藤岡孝章さんと藤巻直哉さんによるフォークユニット・藤岡藤巻が2月23日に、東京・青山のライブハウス「月見ル君想フ」で7年ぶりとなるワンマンライブ『藤岡藤巻ライブ2018 ~冬眠から目覚めたら冬だった~』をおこなう。藤岡藤巻と言えば、大橋のぞみさんと歌った映画『崖の上のポニョ』の同名主題歌(2007年)でも有名だが、藤岡藤巻自身は社会風刺した楽曲で中高年に人気を集めている。
7年ぶりとなるワンマンライブは、SHOWROOMでも生配信される予定。更に4月11日には、東京・代官山のライブハウス「晴れたら空に豆まいて」で男性限定ライブを開催することも決まった。ライブに向けていよいよ士気高める2人。東京・大森のライブハウス「風に吹かれて」でリハーサル中のところを訪問。楽曲の歌詞と同様、歯に衣着せぬ言いまわしでインタビューに答えてくれた。【取材・撮影=木村陽仁】
定年退職後の楽しみとして
――復活ライブということで宜しいでしょうか。
藤巻直哉 7年ぐらいやっていなかったので、復活なのか復活ではないのか、ただやっていなかっただけというところですかね。きっかけは、後輩に、ブリーフ&トランクスというバンドがいるんですが、メンバーの伊藤(多賀之)君に、1回一緒にやってくれと言われて。いわゆる対バンというやつですね。それで久々にやってみたんです。長い時間の出演ではなかったけど、案外ウケたので、じゃあワンマンライブをやってみようかということでやることになりました。
藤岡孝章 まあ、この歳になるとまわりがバタバタと死んじゃうんでね。死ぬ前にやっておかないと。死んじゃうと出来なくなっちゃうから。
藤巻直哉 追悼ライブになっちゃうから(笑)追悼ライブの前に復活ライブをねと(笑)。
――この7年間に楽曲は作っていたんでしょうか?
藤巻直哉 藤岡君はけっこう作っていたみたい。
藤岡孝章 今も新曲の話で盛り上がっている。
藤巻直哉 そうそう、2人合わせて130歳になったんですよ。
――私は今年で40歳になりますが、藤岡藤巻さんの歌はユーモアがあって面白いだけでなく、心にも沁みる曲もあります。
藤巻直哉 でもね。40歳ぐらいの、特に男の人には一番ウケない音楽なんですよ。
藤岡孝章 そうね、働き盛りの人にはね。
藤巻直哉 そう。働き盛りの人にはどうも反発されて。
――ですが、曲のなかでも特に「息子よ」はジーンときましたし、「娘よ」はゲラゲラと笑いました。楽曲でいろいろと風刺されていますが、このご時世だからこそ伝えたいものがあったのでしょうか。
藤巻直哉 このご時世だからこそ、というのはないけど。僕らは65歳で。2人ともサラリーマンだったんですけど、僕は定年まで勤めあげて、60歳になると会社からは戦力外通告をされるわけですよ。でもね、戦力外通告を受けたその日からいきなりガクっとくるわけじゃない。あまり変わらないわけですよ、体力的にも。少しはボケているかもしれないけどね。だけど、これから死ぬまでの間ってけっこう時間があるわけで。
例えば、僕たちの先輩の姿を見ても、ボランティアや町内会の行事に参加している、という話しか聞かなくて。先輩に電話しても「サンデー毎日なんだよ」とか。人によっては「全日空だよ」とかね。全日、空いているよという意味なんだけどね。なんかそれもどうなのかな、つまらなくないかな、とかね。まあ平均寿命がだいたい80歳というと、国は今ね100歳まで生かそうという政策もあるそうですけど、100歳まで生きるとしたら、60年定年だと、それまで40年あるわけじゃないですか。先ほどの平均寿命80歳と考えても20年はある。その間を僕ら同世代達に「楽しいことやってみない?」という感じの、呼びかけをしてみたいなとふと思ったんですね。
藤岡孝章 40代だとこういう話が一番面白くないでしょ(笑)爺さん同士でやってろうってね。
藤巻直哉 君ね、すぐだよすぐ(笑)。
藤岡孝章 今、彼らは日本を動かしているんだから、爺さんの暇つぶしなんて興味ないはずなんだよ。
藤巻直哉 それはそうだね。だから40歳代にはウケないんだよ。女の人もちょっと引いて見ているから。7年前の話ですけど、ライブには女性の方はほとんどいなかったから。
藤岡孝章 でも、僕らの活動ってボランティアでごみを拾ったりするのと同じで、好きなことをやっているという感覚だよね。
藤巻直哉 そうそう(笑)
藤岡孝章 ゴミ拾うことが好きな人もいるし、俺らが人前で歌を歌うのと一緒。
藤巻直哉 宮崎駿さんは近所の山のごみを拾ってるんですよ。たぶんその感覚。
藤岡孝章 全く一緒。
藤巻直哉 サラリーマンをやっている時から僕らは音楽をやっているんですよ。でもその時は、皆が麻雀やゴルフをやっているのと同じような感覚もありました。会社から戦力通告を受けた人がね、その後…。
藤岡孝章 40代からしたらそもそも戦力だと思っていない。
藤巻直哉 はははは。
藤岡孝章 戦力外通告というか、戦力になっていなかったという。
藤巻直哉 確かに(笑)現役の時から戦力じゃなかったですね。よく「じゅうごの守りを俺はしてるんだ」と言っていたんですよ。
――じゅうごの守り?
藤巻直哉 その言葉も知らないでしょ。僕ら終戦間もないときに生まれたので。
藤岡孝章 後方支援部隊のね。
――あ、「銃後」ですね。
藤巻直哉 皆が戦っているときに後ろでおにぎりを作ったりして、皆が戦えるように援護している。
藤岡孝章 入社から銃後の守りに入ったから。
藤巻直哉 そうそう(笑)
藤岡孝章 前線には出ない(笑)
藤巻直哉 出ない(笑)ずっと銃後。
藤岡孝章 さすがだね。それはもうサラリーマンとしては教訓かもしれないですね。前に出ちゃうと撃たれちゃうから。
藤巻直哉 だから、若くして出世した僕らの同期はたくさんいたんですけど、そういう連中に限って早くにへたってしまってダメになっちゃっているんですよ。僕は同期で最後に部長になったんですけど、当時、藤岡君は秋元康さんと仲良くしていてね。その時に「そういうのを『海の杭』って言うんだよね」と言われて、「どういう意味?」と聞いたら、海が満ちている時は目立たないんだけど、引き潮で海が引いたら杭が一本だけ立っているから、そういう事を指しているって。俺が部長になっちゃったときも「え? 俺…」みたいな。
藤岡孝章 干上がったから(笑)会社が干上がった。
藤巻直哉 満ちている時は目立たなくて、全然どこにいるか分からないんだけど、引いたら1本だけ立っている。「そういうのを『海の杭』って言うんだよね」と。「うまいことを言うな~」と思って。さらに「本当、藤巻さんは不戦勝の人生だよね」とも言われて。
藤岡孝章 うまいことを言うね、さすがアイツは伸びるね。
藤巻直哉 伸びるね(笑)アイツはプロデューサーとして伸びるかもしれないね、みたいな(笑)。
- この記事の写真
写真はありません