音楽を諦めかけたことも、村上佳佑 遂に立てたスタートライン
INTERVIEW

音楽を諦めかけたことも、村上佳佑 遂に立てたスタートライン


記者:村上順一

撮影:

掲載:17年06月14日

読了時間:約14分

シルキーで包み込むような歌声が話題の村上佳佑。今後の展望とは

 シンガーの村上佳佑(27)が6月14日に、メジャーデビューミニアルバム『まもりたい〜この両手の中〜』をリリースした。大学時代にアカペラグループA-Z(アズ)でフジテレビ系番組『ハモネプリーグ』に出演し、史上最高得点で優勝。その後もプロを目指して活動していたが、なかなか芽が出なかったという。昨年からテレビCMで同曲がオンエアされ、そのシルキーで包み込むような歌声が話題となっていた。デビュー前から佐藤竹善のカバーアルバムや、クリス・ハートのツアーにも帯同し活動の場を広げる。今作ではA-Zのメンバーによる一青窈の「ハナミズキ」のカバーも新たに録音している。作品としては自己紹介も兼ねた曲を収録しており、活動の時系列を感じられる作品に仕上がった。今まで、影響を受けたアーティストや、楽曲の制作背景、A-Zのメンバーとの再会、今挑戦したいことなど話を聞いた。

「音楽をやめないといけないかな」という時期も

村上佳佑

村上佳佑

――メジャーデビューを14日に控え、現在の心境はいかがですか?

 もともと19、20歳の頃にA-ZというアカペラグループでTV番組『ハモネプリーグ』に出させて頂いて、プロを目指してずっと音楽をやっていたのですが、なかなか芽が出なかった期間が長くて…。自分の中でも、ついにスタートラインに立てたという事が嬉しいです。両親も不安だったと思うので、そういった意味でも少し肩の荷が下りたかな、という気持ちです。

――その頃にTVで観ていたのですが、声が変わりましたよね。

 発声を変えたり、ブレスを出すようにしたので、ちょっと変わったかもしれません。

――『ハモネプ』に出ていた頃にメジャーデビューの話はなかったのですか?

 何となく「やってみる?」という話はあったのですが、すぐになくなったりして…。

――いっきにブレイクという感じではなかったのですね。その後はインディーズ活動をしていた?

 上京をしてA-Zは事実上の解散をして、下積みをしつつ、ユニットをやったりした時期が2年間くらいありました。「音楽をやめないといけないかな」という時期もあったのですけど、2016年の冬に色々な出会いに恵まれました。

――それはどんな出会いでしたか?

 クリス・ハートさんとだったりNIVEAさん(テレビCM)だったりと、良いタイミングで素敵な出会がありました。

――上手くいかない時期があっても、腐っては駄目なんですね。諦めずにずっとやってきた事が人との出会いに繋がったと。

 そうですね。腐らなかったのは、母のおかげです。荷物を送ってくれたり電話して励ましてくれたり。そういう些細な事が自分の未来を信じて歩む原動力になりました。

――まわりの人間の応援は重要ですよね。小学生の頃は米国アトランタにいたと聞きましたが、それはご両親の都合でしょうか?

 父親の仕事の都合で5年間向こうに行って、幼少期はそこで過ごしていました。

――英語はそこで学んだ?

 はい。自然に喋れるようになりました。小学2、3年生の頃には言葉の意味も理解していました。

――向こうの生活にはすぐに慣れましたか?

 最初の頃は多少いじめられたりもしたんですけど、その後は馴染めました。

――それはやはり言語の違いが原因だったり?

 それもあります。文化の違いとか、ちゃんと自分を主張をしなければいけなかったり。

――やはり海外では自己主張は大事ですか?

 そうですね。「僕はこうしたい、これは嫌だ」という事をはっきり言わないと、ちゃんと扱ってもらえなかったりします。

――そのような立ち回りはステージにも影響がありますか?

 ステージに限らずですが、人当たりがより柔らかくなったという気がします。「こういう言い方をしたら相手により伝わるな」とか。同じ事を言うにも、相手が聞き入れやすい言葉で話すように意識をするようになりました。

――歌う時も同様に?

 そうですね。「どんな風に歌ったら嫌味がないかな」とか考えています。

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