救われています。界隈のバンドの人達とどんどん仲良くなっていって、関西の先輩方には鍛えられました。そのおかげで、女性シンガーソングライターというジャンルから一回抜けさせてもらえたんです。全然違う世界があるなかで弾き語りをやるという。そこで得たものは凄く大きかったです。

――メジャーデビューすることをここまで引っ張ったのは、人間関係など色々あったとのことでしたが、どういった点が難しかったのでしょうか?

 自分が大人じゃなかったなと思うこともあるし、実力不足だったなと思うこともありました。「君はこういう感じだと思うよ」と言われたことに対して「全然違うんですけど」と思うことが多すぎて…。20代後半の頃は「自分は悪くない」と思いたいところがあったし、全部自分の問題だなと感じます。でもいまは単純に実力不足だったなと思います。

 コロムビアのスタッフの方達と出会った時、「こんな人達がいたんだ!」というのがありました。いままでも個人ではそういう人はいたんですけど、チームとしては初めてで、これは出会うべくして出会ったなと思いました。

――即決だったと。

 この人達とやる以外の選択肢はないと思いました。結婚を決めた時と凄く感覚が似ていました。結婚も即決で、「この人を信じないで何を信じるんだ?」という心の声みたいなのが聞こえてきたんです。

――今作でも1曲ベースを弾かれているのが旦那様?

 そうです。彼も音楽家で「やさしい魔神」という曲でゲスト参加してもらっています。普段は仕事とプライベートは分けているんですけど。この曲は旦那の歌でもあったので、弾いてもらいました。

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