男性2人組アーティストの吉田山田が11月1日に、約1年8カ月ぶりとなる5thアルバム『変身』を発売。結成から8年、10周年を前に「変わること」が必要だと感じたと話す2人。今作の制作を終えて、吉田結威は「本当の意味で吉田山田になれた気がしている」と語る。山田義孝は自身と向き合えた1枚になったと言う。アコースティックツアーで収録曲も披露され、確かな手応えを感じている様子。これから2人はどのように変化していくのか、話を聞いた。【取材=長澤智典/撮影=片山拓】
「どういう覚悟で日々を生きるか」
――5thアルバムのタイトルは『変身』です。お二人とも、変わる必要性を感じていた?
吉田結威 僕ら、あと2年で結成10周年を迎えます。それまではすごく先のことだと思っていたのですが、今年の初め頃から「10周年へ向けての意識」が僕の中に、山田の中にも強く湧き上がり始めました。その10周年を迎えるにあたり、「今、何をしてなきゃいけないのか」を考えたとき、二人の中で「10周年のときに吉田山田としてこうなっていたい」というビジョンもしっかり見えました。ならば、「そこへ向かって、今やらなきゃいけないことを必死にやろう」ということになり、最初に必要な意志として掲げたのが「変身」…つまり「変わること」でした。そのうえで、今回のアルバム制作へと向かいました。
――10周年へ向かうにあたり、見えてきたことがあった。
吉田結威 具体的に「この場所に立っていたい」「こういう人間でありたい」ということも語れるのですが、それを公表してしまうと、それを実践することが全ての目的意識になってしまう。まわりも、そこだけを意識して応援していく形へ陥ってしまいます。僕らの願いとしては、具体的な目標を言葉にすることなく、いつしか理想とすべき場所に立っていたいし、求める人間像になっていたい。だから、あえて口には出さないようにしています。
――目指すべき姿や場所へ到達するには、自分たちを変えないことには難しいことだったと。
吉田結威 そうですね。もちろん、小さな変化は常に必要なことですが。目指すべき姿を求める上では大きな方向転換というか、目を向けるべき方向を変えなきゃと思いました。
――その意識は山田さんも一緒?
山田義孝 「10周年のときにこうなっていたい」という想いは、一緒です。これまでは各々として目標があった中、今回は吉田山田として向かっていくべき道筋を一つにしたことで、だいぶ考え方もシンプルになったというか。ステージって、人間的な部分がどうしても出てしまうんですよ。その上で辿り着いたのが「どういう覚悟で日々を生きるか」ということでした。
今までは表面的な部分で「こうしよう」としていたわけです。結局は、根っこの部分に人の生き方って全部出るんです。それがわかっただけでも良かったです。
吉田結威 僕らの、二人のミュージシャンとしてのスタイルはそこだなと思って。僕らが8年間活動してきた中、改めて「吉田山田らしさ」として感じたのが「人としての生き様を音楽を通して伝えてゆくスタイル」で。だったら、変な近道や抜け道を探すんじゃなく、王道として歩むべき道を一歩一歩しっかり歩いてくほうが僕らには合っているなという気がしています。
心の深い部分でみんなと繋がれたら
――『変身』は、自分たちらしい生き様を反映させた作品ということですね。
吉田結威 それも求め出して最初の作品になります。僕らの付き合いも15、6年になります。お互い尊敬し合える、互いに魅力を持ち続けられる人間でありたい気持ちをとても強く持っています。それを反映していく一つの手段として、僕らには音楽がある。そういう考え方がとても大きいんですね。だからこそ「どういう楽曲が出来た」ということよりも、「今、その楽曲と、自分たちがどういう意識や姿勢で向き合えたのか」ということがとても大事になっていく。今回のアルバムを制作していく上で、特に心がけていたのがそこでした。
以前は、「これは受け入れられるのか」「この歌はキャッチーなのか」「わかりやすい歌になっているか」など、いろんなことを考え過ぎていたし、考え過ぎるあまり、答えが見えにくくなっていた。今回は「その歌に対してどれだけ自分たちが(裸の心で)向き合えるか」が大切になっていました。だからこそ、お互い「こういう意識で向かえばいいんだ」とシンプルな姿勢で楽曲と向き合ってきたし、そうやって作り続けたのが『変身』というアルバムなんです。
――小さい頃のおねしょ癖のことを歌った「しっこ」も、自分と対峙した上で生まれた楽曲ですか。
山田義孝 そうです。もちろん対峙していくのも大事ですけど、自分をさらけ出す気持ちになっていたら自然とこういう歌もさらけ出していたなっていう(笑)。今回のアルバムに収録する楽曲を作る上でも、自分の弱い部分や、ダサい気持ちさえも素直に吐き出したほうが自分自身の心に響く歌が生まれるというか。「自分の感情に嘘をついてないな」と思いながら楽曲を作り続けていく中で「しっこ」のような歌も生まれました。
――山田さんは、自分の気持ちを素直にさらけ出す姿勢で楽曲制作へ向かっていたわけですよね。
山田義孝 はい。「こういう人に聞いて欲しい」「こういう気持ちになってもらいたい」という感情ではなく、自分の内面を掘り下げた言葉を選び出すことへ没頭していった結果、生まれたのがアルバムに収録した曲たちでした。
出来上がったアルバムを聴いたときには、「これ、親にも聞かれるんだ…(気恥ずかしいあまり)あまり聞いて欲しくないな」と思ったりもしたのですが。そう思えたのも、自分の良い部分だけではない面も表現出来たからこそ。この作品に関しては「伝わって欲しい」よりも、「心の深い部分でみんなと繋がれたらいいな」と思っています。
――山田さんが作った「宝物」や「化粧」には、親に向けて感じている自分自身の心の本音を記しているように感じます。
山田義孝 自分は親に対してこういう想いを持っているんだな、というところですよね。こういう気持ちって、面と向かって親には絶対に言わないことで。親に贈ろうとも特に思ってはいないんですけど。でも、歌として生み出しておきたかった意識が強かったからこそ、こうやって作ったんでしょうね。
僕自身、「いいな」と思ったことはしっかり形に残すことを大事にしています。例えば、「しっこ」の様なおねしょを題材にした楽曲でも、普通だったら「これはボツ曲だな」と、頭の中のゴミ箱へポーンと入れちゃうと思うのですけど。メロディーが癖になるくらい良いメロディーで頭の中をリピートしていたからこそ、「これはシングル向きではないけど、いい曲だから形にしよう」という気持ちから曲として残した結果、こうやってアルバムへ収録するにまで繋がったと。僕の場合、「こういう曲を作りたかった」というよりも、「こういう歌が生まれた」という感覚が一番近いんでしょうね。
――感覚的なものとして歌が生み出されたと。
山田義孝 ですね。じつは「日々」も、そういう感覚で作り始めた歌なんです。パッと生まれた瞬間、「こればおじいちゃんおばあちゃんの歌だし、シングルっぽくないなぁ」という想いからそのまま頭の中のごみ箱へ入れていたら、今のような結果には結びつかなかった。
「日々」は、「こういう気持ちで聞いて欲しい」ではなく、想い浮かぶままに書き綴った曲。それが認められたことで、「あっ、こういう形で歌を書けばいいんだ」と思えた面があったのは確かです。だから、どんな印象を覚えようと、どんな楽曲だろうが、頭の中のゴミ箱に入れることなく、まずはいろいろ試すようになったんだと思います。
――「しっこ」は、ライブでも観客が一緒に歌ったりと熱い盛り上がりを見せる楽曲として早くも成長していますよね。
吉田結威 山田は、もっとライブでも格好良く決まる楽曲だと思っていたらしいのですが。まさか、各地であんな爆笑を導き出す歌になるとは…僕は、そうなると思っていました(笑)。それでも「しっこ」があれだけライブ受けしたのには、僕も正直ビックリしちゃいました(笑)。
山田義孝 「しっこ」のような歌を残せて良かったなと思っています。
深く掘り下げていくと理由は絶対にある
――両親への想いを綴った「宝物」は、自分でも身近に受け止められる内容だったせいか、「そうだなぁ」と強く実感しながら聞いていました。
山田義孝 この曲も、「どういう想いで聞いて欲しいか」ではなく、湧き上がる気持ちのままに作った楽曲ですからね。
――「日々」を筆頭に、無意識の中で作り上げた楽曲ほど、触れた人たちの心に響いていく歌になっている気がします。
吉田結威 山田の曲作りは、まさにおしっこみたいなもの…排泄作業みたいなもの。
山田義孝 それ、もうちょっと良い言い方してよ。
吉田結威 おしっこを我慢していると病気になるじゃないですか。それと一緒で、山田は生まれた曲をあーだこーだと変な理由をつけて出さずにいると、だんだん心が疲弊していくタイプ。そこは、僕も同じなんですけど。それこそ「しっこ」にしても、内容がどうこうよりも、どう楽曲を格好良くアレンジしていくかが大事なことでした。結果、アルバムに入れるに値するクオリティに仕上がったし、実際に格好いい楽曲として生まれたなと思っています。難しいのが、「こういう気持ちを吐き出したい」という感情と「その気持ちに共感して欲しい気持ち」とのバランス。そこはつねに、表現していく上で難しさを感じることですね。
山田義孝 そうだね。
吉田結威 どっちかだけでは絶対に駄目なんです。よく山田は「この曲を作った理由はない。思いつきだ」と言うのですが、深く掘り下げていくと理由は絶対にあるんですよ。それが、過去にあった一場面だったりして。
「それをなぜ形にしたいと思ったのか」ということは、僕らミュージジャンにとって一生つきまとう命題。その題材が何であれ、ひっかかるものがあって生み出す楽曲こそ、名曲を作るコツ。同時にそれが、自分のことを知るとても大事な作業でもあるなと僕らは思っています。
――その根源をしっかり見つめていくことが大切なんですね。
吉田結威 「なんとなく生まれました」という理由だけでやっていては、何も積み重なってはいかない。「なぜ、この曲が生まれたのか」「なぜ、この言葉を使ったのか」、その理由を自分たちでも改めて考えることに意味があると思いながら、今の僕らは楽曲を作り続けています。
――それぞれの楽曲が生まれた理由を自分たちで裏付けていくのも大切なんですね。
吉田結威 大切だと思います。今までは「何となく出てきた」という理由をもとにしながらも、その楽曲にヤスリをかけながら綺麗に仕上げることへ全力を注げば良かったのですが、今はそれだけじゃ駄目。「何故、その楽曲が生まれたのか」へしっかり対峙していかないと、次のステップにはいけないと思っていて。今回のアルバムに収録した曲のどれもが、今の吉田山田の全力であり、そういう意識で作った実験的な作品でもあるんです。あとは、これをいろんな人たちへ届けたときにどんな反響が返ってくるのか…。
山田義孝 心が変わっていくことでキャッチする言葉も変わってきたなとは、自分たちでも感じています。常にアンテナを張りながらも、「あーしないと、こーしないと」と思っているよりも、自分と向き合うことを心がけているだけで、意識しなくとも、今までとは引っかかる言葉が違ってくる。あとは、それを忘れないようにしっかりメモしていけば良いことですから。
――アルバムのリリース前に、アコースティックなスタイルによる全国ツアーをおこないました。このツアーでは、新曲を一足先に披露し続けてきました。ファンのみなさんの反応はいかがでしたか?
山田義孝 わかりやすく、大きく反応を示してくれるのは「しっこ」ですね。でも、改めて感じていたのが、僕らのファンって「言葉を大事にしているんだなぁ」という気持ちです。たとえ盛り上がる楽曲だろうと、一言一言を漏らさないようにしっかり聞いてくれる。それくらい吉田山田のファンたちって、歌詞を大切に聞いてくれているなぁと、このツアーの中で感じ続けてきました。
吉田結威 普通なら、その作品を発売した上でライブをおこなうわけだけど、今回は、あえてリリース前に新曲を披露するかたちで。どういう反応が返ってくるのか正直わからなかったんですけど、ツアーを通して感じ続けたのが、「しっかり届いてるな」ということでした。
僕的に新鮮だったのが、泣くわけじゃないけど、しっかり両足で立ちながらも感動してくれているんだなという気持ちが伝わってきたこと。何かを思い出し、その曲とその想いを重ねワーッと泣いてしまうのではなく、僕らの楽曲を聴きながら「明日からまた頑張ろう」「明日からまたしっかり歩きだそう」と思ってくれる人が多かったなという印象なんです。吉田山田の歌が、心に何かしらの変化を与えている。そう思えたことがとても新鮮でした。
山田義孝 確かにね。
吉田結威 これまでって、たとえば「日々」で涙を流して聞いてくれる人たちを見て伝わってる喜びを覚えたり。それこそ吉田山田の場合「泣ける歌」という面がクローズアップされがちでしたし、僕ら自身もバラードを歌いながら、お客さんたちが聴きながら涙を流してないと「今日は伝わらなかったのかな?」と考えがちな面もあったんです。今回のアコースティックツアーにおいては、バラードを歌っている間、物思いにふけったり、真剣な表情をしている顔を見る度に「ちゃんと歌が心に届いてるな」という実感を得てきました。それが涙という形ではなかろうと、ちゃんと心に響いている。そう感じる場面を多く抱けたことも印象的でしたね。
本当の意味で吉田山田になれた気がしている
――改めてアルバムは、今の自分にとってどんな作品に仕上がりましたか?
山田義孝 限りなくドキュメンタリーに近い作品になったなと思います。次のステップへ進むうえでも、今ある感情をすべて吐き出す作業をこの『変身』というアルバムで出来たように、僕にとっては作品というよりも、心の記録のような1枚になりました。
吉田結威 これからの吉田山田を成すスタイルのきっかけとなるアルバムだなと僕は思っています。先に語ったような意識になったことで、本当の意味で吉田山田になれた気がしているんですよ。今はどんな作業をしていても、とにかく楽しいですからね。
よく言うじゃないですか、クローゼットの中の着ない服を断捨離しないと新しい服が入らないと。だったらクローゼットを大きくすればいいという話なんですけど。でも、やっぱりそういう理屈ではなく。その表現が稚拙だろうと、心の中にある想いを自分なりにしっかり出すことで、自然と必要な服がクローゼットの中で入れ代わっていって、その隙間の中へ詰め込まれてゆく。その作業をしていくことを今は楽しんでいます。
――お二人とも、今は自分自身としっかり向き合えている感覚なのでしょうか?
山田義孝 僕の場合、あまり自分のことを考えることって今までなかったから、自分と向き合うこと自体がとても新鮮なんです。と言うのも、そうすることで物事の見え方がちょっと変わるじゃないですか。だから制作もライブも、今はその新鮮な気持ちで向かっています。
ただ、まだまだ自分の理想とする姿との距離はけっこう開いているので、そこを縮めたいな。そこをもっとしっかりキャッチしたいなとも思っています。
吉田結威 20代の頃だったら、そこまで心の器が広くなかったから難しかったかも知れないけど、今は自分の情けない面や足りない部分も含め、今の自分のすべてを受け止めるだけの度量があるからこそ、自分のことを知れるのはとても楽しいなと思っています。
――アルバム発売後は、バンドスタイルでの全国ツアーが始まります。
山田義孝 アコースティックツアーのときは、言葉どころか、それを発する吐息までを生々しく伝えてきたんです。バンドスタイルの演奏になると、その音の中へ飛び込んで聞ける感覚っていうのかな。音で気持ちを包み込む感覚で楽しんでもらえるんじゃないかと思っています。
何より今の僕ら自身が、心の内側に革命が起きていることを実感していて、それが歌の表情として生まれ出ているのも感じているんですね。その変化は、今回のツアー中にもどんどん生まれていくと思います。僕らがどんな顔で歌っているのかをぜひ確認しに来て欲しいなと思います。
吉田結威 その形がアコースティックだろうとバンドスタイルだろうと、一番の軸になっているのは僕ら二人の歌だと思っています。アコースティックツアーのときは、僕ら二人の歌声とアコギの音が生み出す化学変化というか、丸裸な歌の中で生まれる化学変化を僕ら自身、毎回楽しんできました。
今回のバンド編成では、人数や音も増えることで舞台上で起こる化学変化の量も多くなっていく。僕ら自身、そこで生まれる変化をキャッチしながら楽しむつもりでいます。やはり一番大事なのが、僕らの歌声なんですよね。その芯となる部分は、アコースティックだろうとバンドであろうと変わることはないです。
――お二人の歌声をどう味わうか。そこが生まれる表情をどう感じるか。要は、そこですからね。
吉田結威 どれだけ歌に命を込められるか。それって、小手先だけでは絶対に出来ないこと。歌には、自分の信念や生き様が出てくるもの。その場で取り繕えるものではないからこそ、それをどう出すかという課題はとても大きなことだけど。今の吉田山田はそこをしっかり伝えていくことが何よりも大事だし、そうしていくべき時期に差しかかっているなと感じています。
山田義孝 自分の生き様や信念を歌声に乗せて響かせていくことが、今は何よりも大事だからね。
吉田結威 そこを今回のツアーでも一番大切なテーマに据えながら歌を届けて、そこで生まれるものを僕らも楽しみに掴んでいこうと思っています。