松下奈緒「全て集約されている」主題歌の持つ力、優しさに触れたBEGINの歌
INTERVIEW

松下奈緒「全て集約されている」主題歌の持つ力、優しさに触れたBEGINの歌


記者:桂 伸也

撮影:

掲載:19年02月22日

読了時間:約8分

「こういう作品に出会わなければ考えなかった」ことを、改めて意識させられた作品

――今作は非常に衝撃的なタイトルですが、反して原作はほんわかしたタッチの漫画作品ですね。原作は出演に際して読まれたのでしょうか?

 原作はあえて読まずに演じ、終わってから読みました。原作の少し可愛い感じの絵から、このタイトルにはびっくりしました。今回は、監督が脚本を書かれているので、それを頼りに演じようと、思っていました。

――映画完成後に読んでみてどうでした?

 作品全体としてほっこりする温かい感じはちゃんと受け継いでいると感じました。漫画、映画のそれぞれのイメージが、画は違いますけど、共通するところはたくさんあると思いました。

――映画を見た方の中で、男性はわりと感情移入して泣いてしまうというお話をうかがいました。反面、若い女性が見ると安田顕さんの演技が“マザコン気味”という意見もあると(笑)。松下さんが演じた恋人がいなければ引いてしまう、みたいな話もあるのですが、若い女性に見ていただくという部分で、松下さんの思いがあれば教えていただけますか?

 男性はいくつになってもお母さんが大好きなんだな、と思いました。でも、それを超えようとしちゃうとダメなんでしょうね。だからお母さんにはできないことを見つけて、真里のようにうまく“お母さんはああだったんだな”ということをもう一度実感させてくれる、そういうタイプの女性が近くにいてくれるといいんだけどな、と思いながら真里を作り上げていきました。

 私の周りでも、男性のほうが泣いていたというお話はうかがいました。お母さんの存在は偉大だと思います。なので、女性は男性よりどこか強いところがある。だからこそ、真里のように強いだけではなく優しさを見せることができると、すべてのことがうまくいくんじゃないかと演じたときに感じました。

――まさしく女性的な目線ですね。

 若い方にとっては自分の両親など大切な人を亡くすことは、もう少し先だったりすると思いますが、自分が年齢を重ねてくると、こういう作品をやらせていただくときに、親を亡くしたときや亡くなる直前にどんな風に接してあげることが一番なのかな?と考えるようになったんです。この作品を通じて、何が一番その人にとって幸せだったのか?ということを、考えなたいな、と思いました。このような作品に出会わなければ私もなかなか考えることはなかったと思います。

――母という存在に対して、男性だから、女性だからというお話がありましたが、松下さんが、「遺骨を食べたい」と思う存在というのはどんな存在でしょう? 

 私も両親の骨だったら食べるかもしれません。このタイトルを見たときに、加須kの遺骨を食べるかな、と周りの人に聞いたら、“食べない”“それはちょっと…”という人ももちろんいました。でも、私は自分の両親のものだったら食べるかも、と(笑)。当然食べるといってもバリバリは食べないですよ(笑)、安田さんが演じたサトシさんみたいに “存在を残したい”という思いで、舐めるくらいはするかもしれません。ちゃんと存在を自分の中に取り込んだと思いたいんです、他に方法がわからないですし。でも、そういうことはこのタイトルを見なければ思いもつかなかったですし、逆にそういうことに対しみんなどうするのかを知りたいと思いました。

――自分の思いを掛けるという意味の存在でも、お母さんの存在が一番ということですかね?

 そうですね。だからサトシさんのやられたこと、これだけ愛しているという証で、私からすると全然嫌に感じないんです。端から客観的に見ると、“お母さんが大好き過ぎての行動”だったのかもしれないけど、私からするとすごく自然なことであって、むしろサトシさんがそうであってくれたほうが、やっぱり真里さんはそういう人を好きになって良かったなと思える瞬間が来るんじゃないかなと思いました。

――自身に置き換えて考えた場合、もし実のお母さんのガン宣告を受けたら取り乱しますよね。

 そうでしょうね…でもどこか受け入れなければいけないという思いが勝つような気もします。もちろんそういう状況になったことがないからわからないですけど。でもそうなったときに、残された人生をどんな風に過ごしたいかを一番に考えてあげたいと思うようになりました。

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