松岡茉優の所作には内に秘めた美しさを感じる。イベントでは、集まったファンにだけでなく、取材陣にまでお礼の言葉をかける。

 彼女が声優を務めたアニメ映画『バースデー・ワンダーランド』が26日に公開される。一連のイベントで彼女が一貫して語っているものがある。

 「ラストシーンは特に好きで、子供の頃からしばらく流していなかった涙が流れる」

 感性の良さが見える彼女が言うのであれば「観てみたい」。そう思った。もちろん、『クレヨンしんちゃん』や『河童のクゥと夏休み』などを手掛ける原恵一氏の最新作だからというのもある。ちなみに原作は柏葉幸子氏著『地下室からのふしぎな旅』(講談社青い鳥文庫)。

 それで急いで試写した。その感想は、小生が長らく大人の社会に浸ってしまったせいか、描かれる物語のその奥を覗こうと歪んだ見方をしたためか、純粋に見ることができなかった。

 これは何も考えずにありのままをありのままに観る方が良いのだろう。見終えた後に後悔した。

 社会の荒波にもまれ、いつしか感情さえも捨てるようになった小生は、童心を忘れてしまったのだろうと思い、自然と涙がこみあげてきた。

 ならばもう一度、試写を…と言いたいところだが、その機会はそうはない。公開後に観ることにしよう。

 幸いにも、物語や情景ははっきりと記憶に残っている。それを振り返り、小生が感じたことをしたためたい。

 松岡が声を演じたアカネという小学生の女の子が物語の主人公。仲間外れにされた子に声をかけられなかったことを後悔する彼女が、突然現れた大錬金術師のヒポクラテスとその弟子に託され、色を失ったもう一つの世界を救う。

 物語にはいくつかの問題提起がある。近代化による弊害や動物への接し方などなど。そのなかでキーとなるのは「勇気」ということなのだろう。

 「勇気をもって何かを伝える」「勇気をもって行動に移す」

 劇中に出てくる「前のめりの錨(いかり)」にもそれを託しているようにみえる。

(C)柏葉幸子・講談社/2019「バースデー・ワンダーランド」製作委員会

 ところで、子供の頃の記憶というのは大人になっても残っているものである。感受性が豊かな頃に見聴きしたものは、その後も考えの根幹にもなっていることがある。嬉しいことも悲しいことも、良くも悪くも引きずっている。

 この作品のもう一つの見方に、置き去りにした過去の心と向き合う、というものがある。人それぞれいろんな境遇はある。出会いや別れ、成功や失敗、そしていじめや孤独。時が過ぎても「あの時、ああしておけば」「あの時の失敗が…」と残るものである。

 この作品は、そうした「引っ掛かっているもの」から解き放たせてくれ、明るい未来へ背中を押してくれるように感じる。

 ただ、こうしたことも、押しつけがましく直接的な表現で伝えるのではなく、ピュアな世界観のなかで間接的に比喩的に伏線的に“気づかせる”ように描いている。原監督の手腕を感じるところだ。

 そして、音楽の話をすれば、適材適所にふさわしい音楽が置かれている。驚くのは挿入歌とエンディングソングだ。歌うのはmilet(ミレイ)。

 音楽には場面を転換させる強烈な力を持っているが、まさにこの作品に使われる挿入歌とエンディングソングはそうした力を放っている。miletのあの歌声と、歌の入り方は全てのモヤモヤを解き放つようだ。

 また、劇中音楽を手掛けるのは富貴晴美氏。NHK大河ドラマ『西郷どん』やテレビ朝日系ドラマ『ハゲタカ』などで知られる富貴氏がこの作品に相応しい音楽としてどのようなサウンドを添えたのか、その点も注目してほしい。

 さて、松岡は先日のイベントで「同じ感情を共有したい」「大人も観てほしい」という趣旨の事を語った。その真意は本人に聞かなければ分からないが、小生が思ったことは先に述べた通りである。

 改めて、大人に言いたい。社会経験という鎧を捨て、なにも考えずに見てほしい、と。その瑞々しさに心が洗われることだろう。【木村陽仁】

この記事の写真

記事タグ 


コメントを書く(ユーザー登録不要)