スイッチボーカルはキャンディーズ以来
――The KanLeKeeZとしては昨年にはアルバムを出されて、CDとしては2作目ですが、前作の手応えはいかがでしたか?
高見沢俊彦 まずは自分達が楽しんでいますね。GS(グループサウンズ)というのは子供時代の憧れだったという事もありますしね。演奏の引き出しもありますし。昔のレトロなままでやるのではなく、今のサウンドに置き換えてやるのがThe KanLeKeeZ風です。
――コンセプトとしては以前やっていたBE∀T BOYSに近い?
高見沢俊彦 あれとは違います。BE∀T BOYS色々な設定を付けてやったんだけど、途中で面倒になっちゃって(笑)。だから今回は設定はナシ! 中身はTHE ALFEE!(笑)。
――でも頑なにBE∀T BOYSという名前でやっていましたね。
高見沢俊彦 だから今回はナシ! ミリタリールックを着たらThe KanLeKeeZで、脱いだらTHE ALFEEです。
――ということは衣装だけ?
高見沢俊彦 そう! 衣装を着ればThe KanLeKeeZだけど、THE ALFEEの曲もやってるので。
桜井 賢 そうだね(笑)。3人で同じユニフォームを着るという事はないから、それが出来るのがThe KanLeKeeZと。
――高見沢さんは以前もああいった衣装を着られていましたよね?
高見沢俊彦 あの手のいう衣装は好きですからね。ただ、ミリタリールックはもう少しチープなイメージです。
坂崎幸之助 そうだね。
高見沢俊彦 それを、3人で着るからいいんですよ。1人で着ると面白くない。
――3人で同じ衣装を着る事で生まれるものがあると。
高見沢俊彦 “G.S的バンド感”が出るんだよね。THE ALFEEって着るものがバラバラでしょ? それを統一させたのがThe KanLeKeeZです。しつこいけど中身はTHE ALFEEです!(笑)。
――楽曲制作はいかがでしたか?
高見沢俊彦 The KanLeKeeZのはイメージが出来上がっているから割と早く出来ます。
3人でスイッチボーカルが出来るのもひとつの特長でしょうね。
――歌い分けはみなさんで相談して?
高見沢俊彦 一番良いキーの部分で分けていますね。
桜井 賢 あと1回、全部歌うんですよ。それから誰がどこを歌うかを決めます。
――他の楽曲もそのような決め方をするのでしょうか?
坂崎幸之助 THE ALFEEでもそういうやり方でやってきたしね。
――歌い出しが誰かで趣も違ってきますよね。
桜井 賢 そういうのを客観的に聴くためにも材料として一度全部歌うんです。
高見沢俊彦 3人とも歌えるから出来るんですよね。
坂崎幸之助 なかなか出来ないよね。アイドル以外は。
高見沢俊彦 スイッチボーカルはキャンディーズ以来だから(笑)。キャンディーズと違うところは「踊れない」という部分だけです(笑)。
――BE∀T BOYSの時は踊られていましたが。
桜井 賢 今は無理ですね。あの頃でギリギリでしたから。
高見沢俊彦 あの頃30代だし。
桜井 賢 ツアーもやったんだけど疲れる疲れる…。歌詞よりも振付を間違えた方が悔しいんですよ。
高見沢俊彦 振付を覚えるのも大変だけど、俺はギターを弾かないという事がストレスだったね。バックにギタリストがいるけど、そっちの音が気になっちゃって「そこ違うなぁ」みたいな(笑)。
――その時の教訓も生きて、The KanLeKeeZはギターや楽器は持ちながらというプロジェクトなんですね。
高見沢俊彦 まあこれは、偶然の産物…計画的にやった訳ではありません。
GSの魅力
――そもそもThe KanLeKeeZを結成したきっかけは?
高見沢俊彦 何年か前にパンフレットでGSの格好をしたんですよ。今まで僕らが影響を受けてきたグループのコスプレ的な感じで。その時に3人でミリタリールックを着たら、けっこう良くてね。
で、その後ソロで、GSの曲をダンスミュージックに作り替えてやった時、これはやっぱりGSはバンドでやった方が絶対楽しいと思って、THE ALFEEに取り入れたのがきっかけ。
――GSの魅力とは?
高見沢俊彦 パッと咲いて、パット消えたことも、何か魅力的でしたね。
――そんなに短かったんですか?
高見沢俊彦 1967年・68年がピークですよ。69年からはもう終わりですね。ザ・タイガースとザ・テンプターズの2グループが引っ張っていったみたいなものですけどね。そういう部分ではあっという間に消えてしまったブームだったので、強烈な印象でした。
――ひとつの音楽カテゴリーとしてGSは不動の存在という印象がありますが、そんなに全盛期は短かったんですね。
高見沢俊彦 その理由はいくつかあるんですけどね。バンドが出過ぎたとか、本人達の意識よりもプロダクション志向だったりと。それぞれが自分のバンドをコントロールしにくい時代でしたからね。それでその後にフォークブームがきてしまう。
――井上陽水さんや吉田拓郎さんなど。
高見沢俊彦 そうそう。音楽の形態は全部そっちの方に行っちゃったのかな。GSというのは古くさいというイメージになっちゃったんだよね。僕はずっと聴いてたけど。
――今もGSを聴いているんですね。
高見沢俊彦 聴いてますよ。以前は「まだこんなの聴いているのかよ!」とよく友達に言われましたけど。メンバーにも言われましたよ。「お前よくこんなマニアックGS(のレコード)持ってたな」とか。
坂崎幸之助 1969年のシングルなんてもう誰も持ってないですよ? それを高見沢は持っているんですから。GSの最後を見届けているんです。
桜井 賢 そのあたりでもう、はっぴいえんどが出てきていますからね。
――はっぴいえんどもGSという括りに入れられていたというお話も聞いたことあります。
桜井 賢 当時はジャックスとかも、バンドだとGSって言われていましたね。全く違うんだけどね。周りがそういう風にカテゴリーに入れてしまう。ジャックスやはっぴいえんどなんかはどちらかと言ったらフォーク畑の方ですから。
――坂崎さんはGSの魅力と言ったら?
坂崎幸之助 やっぱり楽曲かな。メロディアスで分かりやすくて、馬鹿馬鹿しい内容だったりするでしょ? だから日本っぽい。他の国では無いんじゃないかな。
高見沢俊彦 多分ないね。それに、ザ・スパイダースなんて今聴いてもカッコイイし。
坂崎幸之助 後は、歌謡曲っぽい曲をバンドでやっていたというところかな。作曲家の先生が書いた曲だからいい曲が多いですからね。
高見沢俊彦 当時は専属制度があって。レコード会社に所属している作曲家の先生から曲をもらわないと日本語で曲が出せなかった。そんな時代だからブルー・コメッツも最初は「青い瞳」の英語版を出すしかなかったみたいですね。そして、少しずつ崩していったんでしょうね。GSの功罪は、良い所を言えばそういう専属制度を壊した事ですよ。
その時に新進気鋭の村井邦彦さんや筒美京平さん達が曲をGSに提供し始めるわけですからね。すぎやまこういちさんもフジテレビのディレクターだったし、GSブームがなかったら、70年代や80年代のアイドルポップの曲はなかったでしょうね。
坂崎幸之助 僕の場合は68年にフォークを聴いてそっちに行っちゃったので、GSの末期は見届けられなかったんですよ。
高見沢俊彦 桜井もブルー・コメッツが好きで、ドラムをやろうとしていたんだよね。あの頃のドラマーってジャズ畑だからレギュラーグリップ(スティックの持ち方の一つ)で叩くんだよ。フィルがスウィングするしジャズっぽい。
桜井 賢 やっぱりジャズだったよね。エレキブームというのはGSの前からあったけど、楽器に興味を持ち出したのは小学生の時のGSの頃。「バンドってカッコいいな」と思ったのもその頃ですね。
高見沢俊彦 僕らは身近にTVでバンドが観られた最初の世代だったからね。
――あまり海外のものは流れていなかったのですか?
高見沢俊彦 ザ・ビートルズの日本公演の中継録画まではなかったかも。
坂崎幸之助 たまにライブの模様とかをニュースで観たりとかだね。
高見沢俊彦 1曲まるまるというのはそうは無かったよね。
――そういう意味では現代は恵まれていますよね。
高見沢俊彦 YouTubeがあるからね。
坂崎幸之助 当時は楽曲をコピーするにも大変ですよ。どう弾いているのか分からないから。
――でも耳は鍛えられますよね?
坂崎幸之助 そうですね。「どうやっているのかな?」と聴いていましたから。
高見沢俊彦 コードブックも当時はちゃんとしたのが、あんまりない。
――楽譜も、例えばレッドツェッペリンのギターソロの部分は「アドリブ」と書いてあるだけと聞いたことがあります。
坂崎幸之助 もうコードだけだからね。
高見沢俊彦 とにかく、僕らの時代はバンドスコアというものが無いに等しい。
――バンドスコアが出てきたのはいつ頃なんでしょうか?
坂崎幸之助 1970年代に入ってから?
高見沢俊彦 TAB譜(ギターやベースの弦とフレット数などが表記されている楽譜)なども無かったし。今でもTAB譜は見づらいね。
坂崎幸之助 コード譜も当時は適当でしたよ。編集の人が耳で拾ってたんじゃない?
桜井 賢 それに、輸入モノの楽譜は高いしね!
高見沢俊彦 あったあった!取りあえず輸入モノの楽譜はちゃんとしていたけど。
桜井 賢 それが欲しかったんだけど、とてつもない値段で…。
坂崎幸之助 たぶんそれでシンコーミュージックの会長が日本での出版権を買って、ザ・ビートルズとサイモン&ガーファンクルのものを出したらしいよ。
高見沢俊彦 でも桜井ってサイモン&ガーファンクルなど、当時のレコードは綺麗に取ってあるよな。俺のなんてボロボロだよ(笑)。