来年デビュー25周年を迎える上杉香緒里。力強くも透き通る歌声で魅了する彼女だが、注目を集めているのはその販促キャンペーンだ。自衛隊に1日入隊したかと思えば、女子プロレスに参戦。柔道選手や卓球選手のものまねにも挑む。その奇抜さが話題になり、先日、テレビに取り上げられたばかり。そこで上杉に話を聞いた。本音はいかに。【取材・撮影=木村陽仁】
楽しむタイプ
谷亮子、澤穂希、荒川静香、伊藤美誠のものまねを披露したかと思えば、自衛隊1日入隊、滝行、パラグライダー、プロレス参戦、流鏑馬と体を張った販促キャンペーンにも果敢に挑む。その“戦歴”はなかなかのものだ。
演歌歌手なら、レコード店などでキャンペーンをおこなうのが一般的だが、彼女の場合はやや異質だ。その話題性から、先日フジテレビ系バラエティ番組『アウト×デラックス』でも「事務所の無茶振りに耐え続ける演歌歌手」と取り上げられたばかり。
番組で映るのはどんな挑戦にも笑顔で取り組む姿勢だ。そんな姿に放送後は「応援したくなる」「上杉さんを見てたら明日も頑張ろうという気持ちになれる」などの声がSNS上であがった。
しかし本音はどうなのか。
「楽しいことばっかりですよ。楽しい。『楽しいことをやろう』というスタッフばかりなので、全然イヤではないですよ。私も楽しんじゃうタイプだから、いつも楽しみ。次はなんだろうなって」
上杉流のキャンペーンの始まりは、鎧兜を身に着けての白馬だったという。
「最初にお話を頂いたときは『えーーー!』みたいな。『そんな楽しい事できるの!』という感じで喜びました」
しかし、回を重ねるごとに「前回を上回らなくちゃいけない」とハードルが上がっていった。
「それはね、スタッフさんとかが、やるのを待っているから『これはやらないといけない』と思って…。取材の方も来ているし、期待に応えないといけないなと」
1人でパラグライダーをさせられた。4回飛び、2回失敗してアゴから着地、擦りむいた。それでもめげない。
自ら「やりたい」と手を挙げ、参戦した女子プロレスでは、ダンプ松本に竹刀で顔面を叩かれた。痛ましいかぎりだが「運が良くて肉がつきの良いところに当たって。日ごろのおこないが良いんでしょうね」。
体を張ってのキャンペーン。傷も絶えないが、そうした過去も笑顔で語る。
「だって取り上げてほしいですから。新聞でも派手なことをやったら大きく扱ってくれますし、良い曲でも、まずは知ってもらわないとね。今ではメディアの方も『次どういう格好するんだろう』と楽しみにされているようです」
先日、「暗夜の恋」のキャンペーンでは、卓球の伊藤美誠選手のものまねを披露。サーブも決めた。
「あれは11回目でようやっと成功して。新聞のカメラマンさんのシャッター音が徐々に少なくなっていくのよね。私、耳がいいから『あ! 飽きられているかも。まずい!』と思って必死でした」
過去に荒川静香のものまねに挑戦。背を反り返るイナバウワーも披露している。
「小・中学生の時に機械体操をやっていて、このときにやっていて良かったなと思いました」
自衛隊での1日入隊では歩伏前進や3キロを走った。
「あれはつらかっです。ブーツは重いから。当時少し運動はしていたけど、きつかった」
変わらず、笑顔だ。
「わりと『行っちゃえ!』と勢いでいくタイプなんですよ。よっぽどのことじゃないと後ずさりはしない」
しかし、心が折れかけたことがある。その荒川静香のときだ。ものまねを披露した時に、ネットの一部から非難を浴びた。
「それ以来、心のどこかに不安はあります」
そう語りつつも、笑顔だ。
もともとしゃべりは苦手
20歳でデビューした。もともと音楽が好きで、歌手になりたくてコンテストに出た。「どうしたら歌手になれるか?」、審査員に直接聞くほどだった。
そのうちの一人が、作家の里村龍一氏だった。運よく里村氏に弟子入りすることになったが、数日で出される。
「もともとしゃべりは苦手で、あまりにもしゃべらないから、先生は私が何を思っているのか分からなくて、『この子は本当にやる気があるのか?』と思ったらしいです」
母とともに、再び師のところを訪れ、懇願。改めて里村氏の弟子になった彼女は1995年に里村氏作詞の「風群」で念願の歌手デビューを果たす。
自身は「しゃべりが苦手」というが、テレビやイベントではとてもそうは見えない。
「もともとしゃべるのが好きじゃなくて、それはね、10代の頃、友達とかいるときは普通の女の子でしたよ。キャッキャ、キャッキャって。でも壁を作る子でしたね。今も変わらない。苦手な人には壁を作っちゃう。しゃべりが苦手なのも、聞かれたことについてすごく考えて話すから遅くなる。今も苦手。でも、デビューしてから親に『そんなにしゃべる子だっけ?』と驚かれました」
気づかぬうちに克服していったようにもみえる。
まもなく迎える歌手デビュー25周年。奇抜なキャンペーンだけではない、この間、様々なことがあった。転機だったのは2006年発売の「おんな酒」だ。2004年のアテネ五輪、女子柔道金メダリストの谷亮子に似ていると話題を集めた。それがきっかけでテレビなどでも取り上げられ、一躍時の人となった。
そうしたなかでリリースした「おんな酒」。演歌歌謡では異例とも言える20万枚のヒットを記録した。
しかし、話題だけでこの数字を叩きだすのは難しい。実力を兼ねてこその成果だった。透き通る歌声は多彩な感情、情景を鮮明に映し出す。実際に彼女の評価は高い。
「おんな酒」は、歌手としての転機でもあった。レコーディング前日になって、それまで回っていたこぶしが回らなくなった。
「ストレスなのか…いつも歌っていた歌い方ができなくなって。初めて徳久広司先生に曲を作って頂いたんですけど、先生にそのことをお話ししたら『回さなくてもいいんだよ。自然に歌いなさい』と言って下さって。それで歌って。発売するまで不安だったんですよ、これまでとは180度違う歌い方だから。でも皆さんのお話を聞いたら、それがかえって詞が伝わるようになった、と言われて。それが一番のヒット曲になったと」
最新曲「暗夜の恋」にもそれが表れている。この歌の主人公は女性。恋する男性に裏切られながらも恨むことなく健気に生きている姿を歌っている。
「『こんな女性いるはずないだろうな』と思いながら歌っています、ウフフ。だけど、逆に入り込まないように歌っています。(音階が)マイナーの歌は、入り込み過ぎるともっと暗い歌になってしまうので、淡々と、この淡々というのが難しいんですけど、物語を伝える役に徹しているような感じです」
私生活でも転機があった。2015年に一般男性と結婚。翌年には第一子となる男児を出産した。この日の取材でも「朝はバタバタして子供のご飯を作ったりして」。そう語る表情から充実した様子がうかがえた。谷亮子の名言にある「ママでも金」。25周年を迎えるに当たり、上杉自身もママでも「ヒット」といきたいところだ。
「25年を振り返って? 早いな~って感じです。でも考え方は変わらないかな? あ! 歌への向き合い方の変化? 最近は先生が、提供される歌について『この歌はこういう歌だから』ということを言われなくなって。それが不安で。だからいつも探っています」
探っているのは歌だけではない。次の販促キャンペーンの企画もだ。
「次の構想はありますよ。ある方のものまねをして激辛に挑戦してみようと考えています」
そう語り、ニヤリ。普段はオンとオフがはっきりとしているという上杉。楽屋など人目につかないところでは無口だというが、その時は何を考えているのか。
「何かしらは考えていると思いますけど、キャンペーンに臨むときは…成功するようにイメージトレーニングをしていますよ」
もはや、キャンペーンも本業の域だ。
ところで、気になることがあった。ものまねをしてきた人と会ったことはあるのか。
「ないんですよ。5人ものまねさせて頂いたけど、反応がない。お会いしたいです! 会ったら何を話すかって? それは…『ごめんなさい』。でもやめません」
変わらずの笑顔。上杉の探求心は全く衰えない。
(おわり)
※取材時の模様を、インスタグラムにアップされていました。