音楽はガソリンであり癒し――、福山翔大 シーナ&ロケッツが活きた主演作
INTERVIEW

音楽はガソリンであり癒し――、福山翔大 シーナ&ロケッツが活きた主演作


記者:桂 伸也

撮影:

掲載:19年04月06日

読了時間:約15分

あくまでも一本の芯を持って、役をぶれないように。その中で微妙な表現を心掛けた演技

――作品の雰囲気には、特別に意識したものがあるのかとも感じました。ノベライズでは登場キャラクターの顔が見えないため、ストーリーからはわりとストレートな青春ものという感じを受けたのですが、映画では西村まさ彦さんや本田博太郎さんが、それぞれの個性を生かした演技を見せられることで、コミカルな雰囲気も感じられました。その影響もあってか、冒頭では丈が女子高生3人にスパルタの特訓を仕込むシーンがありましたが、そこは真剣な演技をしているはずなのに、とても可笑しく見えまして…。

 ありがとうございます! まさしく! 実はあのシーン、笑っていただきたかったんです(笑)

――そうでしたか。一方でそんなコミカルさ、対してシリアスさみたいなバランスという面は、ご自身ではどのように考えられていたのでしょうか?

 まずこの作品は、ヒューマンドラマにし過ぎると重くなってしまうので、とにかく重くならないようにということをテーマに、青春っぽさを見せることを目標としてやっていこう、という方向はありました。

 ただ、漫画とか何らかの軸があって、その軸によってお客さんは作品を見に来る、という傾向が最近は多いですよね?それはある程度道筋を、自分の中でお客さんが想像してきてくれるということだと思うんです。だから答えの照らし合わせができる作業がある。でも今回はオリジナルで、そういった過程はない。まして丈は、こんなランボルギーニに乗っているような…(笑)

――一見、イヤミな奴ですよね(笑)

 そうなんです(笑)。冒頭で車に乗っている姿からはそのイヤミな面が見えるし、今の若い子たちは果たして丈のこの設定をカッコいいと思うか?という不安は、僕の中にはありました。だから僕の中では、髪色を金髪にして今流行の“K-POP風”、みたいなスタイルに近づけてみたりとか、さまざまなアプローチも試みました。

 その一方で本当に個性、バラエティ性豊かな出演者の方々がいらっしゃったので、あくまでも僕は一本の芯を持って、丈という役をぶれないようにと考えていました。だからあのシーンもふざけたような方向に行かないようにあくまで真面目、音楽に対して真面目な青年という映り方を心掛けたんです。でも結果的に「なんだよ、こいつこんなにマジだったのかよ!?」というお笑いになってくれればいいな、と。バランスという意味では、そんなふうに考えていました。

――ストーリーに乗っかろうとせずに、あくまで自分の道を貫いた、というか…。

 そうですね。まあストーリーは、逆にまわりの方がやってくれる作品だということは感じていましたし。僕はいってしまえば、最初に離れ孤島にいたけど、最終的にそこに戻っていく、という形になればいいな、という感じでやっていました。

――まさしくそれも、主役という役目の醍醐味ですね。また今言われたシーンとは対照的に、福山さんが一人でギターを弾かれたシーンがありましたが、コミカルな展開とは打って変わって、見ている側としてあのシーンで一気にグッとこみ上げるものがありました。そのグッと来た感じは狙いがあってのことだと思うのですが、そこに至るまでの経緯、裏話的なところをおうかがいできますでしょうか。

 ポイントとしてはいくつか存在しています。まずお芝居というところは、丈はなるべく感情を荒げない、それはそういったポイントが映画の後半に向けて、丈が抱えているものをお客さんに披露する機会があるということにつながるからなんです。

 最初にもらった台本では、声を荒げたり、“!”マークが5つもついていたり、そういった激しい描写のセリフが多く書かれていました。でも僕が作る丈という人間は、そんなに感情を表に出せるようなキャラクターにもしたくないと思ったんです。それはわがままな奴には見せたくなくて、かといって冷たい奴にもしたくないという、人間の微妙なところに挑戦してみたいという思いがあったからでした。

――微妙なところ?

 僕の好みと片づけられるかもしれないですが、基本的に熱演とか、涙を流すとか、そんなふうに人の心をあからさまに、視覚的にとらえられるお芝居というのは、逆に人に想像させる魅力に欠ける恐れもあると、僕はどこかでちょっと思っているので、なるべく抑制してやることを意識しているんです。そういう意味では、あのシーンでグっときた、と言われるのは本当に嬉しい感想です。

僕の理想のお芝居は、無表情で突っ立っている人を画面越しに見たときに、お客さんが笑ったり泣いたり、感情が動いてくれること。だからそこにちょっと挑戦してみたいと思っていました。

――演技としてはハイレベルな方向ですね。また今回の演奏シーンは吹き替えなしで撮影されたということですが、福山さんはギターの演奏を経験されていますが、ほかの皆さんはかなり猛特訓されたとおうかがいしました。皆さんで集まって練習されたりする機会もあったのでしょうか?

 クランクイン前にリハーサルはおこないました、1週間くらいで。まずは個別でそれぞれ練習をして、クランクインする2日前にみんなで集まって、合同練習をやって。ほかのみんなは本当に初めてだったので、個別にそれぞれに練習をする時間が5日ほど設けられました。

 僕は内心、みんなどんな感じになっているんだろう? とワクワクしていました。そして「どんな音が出てもいい、間違ってもいいから、一回音を合わせてみよう」と言って、初めてみんなで合わせた瞬間に、なんかみんな思わず笑っちゃいました。その瞬間がすごく楽しくて幸せだったというか。音はみんなぐちゃぐちゃなんだけど「これで行けるな」という感じがありました。だからそこで「ああ、こうやってバンドは始まるんだ」という、バンドの疑似体験みたいなことができました。

――それは貴重な体験でしたね。DROP DOLLは全員女子高生ということもあり、ストーリーは青春感の強い作品という印象もありますが、福山さんはいかがでしょう? 高校時代を振り返ったときに、同じように青春を感じたり、熱中されたものはありますか?

 いや~僕は高校一年から三年の間には、あまり友達と遊んでなかったんですけど…(笑)。実は家に帰って、ひたすら映画を見ていたんです。他の媒体でも語ったことがありますが、“高校三年間で映画1,200本を見られなかったら、僕は俳優としての資格がない”という自分のルールを作っていたんです(笑)。当然、途中“こんなことをやって意味があるのかな?”とか考えたときも、もちろんありました。見たいとも思わないのに見ている、という時期もあって(笑)。

――1,200本なんて目標があれば、それはそう思うこともあるかもしれませんね…。

 でも自分で決めたルールだから、これはちゃんとやらなければという意識でずっと。だから熱中していたということというと、ひたすらそういう作業をやっていました。。まあ彼女はいたけど、だからといってどこかにデートに行くということもあまりやらなかったし。

――なにか映画を見るということから、強迫観念みたいなものもあったのではないでしょうか?(笑)

 確かに(笑)。東京にいる同世代の俳優たちは、当時高校生だから16歳くらい。その頃からすでに現場に行って経験を積んでいる、片や僕は福岡のド田舎で、田んぼと山に囲まれながら、ちょっと離れた所にDVDのレンタルショップがあるような状況の中(笑)。なにかに触れあってないと、東京にいる同世代のみんなとは溝が深まっていく、という危機感みたいなものが、ずっとあった高校三年間でした。だから焦っていたし、明日が来ることが怖くて、なるべく今日が延長して蓄えられることがあるはず、となにかを探し続けた高校時代だったような気もします。

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