スティーブン・ノムラ・シブル監督と坂本龍一

 音楽家の坂本龍一が1日、東京・六本木で開催中の『第30回東京国際映画祭』内でおこなわれた映画『Ryuichi Sakamoto:CODA』の舞台挨拶に、スティーブン・ノムラ・シブル監督とともに登壇。フォトセッションでおどけた姿を見せたり、シブル監督をイジリ倒すなど、はしゃいだ姿を見せ会場を沸かせていた。

 映画『Ryuichi Sakamoto:CODA』は、音楽家・坂本龍一の真に迫るドキュメンタリー。2011年の東日本大震災や、2014年に中咽頭ガンなどを通して坂本の音楽表現と日常を、2012年から5年にわたる取材を通じて映し出す。『ロスト・イン・トランスレーション』などに携わってきたシブルが監督を務めた。

 登壇ではまず、映画祭より「時代を切り開く、革新的な作品を世界に発信し続けてきた映画人に贈られる」というコンセプトのもとに設けられた「SAMURAI賞」を受賞、感慨深くトロフィーを手にしながら「サムライという名に私がふさわしいかは大いに疑問がありますが、いただいてありがとうございました」と感謝の言葉を口にする。

 一方そのトロフィーを刀と見立てて、坂本はフォトセッションで切り落とすポーズなどを見せ会場を沸かせる。さらにトロフィーに刀のイラストがあるのを見て、「戦場のメリークリスマス」では刀で居合いをするシーンを回想。

スティーブン・ノムラ・シブル監督と坂本龍一

坂本龍一

 また、撮影現場でもたくさんの刀が扱われていたことを思い出しながら「みんな軍人さんなのでみんなで振り回して、刀曲がっちゃって。こういうの振り回したくなるので、危ないですから振り回さないでくださいね。そのころは今のように環境意識なくて、ロケ地となった南太平洋の島で木をバッサバッサ切っていまして。今は森林保護の活動もしていますが」などと映画の知られざるエピソードを振り返り、笑いを誘っていた。

 また、今回の映画製作に対し「自分の素顔をさらけだすとか、そういう趣味はない。じゃなぜこの映画を作ることを承諾したかというと、ひとえにシブル監督の二朗。日本人以上に腰が低く謙遜して、その人柄に惹かれて、この人だったら任せていいという気持ちになったんです」とシブル監督自身を持ち上げる。

 しかし実際の撮影時期を振り返り「当初はシブル監督も“こういうものにしよう”という計画があったでしょうか、撮っているうちにいろんなことが起きてしまい、収拾がつかなくなって、当初の期日は過ぎて、予算も膨らんで…」「僕が病気になった時にしめた!と思ったでしょう? ドラマチックになったと思ったでしょう?」と一気に下に突き落とす。さらに日本語が堪能なシブル監督に対し「英語と日本語で人格が変わるんですよ」と追い打ちをかけたり、フォトセッションでは絡んでみたりと、シブル監督をいじりまくっては観衆の笑いを誘っていた。

 また、この日挨拶をした舞台の、背面のスクリーンを見て「大きいですね。思い出しました、去年ここでゴジラを見たんです。ここに僕が映るとはいたたまれないですね。早々に引き上げますので、あとは皆さんの判断にお任せします」と最後のコメントを残し会場を沸かせていた。【取材・撮影=桂 伸也】

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