石崎ひゅーい「まだまだ変わっていきたい」北海道での撮影が変えた「未来」
INTERVIEW

石崎ひゅーい「まだまだ変わっていきたい」北海道での撮影が変えた「未来」


記者:木村武雄

撮影:

掲載:19年02月03日

読了時間:約8分

共演者に助けられた

 撮影は昨年秋ごろ、1カ月現地に滞在しておこなわれた。石崎自身、映画の出演は2016年公開の『アズミ・ハルコは行方不明』以来約2年ぶりで、2度目。不慣れなところもあり、不安もあったというが、ライブなどで共演経験があるマキタスポーツをはじめ、和気藹々とした共演者に助けられたという。

 「最初はプレッシャーがありましたが、皆の輪に入ったら楽しくて仕方がなかったですね。撮影が始まる前から空気を作っていて、そこに入るだけ、というような現場で凄いなと思いました」。特にマキタは同じミュージシャンとして「気にかけてくれて、優しかったです」。

 先日おこなわれた舞台挨拶では、せたな町には宿泊施設が少なく、隣接町に分かれた泊まったことが披露された。繁華街がある八雲町にはマキタと岡田、高橋、そして石崎が泊まり、現場への行き来は同じ車でおこなっていた。

 そうした数ある思い出のなかで強烈に残っているのは温泉。数週間後、大泉と同じホテルに泊まることになった一同。初めてゆっくりと浸かれる温泉にテンションが上がったマキタが石伝いに歩いていたところ勢いよく転倒した。

 「マキタさんが石の上で、裸でスッテンコロリしているのが、こんなに面白いのかってぐらい笑いました。血を流していましたけどね。それと将生くんと努さんとでいることも多かったので3人で札幌に行ったりもしたので、仲良くなりましたね」

 誰も認める仲の良さだった4人だが、深川栄洋監督は「内輪のワルノリには終わらず、キャラクターの実在感に繋がっていたのは、やっぱり大泉さんの力」とも語っていた。

 「本当に凄かったです。印象的だったのは泣くシーンの前。さっきまで皆でふざけていたのに静かになって『え? なんでゲラゲラ笑っていたのに、いきなり静かになったんだろう、どうしたの、皆?』と思ったら、誰かが涙を流すシーンで、『あ、なるほど、このために空気を作っていたんだ』とその時に分かって、鳥肌が立ちました。みんなでリズムを整えていくというか、そういうのを自然にやられているのが凄い。勉強になりました」

食の恵み、4キロ増えた

 公私ともに友情を築いた今回の映画は、自然の恵みや食を通じて真の友情を描いているが、石崎はマネージャーと試写して涙を流したという。

 「試写し終えた時に嗚咽が止まらないぐらい大号泣しました。『なんでだろうな』と思ったんですが、何か足りないものを埋めてくれるような映画だと。東京で忙しく生活していると感じられないものというか、そういうものがいっぱい詰まっている映画だなって。そういうのを求めていると思うんです。求めているんだけど、東京で生活しているとその感覚が鈍る。そういうことを思い出させてくれる映画だと思いました。それと観ていてお腹が減る映画だな、お腹がずっと鳴るというか(笑)」

 舞台挨拶で深川監督は、「食材も主役なので、美味しさが伝わるように食べるシーンは何度も撮った」と語り、大泉も「やまの会の皆さんの差し入れが映えるのね。チーズフォンデュをトマトジュースで作って」とも述べていたが、石崎によれば、出演者は、大泉から盛大なおもてなしを受けたという。

 「(大泉)洋さんが『北海道ようこそ!』という感じで色々食べさせてくれて、そうしたこともあってかめちゃくちゃ太りましたね。4キロぐらいは増えたと思う、ビビりました(笑)。僕は食が細い方なんですけど、美味しくて食べちゃうんですよね。みんな仲良かったからみんなとずっと一緒にいて美味しいものが食べて一生懸命芝居をしてという日々でした」

 やまの会からも熱烈な歓迎を受けたという。

 「やまの会の皆さんが本当にウェルカムしてくれて、有機野菜や無農薬野菜などの大切さや美味しく食べる方法を教えてくれたり。家にも招いてくれて、シェフを呼んで作ってくれるんです。それがめちゃくちゃうまくて、最高でした」。

 そのお礼にマキタと石崎は即興で歌を届けたという。マキタの歌う姿をみて大泉が「最高だ」と涙し、そのあとに石崎が歌ってマキタが泣く、といった様子。ちなみに石崎が歌ったのは自身のバラード曲「花瓶の花」。「みんな酔っ払っていたんですけどね(笑)」というが、この経験も音楽への原点に帰れた経験の一つになっている。

石崎ひゅーい。都内でおこなわれた舞台挨拶

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