最高の自分たちを更新、LACCO TOWER 挑んでいくというロック
INTERVIEW

最高の自分たちを更新、LACCO TOWER 挑んでいくというロック


記者:桂 伸也

撮影:

掲載:18年08月22日

読了時間:約18分

冒険をしようとして、冒険をしていない

――先程記念日のイベントという話が出ましたが、去年は15周年、今年は16周年と、これを敢えて1年ごとに刻んでいるところにも、特別な思いがあるのかなと感じました。よくあるアニバーサリーイベントだと5年、10年と区切るようなバンドがほとんどであるような気もしましたが。

細川大介(撮影=冨田味我)

松川ケイスケ 僕たちは、意外と結成日というものを大事にするバンドというか。まあトルツメ今回のアルバムリリースもそうだし、バンドで大きい出来事は日々起こっているけど、いわゆるお客さんや外から見ている人たちにとっての、僕らのニュースごとみたいなところは、まあ永遠に形があるものじゃないと思っているので、変化しながら続いていくものだと思うし。そのそれぞれの瞬間はバンドとしても感じて生きたいと思っているんです。だから毎年、12年も13年も、14年もそうですけど、そういうイベントをおこなうようにしています。

――ライブの最後にも松川さんが言われていましたが「形あるものは、いつかは壊れる」という話がありましたね。一方でLACCO TOWERとしては、バンドとしてのスタイルというものも、ある程度確立していこうとする姿勢もあり、その兼ね合いというところはなかなか難しいところなのかな、とは思いましたが…。

松川ケイスケ いや、その意味では、僕らも変わっていってます。5年前にこんなことを言っていて、同じことをやっていたかというと全然そんなことはない。大介がバンドに入ってくれてからが一番変化は大きくて、そこから毎年ああでもない、こうでもないというのを自分たちで自問自答しながらやっていて、その意味でも形あるものって、無くなっていっていると思います。

 去年の僕らと今の僕らは違うし、ロックバンドとしてドンドンと変わっていくべきだと思っていて、それをしなくなったら…啓示がよく言うんですけど、ロックの定義ってバンドそれぞれ、人それぞれいろいろであること。多分LACCO TOWERがジャパニーズ・ロックバンドとしてカッコよくあり続けるためには、ドンドンと変わり続けて挑戦し続けることが、我々の答えなんです。だから僕らは、壊して作り、また壊して作るというのをドンドンとやっていくだけという感じですね。

――今大きな変化として挙げられた細川さんの加入に関してですが、細川さんご自身はいかがでしょう? LACCO TOWERの曲は、かなりプレーするだけでも難しそうな複雑さを感じたりもしますが、そういう部分では現在、迷いのようなものは無い向きに進んでおられるのでしょうか?

重田雅俊(撮影=冨田味我)

細川大介 そうですね。やっぱり僕が入って2枚目、3枚目くらいのアルバムまでは、LACCO TOWERのバトンを引き継いできたということを常に出すことを意識していました。だから前任ギタリスト、その前のギタリストの方についてもリスペクトしていますし、その人たちから受け取ったバトンを、すぐボク色に染めるのではなく、むしろしっかりその人たちの色を引き継ぎながら、演奏することをすごく頭の中に入れていました。

 でもここ3年くらいは、変な話それを超越して、やっぱり“もうLACCO TOWERのギターは俺なんだ”という思いは強く持っています。だからかなり好き勝手にやらせてもらっていますね。まあ、それを許してくれるメンバーで良かったとも思うけど(笑)

――なるほど。そして今回4枚目のアルバム『若葉ノ頃』ですが、今回の制作に関しては何か考えたり、バンドとして見られた変化などありましたでしょうか? 前作アルバムはバンドとしては初の外部プロデューサーとして亀田誠治さんを迎えられ、制作されました。今回はまた改めてセルフプロデュースでアルバムの政策をされたという違いもありますが、そういった部分で何か違いのようなことは思われましたか?

真一ジェット チャレンジという意味では、どちらかというと前作『遥』のほうが大きいです。あのときはやっぱりLACCO TOWERのもともと持っていたメジャー感というものをさらに出していこうというところ、“黒”と“白”でいえば“白”のほうに振り切った初めてのアルバムだと思うんです。でも今回はその流れを汲みつつ、前回は無理をしてこじ開けた感じに対して、今回は結構自然に出てきたものを収めていったアルバムだと思っています。

――最初に拝聴した印象として、もともと冒険みたいな部分というか、かなり複雑な構成の曲がLACCO TOWERのイメージとして印象を強く感じていたのですが、今回はそれと比較すると全体にシンプルになったイメージがあります。

真一ジェット “冒険をしよう”という意識のもとでの冒険をしていないというか。例えばアルバムの中の曲「狂喜乱舞」は変拍子だけど、最初からこういう複雑な感じにしようと思って作った曲ではなくて、結果的に変拍子が入った、みたいな感じになりました。

 そこは多分、目的として、曲を一番良く見せようとしたときに、その手法としてこうなった、という感じ。どちらかといえば今回は全部が、悩んで搾り出したというよりは、自分の中にあるものが滲み出て出きた、みたいな感じで作れたので、自然体で作れたな、という思いがあります。

――では表向きには、例えばご自身の作る方向性とか、曲作りに対する意思を変えたと周囲は見えるかもしれないけど、ご自身としてはむしろ、今までのやり方を発展させた、という感じなのでしょうかね。

真一ジェット それ以外に違いがあるといえば、タイアップが多いので、それに向けての意識はあります。そういう雰囲気も見えるところかもしれないですね。

――逆に真一さんの考えに関して“こういうサウンドでいこうよ”みたいなところは、今作でも周りからは特別なリクエストを行ったわけでもなく…。

細川大介 そうでしたね。やっぱり前回のアルバムを作ってから“こんな曲”というよりは、“こういうステージに上っていきたい”という思いを共通認識として持っていますし。

 多分去年の末くらいから、“もっと大きなステージに行きたい”という強い思いがあると思うんです。その意味では、すごく狭まった曲というよりは、外に広く向かって、大きい曲たちをこれからは絶対作っていくべきだという意志があったし、真一から曲が来た段階で“ああ、やっぱりこういう方向だよね”と皆で思いました。

――では、それに対して松川さんは、詞を作っていくだけと?

松川ケイスケ 確かに。曲を作っていく工程では、何かが明確に変わったということはそれほどなくて、今まで通りやっている中でバンドの意識的なところが変わっていったと思います。作品に向けてじゃなくて、バンド自体への意識的なところというか、そんな部分が、これまでより一段と統一されていた気もします。

この記事の写真

記事タグ 

コメントを書く(ユーザー登録不要)

関連する記事