孤独が人を結びつける、半崎美子 泣き歌の原動力は「人」
INTERVIEW

孤独が人を結びつける、半崎美子 泣き歌の原動力は「人」


記者:村上順一

撮影:

掲載:17年10月25日

読了時間:約12分

 約17年におよぶ個人活動を経て、今年4月にミニアルバム『うた弁』でメジャーデビューした、シンガーソングライターの半崎美子。リスナーの心に寄り添う歌は“泣き歌”とも称され、ライブ中やイベント後のサイン会では半崎を前に涙ぐむ人も。彼女が作り出す歌の数々はリスナーの体験談に基づくものが多い。いわば歌そのものがノンフィクションドラマと言えるだろう。人との繋がりが希薄になっているとも叫ばれる昨今。ショッピングモールなどで地道に活動し、多くの人に向き合ってきた半崎だからこそ感じる想いはあるはずだ。「自分の曲が自分よりも長生きしてほしい」という思いを胸に活動を続ける彼女がいかに歌に出会い、歌と歩んできたのか。そして、歌に何を託し、何を伝えようとしているのか。間もなくデビュー半年を迎える今、その想いを聞いた。【取材=村上順一/撮影=片山 拓】

カーペンターズを聴いていたことが今の自身を形成

――『うた弁』でメジャーデビューして半年が立ちました。インディーズ時代と比べて変化はありますか?

 変化は沢山ありますが、曲作りやライブにおけるスタンスは全く変わりはないです。メディアへの露出や、今日のこういった取材の機会を頂けるのはインディーズ時代では間違いなくなかったです。

 もちろん、これまでの個人活動でも自分でアタックしてラジオに出させて頂くことは多少ありましたが、歴然とした差はあります。ショッピングモールをまわる活動は、個人の頃からずっとやってきていて、それはメジャーになってからも変わらずやり続けていますが、明らかにモールに足を運んで、自らの意思で直接、生の歌を聴きに来てくれる方の絶対数も凄く増えました。

 今まではモールでどうやって人を集めよう、どうやったら沢山の方に聴いてもらえるだろう? とやってきたところはありましたけれども、今では会場入りした時点で皆さん席に着いて待っていてくれたり、明らかに楽しみに来て下さっているのは分かります。モールの景色は凄く変わりましたし、それは実感していてやっぱり大きいです。

――ショッピングモールでは、人の足を止めるために、椅子の配置にもこだわった、という点は印象的でした。

 椅子を何列置いて、ここに通路を作ったら一番前に座りやすいかとか、そのステージの形状によって、椅子を横に広げた方がいいのか、縦に広げた方がいいのか、周りのお店がどれくらい近くにあるのかなどで変えていました。お客さんがどうやったら歌に集中してくれるかということを考えています。

半崎美子

――動線が重要なのですね。

 そうです。あと360度の会場の場合は、後ろで人が動いていると観てくれる人が集中できないので、後ろにパーテーションを作ったり。今までは、自分自身が2時間前に会場入りして、セッティングして並べてポスターを貼ってとずっとやっていたので、大量の荷物を抱えて会場に入っていました。なので、控室にいる時間がほとんどゼロだったんです。

 いまでは控室にいさせていただけるようになって、こうした過ごせる本番までの時間は凄くありがたいです。でも、ちょっと前までは、どうしても気になってステージを見に行ってました(笑)。今はもうスタッフさんに信頼を寄せているので、見に行かなくはなりましたが(笑)。

――幼少期の頃からご自身で全部やるような性格だったのでしょうか。

 全然そんなことはなくて。追求し始めたのは、個人で音楽活動を始めてからです。

――音楽を始めたきっかけは、学生の頃にDREAMS COME TRUEさんの曲を歌ったことだったそうですが、何か感触があったのですか?

 歌ってみて手応えを感じました。歌ったのが学園祭でして、そこで優勝しまして。大学1年生のときに、クラブでR&Bを歌っていた友人がいて、その子に誘われクラブでR&Bを歌い始めて、その時に「これは私の生きる道なんじゃないか」というのを感じました。それですぐに大学中退を決意して…。

――すぐに行動に移されたんですね。そうした行動派的な性格は昔から変わらないですか。

 行動派という点では変わりません。ただ、幼少期はもっと飽きっぽかったんです。なので、行動派ではあるんですけど、すぐに新しいものに目がいくので、何でも途中でやめたりして。

――ピアノもやられていたみたいですけど、それも飽きてしまって?

 そうそう。だから何に対しても好奇心は旺盛なんですけど、興味の方向がどんどん変わっていくタイプでした。なので、音楽のように一途に続けられたことは、まずなかったです。

――聴く音楽のジャンルにも変化があったのでしょうか?

 ありました。北海道に住んでいたときは私自身がCDを買っていたというよりも、姉が持っているCDを聴いていました。それがドリカムさん、渡辺美里さん、カーペンターズでした。それを主に聴きながら母が歌謡曲を聴いていたので、私も自然と好きになり聴いていました。そこから大学に入ったときにソウルを聴き始めたり、ロックやヒップホップ、レゲエも聴きました。

――幅広いですね。

 今の活動の根幹になっている「自分の曲が自分よりも長生きしてほしい」と思うようになったきっかけが、カーペンターズを聴いていたときなんです。当時はカレン(カーペンター)さんが亡くなっているということを知らずに聴いていまして。

 のちにカレンさんが亡くなっていたことを知って…。でも、亡くなっても作品として残っていくことが出来るということに気が付きました。それはカレンさん自身が、作品の中で生き続けているからであって、音楽が素晴らしいからなんだなと思って。その経験と気づきが、今の自分の作品に影響していると思います。

 それは本当に難しいことですが、世代を超えて、時代を超えて必要とされる曲を書いていかないと、それは残ることは出来ないと感じています。

――楽曲を作るときは、そのような事を考えながら作っている?

 意図的に考えて作詞・作曲をしていることは、ほぼないです。ただ、そういう想いは根底にあって曲を作り続けているので、曲のどこかしらにそういう想いは含まれているかもしれないです。溢れたものを形にして、あまり手直しせずに出しているので。

――曲を作る時はライブ終わった後とか、散歩している時とか、どういったシチュエーションが多いですか?

 そうですね。移動中に思い浮かんだらボイスレコーダーに録音して、後はスタジオでキーボードに向かったときに出てくることが多いです。お客さんとのサイン会での対応であったり、お手紙を頂いたりというのが、自分の中で沈殿していて、どこかのタイミングでぶわっと溢れ出るんだと思います。

場所ではなく重要なのは人との出会い

半崎美子

――ショッピングモールは相当な数を回られていますよね。特に記憶に残っている場所はありますか?

 それは物凄くありますが、はっきり言ってしまいますが、その会場とか土地にはないです。そこで出会った人の印象しかなくて、そこでの出会いによってその会場の記憶や想い出は深くなります。

 例えば宇都宮ベルモールにまた行きたいなと思いますが、なぜ思うのかは、そこであるご家族に出会って「明日へ向かう人」という曲ができたからです。ショッピングモールでの出会いは、他にも沢山あります。1年後に行ったときにまた来てくれて、そこで再会してというのが全国各地にあります。

――場所ではなく出会いが重要なのですね。

 はい。逆に全く人がいないショッピングモールに行ったとき、例えばお客さんが2人ぐらいしかいなくて「どうしよう」と困ったときもあります(笑)。チラシを配るにも人が通っていなくて、モールで働いているショップの人を誘って聴いてもらったり(笑)。本当に、困ったときはお店の人です。気軽に買える商品のお店だったら、商品を買ったりして。

――持ちつ持たれつですね。

 そういうのはお祭りで鍛えられました。お祭りやイベントに歌いにいくと周りにたくさんの屋台がありますよね。屋台の人にも聴いてもらわないといけないとか…。お客さんが少ないと屋台の人にチラシを配りに行くんですけど、最初はただチラシを配っていただけですが、これじゃダメだと。まず「買わなきゃ」と思って、大量にお団子とか買ってました。

 それからチラシを渡して、そうすると「じゃあ」ということで皆さん聞く耳を持ってくださったり。そうすると後でお店を抜けてCDを買いに来てくれて。買い物に来ている方たちだけでなくて、警備している方とか、掃除しているおば様が、普通にライブを聴いてCDを買いにきてくれます。

 音響をやってくださってる方もそうですし、本当に誰がお客さんという隔たりはないです。あらゆる方たちに聴いてもらいたいと思っています。なので始まる前にお客さんがいないと必死でそういうことをやっていました(笑)。

――諦めないんですね。

 そうですね。「腹をくくれば、少ない人数でも歌は届くんだから」と言われたこともあるんですけど、私はギリギリまであきらめずにねばります。せっかくこの会場に直接歌を届ける機会をもらえたんだからと。30分の間にどれだけの人が私の歌に直接触れてくれるんだろうと考えてしまうんです。

 今逃したら次いつ来られるか分からないし、この30分に私は懸けているから、とにかくできる限り多くの人に聴いて欲しいという思いがあって、必死だったと思います。チラシ配りも凄く大事だったし、「この時間にこのステージでライブがあります」という影アナウンスのも大事だし、色んな事を考えながらやっていました。

――「感謝の根」のMVではそのショッピングモールでの様子が見られますね。

 本当に毎回ああいう感じで。笑顔だった方も途中で涙を流されたり、サイン会の時にご自身の気持ちの内を涙ながらに打ち明けてくれたり。そういった方との時間を凄く大事にしたいです。

 私のサイン会はただサインをして、握手してありがとうとやるものではなく、心と心で対話をしてお互いの意思を受け取りあって、気持ちを発信したり、受信したりというコミュニケーションが重要なんです。なので握手会は凄く時間はかかるんですけど。

――ご自身の中でライブの意義とはどういったものでしょうか。

 ライブで直接歌を届けるというのは、私の活動においては絶対の主軸となるもので、それだけは私の人生において外せません。自分自身の生きがいでもありますし、そこでダイレクトに直接歌を届けて、直接受け取ってもらう。その気持ちが直接届いた瞬間はステージで歌っていても分かります。

 表情だったり、サイン会でもそうですけど。やっぱりあそこでもらえるものというのは私自身凄く大きいです。だから、細かくモールやコンサート会場を回って、小さなお子様連れの方、ご年配の方、遠くまで足を運べない人も、地元のモールだと来られますし。

――嬉しかった出来事は?

 この間も左半身に麻痺があり、ずっと外出できなかったという方がいらっしゃいまして、私のライブに来るために外出できるように頑張りましたと、そのお話を聞くだけでもう本当に有難くて。

 あとCDを初めて買いましたとか、そういう方も沢山いらっしゃって。普段ライブも行ったことがない、サイン会にも並んだ事がないという方も凄く多くて。ご年配の方で、「どうしてもあなたに直接お会いしたかった」とか「お礼を伝えたかった」と言われるだけで泣けてくるし、それだけ私よりも年齢を重ねている大先輩の方が私の曲で何か感じてくれる、人生の経験を私の何倍もしている方が、歌に共鳴してくれたというのは本当に嬉しいです。

――きっと歌声から半崎さんの人間性を感じて見に来られるのでしょうね。歌と人間性が一致しているといいますか。私も声を聴かせて頂いたときに、どこか母親みたいな感覚がありました。

 母性があると言われることはよくあります。そういう包容力みたいなものが歌にでたら凄く良いなと思います。

自分自身を理解するのも他者の存在があって

半崎美子

――多くの人に向き合ってこられた半崎さんだからこそ聞きたいことがあります。「人」に対して普遍的なものは何かありますか?

 私の歌に感動して、並んでくださる方には絶大な信頼を寄せています。なので、サイン会の時などの私は、心を開いています。

――人の表情を変わる瞬間は様々あると思いますが、なかには心を閉ざしている人もいるかもしれません。そういう人が心を開いた瞬間というものも見ている?

 あります。お話ししている中で、涙を流す人、言葉にならないけど噛みしめながら堪えている方、サイン会で私の前に来たときに、お互いに通じ合って2人で長く無言のまま泣きあうこともあります。本当に不思議なんですけど。

 自分の歌に何か共鳴してくれている人に絶対の信頼を置いているから、私自身が開いているものがあって、その方が何か打ち明けてくれた時に、心としてお互いに共鳴できるんだなと思いました。

――人は愛に飢えていると思います。

 他者と繋がりたい欲求はもちろん凄くあると思いますし、孤独が人を結びつけると私は思っています。そういう意味では私の曲そのものは、テレビというよりもラジオに近いかもしれないです。みんなで見るというよりも一人で聴く。だからこそ結びつきが強いのかなと思います。

――17年前に比べてお客さんの変化はありますか。

 あります。私自身も曲自体が変わっていっています。最初の頃に作っていた曲は、もっと自分の気持ちを表に出すみたいに、“私は私は”という曲が多くて。ショッピングモールをまわり始めてから、受信する力が芽生えて。誰かの気持ちに寄り添ったり、誰かの気持ちを受け取ったりという力が芽生えてからは曲が変わってきました。そうすると、曲を求めてきてくれる方たちも凄く変化していって。

――現代はSNSがコミュニケーションの一つになっていますが、人との繋がりが希薄になっているとも言われています。

 私もどちらかというと、そういうイメージがあります。だからこそ、私の今の自分の活動が世の中に何か良い作用を生み出せるのではないかと、自分自身の希望もあります。人と人が出会ったりそこで対話をしたり、コミュニケーションをとるというその何か尊さみたいなものが、私自身、歌を通して実感しています。

 私は、もっと貪欲に人と出会いたい、コミュニケーションをとりたいという気持ちが強いので。自分は歌の力を借りてそれをどんどん広げていきたいですし、大勢の人たちというよりも、一人ひとりと対話をするような気持ちで曲も書いていきたいですし、ライブも届けていきたいです。

 自分が誰かに必要とされることへの喜びだったりとか、自分自身の存在を肯定する生き方をしたいです。そういう意味でも結局、自分自身を理解するのも他者の存在があってなので。人との関わりによって自分のことも知れるし、自分の内面も知る事ができる。どんどん積極的に人と出会って対話していって、沢山の方と一緒に心を開放していきたいという気持ちがあります。

――さて、11月4日にEX THEATER ROPPONGIで『うた弁』ツアーのファイナル公演があります。すでにチケットはソールドアウトのようで。

 赤坂BLITZで3年間やってきた、観たい人全員に観てほしいと思っていた、自分の1年に1回の集大成がこんなに早く売り切れたということに嬉しいと思う反面、もどかしいという気持ちがあります。その為に次回の公演は早めにツアー会場を押さえさせていただいたのですが…。

 今回は『うた弁』のツアーファイナルでもあるんですけど、毎回コンサートはテーマを決めています。前回は砂時計がテーマで、2時間半を自分の人生と重ね合わせてやりました。

 全編を通して土の中をイメージして、曲を並べたりしていて、その中で17年活動してきて、やっと土から顔を出した。土の中でずっと根を張り続けていた個人での時間、そのときも土の中に光は差しましたし、希望の歌が生まれて。しっかり季節も感じて、土の中で私は息をしていて、失敗だったり苦難が養分になって、少しずつ花を咲かせる準備はしていた、その17年間を今回のライブで表現したいです。

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