寺本圭佑、サラリーマンからシンガーへ デビュー10年さらなる高みへ
INTERVIEW

寺本圭佑、サラリーマンからシンガーへ デビュー10年さらなる高みへ


記者:村上順一

撮影:

掲載:19年08月15日

読了時間:約11分

10年を振り返る

――この10年を振り返ると、一番大変だった時期は?

 デビューした最初の2年間はサラリーマンと併行してだったので良かったんですけど、それを辞めた後の1年間です。「歌だけで食べていけるのかな」と、それが一番不安でした。でも、どんどん歌える場所が増えてきて少しずつ安心します。でも、いまでも安心できないというか、スケジュールを見て自ら空いている日がないように入れていきたい、声をかけてもらったらどんどん積極的に歌いに行きたいです。

――ちなみにサラリーマン時代はどういったお仕事を?

 冷凍食品を扱う会社でお弁当とかの食材などを卸している仕事でした。学校を卒業してすぐ入った会社がそこだったんです。ですが、歌手になりたいと思って一回辞めました。それで東京に出てきて、2年くらいいたんですけど、歌手で生活していくのは大変なんだとわかりました。それで一回実家に戻って、またサラリーマンに戻ろうと思っていたんですけど、「やっぱり歌いたいな、歌が好きなんだな」と思いました。

――東京ではある種の洗礼を受けたのでしょうか?

 受けました。色んな所に行ってアルバイトしながらだったんですけど、どうしても自分のなかで怖さが出てきてしまったんです。アルバイトをしながら川村栄二先生のところに遊びに行ったり、その時に今泉敏郎先生もいらして、一緒に飲んだりさせて頂いていて、良いお話も頂いていたのですが…。

 その頃にストレスで円形脱毛症ができて、これは大変だと思って一回地元に戻って、周りの人は「また出てきたらいいよ」って言ってくださったんですけど、当時は25、26歳までにデビューしないと駄目だと言われていたので、自分はもう当時24歳くらいだったので諦めていて…。実家に戻って、サラリーマンでいいかなと思っていたときに、「いまは違うよ、地元から歌手活動をやっても大丈夫」と言って頂けたんです。

――カラオケ大会で優勝したことがきっかけで上京されたとのことですが、もともと参加した動機がカラオケ大会の賞金だったみたいですね。

 不純な目当てでして(笑)。

――カラオケ大会の賞金は30万円とのことですが、どんな大会だったのでしょうか?

 昔は50万円、100万円のカラオケ大会がけっこうありました。当時はその賞金で旅行に行きたかったんですよ。3年目に優勝した時は賞金が30万円と副賞が2つでした。そこに『カラオケボックス大賞』という全国大会が付いていたんです。その全国大会への費用が引かれて、賞金が30万円に減ってしまったみたいなんですけど、30万円でもすごいですよね。

――さて、寺本さんの音楽のルーツですが、過去にはどんな音楽を聴いていましたか?

 本当に演歌ばかりだったんですけど、高校生くらいの頃は並行してサザンオールスターズさんやTUBEさんも聴いていました。カラオケに友達と行くとそのあたりを歌っていました。なぜかというと、その年頃のときは演歌を歌う人が少なかったので、カラオケで演歌を歌うとけっこう浮いちゃうんです。でも、当時から一生懸命聴いてた歌は演歌、歌謡曲でしたね。

――山川豊さんがお好きだとお聞きしたのですが、いま同じレーベルですね。これは感慨深いのではないかと。

 そうですね。山川さんはNHK『のど自慢』に出場したときに、初めてお会いすることが出来ました。その後、大阪の新歌舞伎座で鳥羽一郎さんとの兄弟公演があったんですけど、その公演を「観に来るか?」と言ってくださって。拝見させて頂いてその雰囲気にとても感動しました。しばらくサラリーマンをやっていたのでちょっと空いてしまったのですが、僕がデビューをしてからご挨拶に行ったときに「覚えているよ!」と言って頂けて。そこからずっとプライベートでも気にかけていただいています。

 この間はショッピングセンターで山川さんが歌ってらっしゃっていたのを、一番後ろで観ていたら「今なかなか売れないけど、凄い頑張っている子が出るから。圭佑、上がれよ」と、ステージにも上げて下さって、びっくりしましたし感動しました。

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