「スタートラインに立てないと思った」大きな旅の始まり
INTERVIEW

「スタートラインに立てないと思った」大きな旅の始まり


記者:村上順一

撮影:

掲載:18年10月08日

読了時間:約14分

音楽の力や役割り

高橋優(撮影=冨田味我)

――表題曲である「STARTING OVER」についてお聞きします。アルバムタイトルと同名曲ですが、どのような視点で書かれたのでしょうか。

 この曲では僕がやっているラジオ番組から見ているものを、そのまま描写してみようかなと思いました。番組のリスナーと電話で話すコーナーがあって、その中でついてなかった話しや失敗談が多いんです。くだらない話とかもしたりして笑い話で終わることもあるんですけど、最後にそのリスナーの方の聴きたい曲を掛けるんです。この話に合う楽曲を掛けるんですけど、その出来事がひとつ、曲とセットになって一話完結のドラマみたいになるんだなと思って。

――確かにシチュエーションとセットの感覚ありますね。

 音楽の力や役割りというのうは、意外とそういうところにあるのかなと。毎週番組をやっているので僕は当たり前のような感覚になりかけていたんですけど、リスナーの方にとってはキラッとした瞬間なのかなと思いました。全国の皆さんが自分のリクエストした曲を聴いてくれるわけで。ラジオから聞こえてくる音から曲が始まって、「音楽の役割りってあるんだね」というところや、自分も音楽をやっているし再出発の曲になれば良いなという想いを込めて書きました。あと、深夜の時間帯で高橋真梨子さんの曲とか掛かるとお酒飲みに行きたくなったりしますから。音楽を聴いてそのシチュエーションが欲しくなるというは音楽の力だと思うんです。

――逆に今作でこんなシチュエーションで聴いてもらえたらという楽曲はありますか。

 今、1人でバーに行って飲むことがあるんです。そういうところで掛けてもらえる曲って今までの僕の曲の中にはないから作ろうかなと思いました。普通のバーで掛かる曲ってムーディーなものが多いと思うんです。歌詞もあまり具体的じゃない方が良くて、しっかりBGMになる感じの曲が書きたいなと思って。それが「若気の至り」なんですけど。もう少しバラードっぽくすれば良かったのかも知れないですが(笑)。

――そういった狙いがあったんですね。さて、興味深い曲として「ストローマン」があるのですが、この曲の着想のきっかけは?

 僕は家にいる時はテレビもよく観ますし、寝る前にネットニュースもよく見るんです。その時に注目されている人が1週間か2週間で変わっていってるなと思いまして。内容はもちろん違ったりするんですけど、取り沙汰されなければいけない、誰かが悪くないとみんな安心しないのかなと感じたり。円の中心に当事者がいて僕らはそれを囲んでいる円だと思っていて、その観衆が当事者に謝らせろとか空気感を作っているのが怖くもあり、面白いなとも思い、曲にしてみようと思ったのがきっかけです。

――もし、円の中心に入ってしまったとしたら高橋さんはどうされます?

 円の中心の入り方にもよりますよね。結婚など幸せな出来事でだったら、いいですけど(笑)。不祥事でだったら落ち込むとかよりも、やってしまった場合はなるようにしかならない、みたいな。例えばSNSで炎上したりするじゃないですか? でも、あれってみんな心の声が垂れ流しになっているだけで、日常生活で街を歩いていて、何も起こってないような感じがします。みんなの気持ちがざわついているということが何か問題であるかのようになっていることに関しては、それで家とかが本当に炎上しない限りは、ネットとかで炎上しているぐらいでは何も起きてないのと同じじゃないかなと。

――確かにそうかもしれないです。あと、いい人の話ではあまり盛り上がらず、悪い人の話や悪口で盛り上がることが多いと感じていて、それも寂しいなと思って。

 そうですね。あと、例えば動画のタイトルに「衝撃」とか入っていると観たくなったりしませんか? 逆に「ほっこり」とかだと観るタイミングが限られてきたり。

――「衝撃」は観たくなりますね。

 それはみんなあると思うんですね。派手な人が1人いたら、それを取り囲む地味な人たちのざわつきという構図は今に始まったことではないんです。そこで歌い手はどちらかに立って歌ってはいけないんです。

――中立?

 中立というわけでもなくて、歌い手というポジションなんです。僕が好きな言葉に「歌は世につれ、世は歌につれ」というのがあって、世の中がどうこうなっている中でラブソングが溢れているのも疑問があるし、世の中どうでもいいとパンクみたいな曲ばかりになるのも疑問だし。色んなものが溢れていていいんですけど、シンガーの人たちは一歩引いたり、近づいたりしながら歌うものだと思うんです。誰の味方にも敵にもなるつもりもなくて、ただ「歌います」という感じで。

――その歌を聴いた人がどう感じるかですね。

 そうですね。さだまさしさんが「関白宣言」を出した時ってインターネットもなかったのに、女性たちの間で炎上みたいなことがあったみたいなんですけど、さださんはそれについて何も言わず、「関白失脚」というアンサーソングを出したんです。その内容は尻に敷かれている旦那の歌なんです。その構図はシンガーの一番クールな形だと思っています。歌に不快感を得た人たちをも最後は巻き込んで盛り上がる。さださんは関白亭主なのか、尻に敷かれるタイプなのかはわからないけれど、その両方を歌ったさださんを見てみんながクスッと笑った状況を作り出した。歌に出来ることという真髄は、そこにあるんじゃないかなと思います。僕は「こんな世の中なんか」と歌うかも知れないですけど、みんなで一緒に怒ろうとは言いたくはないんです。それを聴いてクスッと思って欲しいんです。

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