きっかけは1曲のデモ、Ema キューバの音楽と風香るデビュー作
INTERVIEW

きっかけは1曲のデモ、Ema キューバの音楽と風香るデビュー作


記者:木村武雄

撮影:

掲載:16年07月23日

読了時間:約22分

世界的サックス奏者、セサル・ロペス氏から「スイートヴォイス」と絶賛されている注目の女性ジャズシンガー、Ema

世界的サックス奏者、セサル・ロペス氏から「スイートヴォイス」と絶賛されている注目のジャズシンガー、Ema

 女性ジャズシンガーのEma(エマ)が27日発売のアルバム『Respirar』でメジャーデビューする。音楽通として知られる『とくダネ!』(フジテレビ系)のキャスター、小倉智昭氏が自らプロデュースを買って出るほどの魅力溢れた歌声は、キューバのジャズシーンに名を馳せる世界的サックス奏者、セサル・ロペス氏からも「スイートヴォイス」と評されている。そのセサル氏がプロデュースした本作は、尾崎豊の「I LOVE YOU」をはじめ「島唄」(THE BOOM)や「恋するフォーチュンクッキー」(AKB48)、「Stay With Me」(Sam Smith)などの邦洋楽ヒット曲をジャズやボッサ、ラテンなどにアレンジし大胆にカバー。Emaも「キューバで感じた事やミュージシャンの息づかいなどがそのままパーッケージ化された」と語るように、レコーディング、ミックスをおこなったキューバの風、空気感が感じられる1枚となっている。Emaはミュージカル女優として活躍後、ジャズシンガーに転身。デビューのきっかけは小倉氏に送ったデモCDだった。これまでの経緯、そして小倉氏、セサル氏との出会いについて話を聞いた。

ミュージカル女優として活躍も…

――Emaさんはジャズシンガーになられる前、ミュージカルや舞台で活動されていたと聞きました。これまでどういった道を歩まれてきたのでしょうか?

 自分で振り返ってみてもかなり色んな方向に活動してきました。紆余曲折というんですかね、それで今に至っています。最初は劇団四季の「ライオンキング」に出たのがきっかけで、そこからミュージカルなどたくさんの作品を通して、いつの間にか「やりたい事は歌だ」という事に絞られていって今に至るという感じですね。

――「ライオンキング」に出演されたのが9歳の頃でしたか? その頃は自分の意志で舞台に出たいと?

 9歳の時でした。親に言われて出演していたと思っていたんですけど、母から言わせると「お母さん、これに出たい」と自分から言ったらしいんですよ。あまり覚えていないのですが、確かCMでオーディションの情報が流れたのを見て。

――当時の記憶はありますか? 稽古が厳しかったとか。

 稽古の記憶はすごくあります。ダンスを始めたのが最初のきっかけなんです。近所の焼き鳥屋のおばちゃんが、あまりにおてんばでエネルギーが有り余っている私を見て、スタジオを紹介してくれたんです。そこは歌やお芝居も教えている所で、そこからミュージカルをやってみたいという気持ちが芽生えたんです。毎日、3レッスン。学校終わって3時間、ダンスのレッスンをやって、家に帰ってくるのが夜の10時や11時。そういう生活を週3~4日ほど。ほとんどダンス漬けの日々を送っていました。

――自分から言い出したとはいえ「休みたい」や「辞めたい」と思ったことは?

 思った事は一度もないですね。大変だったり、悔しくて泣いたことはいっぱいあったんですけど。

――そのような負けず嫌いな性格ややんちゃなところは幼少期からですか?

 今、昔のビデオとかを見ても「あちゃあ!」と思うような事がいっぱいあります。木や遊具に登って降りられなくなったりとか(笑)。

――音楽が日常的に流れているような家庭環境だったのでしょうか?

 そうですね。おじいちゃんの代からなんですけどすごくジャズが好きで。その影響で母がジャズを好きになりまして、更にその影響でやっぱり私もジャズが好きになって、という連鎖が起きていました(笑)。

――では知らぬ間にジャズが体に染み込んで?

 生まれた時から家ではジャズやボサノバが流れていました。

――ジャズにミュージカルにと恵まれた音楽環境のなかで、中学生以降はどのような生活を送ってこられましたか?

 小学校3年生から2年間ほど劇団四季の「ライオンキング」に出ていましたので、小学校にはあまり行けてはいなかったんです。それでも楽しく学校生活を送れていたのですが、私の中で舞台が一番大きな存在でしたので何の迷いもなくそちらの道を進んでいました。中学生くらいまでは子役として色んなミュージカルに出ていました。とは言いましてもちゃんと勉強もしていました。

――物心がつく前から舞台などをやってこられて、最終的に音楽の道に進んだということは、きっと何かしらのきっかけがあろうかと思います。どこかで「私の道はこれではないかも」と気付いたなど。

 そうですね…。「何かが違う」という事しかその時は分からなくて。「このままじゃいけないな。何だろうこのモヤモヤは?」と思って。私は、頭よりも先に行動するタイプみたいなので、「とりあえず歌をやってみよう!」という事で、代々木にあるジャズの老舗「NARU」という店があるんですけど、ジャズは聴いた事も踊った事もあるけど歌をやるとは全く思っていなかった状態で、そのままオーディションに行ったんです。毎年2回くらいおこなわれている「NARU」に出演するボーカリストのオーディションに。そこからジャズのお店にお世話になるようになったというのがきっかけですかね。

――それはいつ頃ですか?

 20歳になったくらいの頃なので、2010年の後半ですかね。ミュージカル「ピーターパン」の後です。

空気を共有したい、意識を変えた震災

Ema

Ema

――「変わりたい」という意識が生まれたのは何か出来事があったんでしょうか?

 色んな事があったのでまとめるのは難しいんですけど、モヤモヤを感じていたのは2010年の後半からで、はっきり「やろう」と決めたのは2011年の震災の後です。ちょうどその月、確か3月19日が代々木「NARU」での初めてのライブだったんです。何か変えたいなとか、私に出来る事は何だろうとか、そういう事を改めてちゃんと考えたのは3月の震災の時という感じです。

――3・11の時はどちらにいましたか?

 ちょうど自宅を出るところだったので、すぐニュースを見ました。ただ画面を見ているだけで自分では何も出来ない、その状況が何時間もずっと続いていたので「何かしてあげたい」という気持ちがものすごく大きくなりました。

――その時は東京に?揺れは大丈夫でしたか?

 揺れは大丈夫でしたけど、やはり大きなショックを受けました。今思うと、震災で感じたことが私の原動力になっています。

――3月19日は震災があった直後です。普通にライブは出来たのですか?

 出来たんです。電気は使わないので、アコースティックなら大丈夫だろうと。あの時は電力の問題もあったので(編注=電力不足の懸念から一部地域で臨電がおこなわれた)。みんなも家に1人で居るというのが不安だったのかわかりませんけど、お客さんもいっぱいいまして。だから少しでも気持ちが温かくなって次に向かえるエネルギーを蓄えてもらえるようなライブが出来たらいいなと思って一生懸命歌ったのを今でも覚えています。

――その時のお客さんの表情は今でも覚えていますか?

 不安のなかでもすごく楽しそうにニコニコしていた表情を覚えています。

――それ以降は定期的にライブを?

 当初は月に2~3回ずつくらいだったんですけど、今は多くて月に10回ぐらいはやっていますね。

――ただ歌うだけではなく、お客さんに寄り添うような歌い方や、思いを込めて歌おうと言う事は最初から意識しているのでしょうか?

 そうですね。それがやりたくて音楽の場に移ったようなものですので。舞台から音楽の場に移った理由がもうひとつあって、今まで大きな舞台でしかやった事がなかったので、もっとミニマムな世界というか「人の寄り添うような事」がやりたいなって昔からずっと思っていたんです。それがモヤモヤしていた理由の一つでもあって。

――「ひとり一人に向き合って心の会話をする」と言いますか。

 そうですそうです! まずはそれをやってみないと今のモヤモヤは無くならないんじゃないかと思っていました。

――過去に何人かの舞台役者さんに話を聞いたことがあります。いずれの方も「舞台は映像として残る場合もあるけど、同じ生の作品でも音楽の様にCDなどの媒体としては残らない。記録として自分の歴史を“作品として形に残したい”」という話でした。そういった点はEmaさんいかがですか?

 なるほど、確かに言われてみればそうかもしれないですね。私の場合はCDを作るという事になるまで、歌い始めてから5年くらいの時間が経っています。ずっと「CDを作りたい」という憧れはありましたが、「形として残す」という風には思った事がなくて。その瞬間というか今、目の前にいるお客さんと「どういう空気を共有するか」とか、そういう事ばかりを考えて歌ってきました。

 ただ、ライブをやっていくうちにお客さんから「CDないの?」や「車や家でも聴きたいんだけど」と言った声を頂くようになって。それが「CDを作ってもいいのかもしれない」と思った動機の一つなんです。「形に残す」というか「空気感をそのままCDに閉じ込める事が出来る」のであれば、CD制作はすごくいいなって思っています。

――これまでの5年間の間に自分で思っていた事は達成できたのでしょうか?

 できていると思います。まだまだやっていく事はあると思うんですけど、シッポくらいは掴めたかなという感じです。

一通の手紙とデモテープ、小倉智昭との出会い

Ema

Ema

――フジテレビ系「とくダネ!」などで著名のキャスター、小倉智昭さんにデモを渡したことがきっかけでデビューへの道が開けました。なぜ、小倉さんだったのでしょうか。

 突拍子もない事をしたな、と今でも思うんですけど、一ファンとして送ったのがきっかけです。勝手に私が思っている事なんですけど、小倉さんが私の父親に重なるところが多くて。

――小倉さんとEmaさんのお父さんが?

 そうなんですよ。やはりオーディオ好きだったりとか、ジャズがすごく好きだという事とか。毎朝『とくダネ!』を拝見するたびに「ああ、音楽好きなんだ」と思って。ズバッと気持ち良い発言をされる方でもあって、私がものすごく尊敬をしている一人でもあるんです。この音楽業界にもきっと詳しいだろうと思いまして、とにかく私の歌を聴いて頂いて辛口コメントとか、どんな形でもいいから助言を頂きたいなと思ったのが、デモを送った一番の動機なんです。本当に何も考えてなかったですね(笑)。

――助言をもらいたいと思ったという事は、何か悩んでいたんですか?

 それもさっきのモヤモヤみたいなものなんですけど、「CDを出したい」と思っても何をしたらいいかわからなかったし、右も左もわからなくてポツンとなった状況になった事があって、「もうちょっと色んな人に聴いてもらうにはどうしたらいいんだろう?」とか、「歌の方向性は間違っていないだろうか?」とか不安になった時期があったんですね。もう、とにかく“助言が欲しい”という事で、辛口で、一番私が親しみを持っていて、一ファンとしてきっといい助言が頂けるんじゃないかな、と思ってデモを送りました。

――それで返答と言いますか、反応は?

 全く無かったんです。きっと色んな人からそういうのが届くのだろうし、しょうがないな、自分で答えを見つけていくしかないんだな、と思っていた時にライブにふといらしたんです。連絡も何ももらってないのにいらっしゃって。もうその時、手から汗が滝のように!

――楽屋に来たんですか?

 お店のフロアにそのままいらしたんです。「誰かいらっしゃったのかな?」と思って、だんだんお顔がハッキリとわかってきた時にはもう「あれ! 小倉さん?」と思って。あの時の衝撃はもう……。今までもなかったし、これからもないだろうというくらいビックリしました(笑)。

――歌ってる最中に気付いたのですか?

 始まる前にいらっしゃったんです。そうでなくても歌う前は緊張するのに、更に緊張しちゃって(笑)。もうすごく嬉しかったです。「聴いて下さったんだな」と思って、いろんな思いがウワァっと込み上げてきて。

――小倉さんが歌を聴かれた後のその後は?

 歌を聴いて頂いて「良かったよ」と言ってくださいました。その場で「よかったら、僕がいろいろ紹介してプロデュースみたいな事もできたらと思ってるから」という話をされて、あまりに衝撃が強くてあんまり覚えていないんですけど、そんな感じの話をしたと思います。

故郷と同じ風を感じたキューバ

――Emaさんのライブは、CDの感じとどれくらい近いのかなとか思ってしまうのですが。

 そうですね…。歌っている方としてはあまり変わっていないと思っているんですけど、ジャンル的にはスタンダードなジャズが多かったりするので。

――ところでご出身は?

 生まれも育ちも東京なんですけど、母親の祖父母が喜界島(編注=鹿児島県。奄美群島の北東部に位置する)の生まれなんです。親戚は喜界島や奄美大島に多く住んでいます。だからたまに帰ると「ちゃんと自分にも血が流れているんだな」と思う事がいくつかありますね。

――CDの中には「THE BOOM」の楽曲も収録されていますが、これはどういう気持ちで歌いましたか?

 すごい面白いなと思って、とても楽しく歌わせてもらいました。キューバに行って思った事がありまして、「初めて来た気がしない」という風に感じたんです。それはたぶん気候もあると思うんですけど、人も国柄も喜界島や奄美大島とすごく似ていて、そのクロスオーバー感と言いますか、シマ唄など私のルーツでもある南の島と、滞在していたキューバが、この曲に混ざり合っているような感じがして、力強い温かさが感じられて凄く楽しかったんです。

――キューバの音楽はもともとスペインやアフリカの音楽からクロスオーバーされたものだったりするのですが、実際に現地の人達の雰囲気は音楽をどう捉えているのでしょうか? 純粋に楽しむという感じでしょうか?

 たぶんそうだと思います。道を歩いていても、どこかしらから必ず音楽が聴こえてくる街だったので。呼吸をするかのように普通に生活の中に音楽がなじんでいるような感じでした。ただ、プロのミュージシャンになるには難しい国家試験があると聞きました。

――国家試験なんですね。

 やっぱり社会主義の国なので、職業として音楽をやるにはそういうことらしいです。厳しい試験を乗り越えて皆さんやってらっしゃるので、かなりエリート揃いだったなと。今回のアルバムも素晴らしい人達が集まって、恵まれているなと思いました。

――海外のノリはこちらと異なりテンションもリズムも全く違うと思います。その中に入り込めたというのもすごいですね。

 不思議とあんまり違和感がなくて。やっぱり初めて行ったような感じがしなくて、まるで親戚とかそういう近い人達と音楽を作っているような感覚でしたね。

――今回の選曲はEmaさんの考えもあってこのようになったのでしょうか?

 もちろん普段私が歌っている曲も交えながら、あとはレコード会社と小倉さんと話し合いをして。「これだったらキューバのラテンジャズに合うんじゃないの?」という話をしつつ。

日本人離れした歌唱力

――小倉さんに送ったとされる尾崎豊の「I LOVE YOU」なんですがこれすごくいいです。そもそもオリジナルも素晴らしいですが、ジャズの楽曲としてもともとあったかのような。

 嬉しいです。ありがとうございます。

――歌い方が全然“日本人っぽくない”というか、海外で生まれ育ち身に付いたような印象すらあります。それは幼少期にジャズを聴いてきたという事が大きいですか?

 けっこう言われるんです。「ハーフですか?」とか「海外の留学経験があるんですか?」とか。私自身は日本で活動していますし、ハーフでもないですし…。1カ月くらいニューヨークやボストンに行った事はありますが、しっかり勉強をしに行った事はないです。

――青年期もジャズを聴いていたと思われますが、J-POPなども聴いたりしていましたか?

 聴いていました。洋楽も聴いていましたし、POPS系も聴きつつジャズも聴いてというヘンな中学高校時代だったと思います。

――Emaさんの歌い方はその頃から出来上がっていたんですか?

 それはないと思いますね。まだミュージカルに没頭していた時期だったので、今と全然歌い方は違っていたと思います。

――ミュージカルでは会場の奥まで声が届くようにお腹から発声すると聞きますが、実際どうでしたか?

 そうですね。やっぱり遠くまで届きやすいように調整すると言いますか、そういう風にしていましたね。今考えるとちょっと私にとっては無理をしていた部分もあったと思います。

――今の歌い方というのはその頃の影響もありますか?

 少しはあると思いますが、今は自分の思うように歌わせてもらっています。

――Emaさんの包み込むような歌い方がすごく素敵だと思うんです。

 ありがとうございます。

キューバの大御所サックス奏者、セサル・ロペス

Ema

Ema

――今回、セサル・ロペスさんにプロデュースをして頂くにあたり、何かきっかけはあったのでしょうか?

 『Cu-Bop(キューバップ)』という映画を観たのがきっかけです。セサル・ロペスさんが大きくフィーチャーされていたのですが、聴いた時にとってもいいなって思って。それで「どうにか一緒にお仕事できないですか?」とレコード会社にお話をしたところ、映画経由でアプローチしてもらえてセサルさんにプロデュースをして頂ける事になったんです。だから向こうに行ったら『Cu-Bop』に出ている人ばっかりだったんですね。だから「ウワァ~!」となりましたね(笑)。

――嬉しい気持ちと緊張が入り混じった?

 もう「嬉しい」が勝っていましたね。確実に。

――憧れの方々ですよね?

 はい! まさか会えると思っていなかった人に会えるのは本当に嬉しいですね!

――いざ憧れの人達を前にして臆する気持ちはありませんでしたか?

 無かったですね(笑)。現地のスタジオのスケジュールの都合で、トラックを先録りして頂いて、後に私が歌入れという感じだったので、実際にミュージシャンと一緒にやったのは数曲だったので、ちょうど良かったかもしれないです。緊張もしつつ、楽しくできました。

――キューバにはどれくらい滞在していましたか?

 10日間くらいですね。

――その中でレコーディングもして、ライブもしてと…。ライブは気持ちよかったですか?

 セサルさんのライブに飛び入りさせてもらったのですが、とっても楽しかったですね!

――現地の反応はどうでしたか?

 お客さんはオシャレな感じで。みなさんすごく拍手をしてくれましたし、とっても楽しかったですね。

――セサルさんとの初対面で交わした言葉は覚えていますか?

 一番最初かどうかは覚えていないんですけど、セサルさんが私の声について褒めてくださったのが最初の印象ですね。「スウィートボイス、スウィートボイス!」ってずっと言ってくれていて。優しくて、やわらかくて、いい声だ、と言う事を一声か二声で言ってくださった印象が残ってますね。

――セサルさんと一緒にセッションしたのはライブの時だけですか?

 事実上のセッションというのはライブが初めてしたが、一緒に音楽を作るという上では最初から最後までずっと一緒にセッションしていた感覚です。歌入れのレコーディングの間に、「ここにもう少し足したい」とさまざまなサックスを試していましたし、少年のような顔で嬉しそうにウィンドチャイムを持って来て「コレ使ってみてもいいかな♪」とか(笑)。

――それだけEmaさんに対して音楽の可能性を感じたんでしょうね。

 すごくワクワクしている顔をなさっていたので、私もそれに甘えながら、二人で色んな話をしながらやっていきました。

――実際にセサルさんも横でサックスを演奏されたんですよね? どうでしたか?

 やっぱり恰好いいです! 私が感じたのは、すごく日本人に近しいような魂を感じましたね。とっても感情的に吹いている印象でした。

――以前、サックス奏者に取材をした事がありまして、「若い人と、歳をある程度重ねた人とのサックスの違いって何だろう」とずっと考えていたんですけど、今回のCDでセサルさんの演奏を聴いて、確かに「間」というか「音の流れ方」が違うというかそういったものを感じました。若い人には“若々しさ”があって、年配者には“懐の深さ”という印象があるんです。Emaさんが今やっているライブでもサックス演奏者はいるんですか?

 たまに一緒にやっていますが、毎回はいないですね。たいていはトリオやデュオでやっているので、あまりサックスの方とご一緒する事がなかったんですが、セサルさんには驚きましたね。

――空気感がガラリと変わる感じでしょうか?

 風がブワッと吹いてきたような、そんな印象を受けました。

――その中でスウィートボイスが光ったというのが。

 そうなっているといいですけどね(笑)。

大切なライブ感、キューバの空気感が詰まった本作

デビューアルバム『Respirar』

デビューアルバム『Respirar』

――CDを出した後のライブが楽しみになります。このCDに詰まった空気感をどういう風にライブで表現するのかと。

 私自身は自然な事しかやっていないのであまり考えたりしないんですけど、演奏するミュージシャンと、目の前にいる聴いてくれる人の“間を持つ”というか。そういう感じですかね。うまく説明できないんですけど(笑)。

――重要な役割を担っているというか。

 今回はセサルさんがアレンジしてくれた曲に、私がどういうアプローチをしたらもっと素敵になるかを考えて、本当に自然体で歌わせてもらったんですけど、ライブでもそこは同じような感覚です。ジャズは結構セッションの要素が多いと思うんですが、ピアノのイントロが始まって「こういう世界観か」って何となく自分なりに感じて、ベースが鳴り出したら「そう来るのね…!」って。そうしたら私はどう乗ろうかしら?っていう感じで、ライブではいつも歌っています。来ているお客さんはそれぞれ違う感じでそれを捉えて聴いてくれているんだろうなって思いますけどね。

――私事ですが、これまでジャズはライブよりもCDで聴く事が多かったんです。その感覚で聴いていると、素晴らしい音楽って完璧すぎると脳内で何の抵抗もなく受け入れられて、そのまま流れて行ってしまうような感覚も逆にあると思うんです。表現が難しいのですが。だからそうなってくると、ジャズの楽しみ方がこのCD1枚に詰まっているのかと。

 そう! それは今回私がとっても思っている事でして。真っすぐ流れていくような完璧な音楽は、きっと美しいんですけど、私はそこに何か“引っかかるもの”というか不純物みたいなもの、有機的なものが必要と思っているんです。それが“ライブ感”みたいなものになるんですよね。人が普通に会話している時も、例えば噛んでしまったり、ちょっと間違えた事を言ってしまったりとかあると思うんですけど、それと同じように、喋っている時のような空気感をCDに残したいなって思っていまして。

 私は初めてのレコーディングで、MIXとかマスタリングという知識もあんまりないものですから、ほとんど感覚で思った事を言っていましたが、今回のキューバでのMIXを終えた音源を帰ってきて聴き直したら、日本では絶対に無いような、平たく作っていないような、凹凸のある、ある意味荒々しくて躍動感溢れるような、そんなMIXだって気が付いたんです。マスタリングは日本で行いましたが、その工程では“綺麗に丸める”という日本の良い部分が出ていて、「キューバでのMIX」「日本でのマスタリング」と、お互いの「良い部分」がギュッと詰まっている内容になっているかなと思いました。だから「完璧なのが流れてしまう」というのはすごくわかりました!

――喜界島とキューバは雰囲気が似ていると言っておられましたが、日本とキューバの違いとは何でしょうか?

 キューバはまだ物が少ないというのもあって、日本よりかは貧しいのかもしれないんですけど、“心の充実度”というか「無いなら無いなりに楽しく過ごそうよ!」みたいな楽観的というか、そういうところが日本と違うと思いましたね。みんなそうなればいいのにって私は思っているんですけどね。

――日本は豊かになり過ぎてか、心の中で何かが欠けているような気もします。その“何か”がキューバの人達にはあったり?

 損得を考えて動いている人がキューバにはいなかったので、まずそこですかね。難しいですけどね。すっごく違う所はそんなになくて、共通点の方が多かったなというのが印象的ですね。

――2作目もキューバで(笑)。

 出来たらいいですね!

――今作に収録されている数多くの曲の中で「I LOVE YOU」は、ご自身が小倉智昭さんに送った曲なので特別な思いがあると思いますが、その他で思い入れの強い曲はありますか?

 私が訳詞をした曲「The Shadow of Your Smile(いそしぎ)」なんですけど、これは普段ライブでも歌っている曲でもあるんです。この曲を自分が和訳してキューバに持っていって、キューバで録音できたというのが凄く感慨深いですね。

――アレンジはセサルさんにいろいろ注文したのですか?

 そうですね。事前に小倉さんを交えてディレクターの方も一緒に集まって、「こういうアレンジがいいです」という話し合いをしました。先に演奏の部分の音録りだったので、ディレクターが先に現場に行って雰囲気やテンポをちゃんときれいに伝えてくれて、そうやって進んで行きました。

――「The Shadow of Your Smile」をずっと歌ってこられたというのは、この楽曲に何か思い入れが?

 やはりジャズのスタンダードが大好きだったので、その中から「何か日本語でやってみたいな」と思っていた時期があって、それで挑戦してみた曲なんです。

――英語詞と日本詞が交差していますが、それはあえて?

 英語で歌おうか日本語で歌おうか迷ったりした曲もあったんですけど、いろいろ試してみて一番その曲のリズムに合うものを考えながらやりました。

――日本における大ヒット曲が並んでいますが、英語で聴くと「英語で聴いてもいい曲なんだな」と改めて再確認出来ます。

 そうですね、言葉が持つリズムはけっこう影響されると思うんです。日本語も私は大好きなんですけど、スペイン語も英語も各々のリズムがあるなって思っていて、アレンジされたテンポ感に合うように、言葉が一番乗りやすく、体と耳からスッと入って聴いてもらえるような、という事を考えながらやっていましたね。

――「The Shadow of Your Smile」を和訳されたのもそういった点からなのでしょうか?

 そうです。日本語の方が合うんじゃないかと思って、じゃあ和訳でやってみようかなって思ってやりましたね。

――「この言葉じゃないと合わない」とか、相当考えたりしましたか?

 そうですね、音の響きとかいろいろ考えて。細かい作業なんですけど地味にやっていましたね。

――それを聞くとまた聴き方が変わってきますね。

 良かったです!

――それでは今作『Respirar』についての思いを改めてお願いします。

 もういっぱい気持ちや想いがありすぎて言葉にまとめるのはとっても難しい事なんですけど、今回の『Respirar』は「息を吸う、呼吸をする」という意味のスペイン語でタイトルを付けたんですが、本当にその名の通り、キューバに行って私が感じてきた事とか、ミュージシャンの息づかいとか、そういうものをギュッと詰め込んでそのまんまパッケージして日本に持って帰りました。少しでもキューバの爽やかな風を感じてもらえたらいいなと思っています。いろんな方が楽しめるような楽曲が揃っていますので、様々な年代の方々に、一人でも多くの人に聴いてもらって、この嫌な夏を乗り越えてもらえたらいいなと思っています。

(取材・木村陽仁)

作品情報

Respirar
2016.07.27
アルバム
3,000円+税
BVCL-30032

1. I LOVE YOU
2. Shake It Off
3. 卒業写真
4. じれったい
5. The Shadow Of Your Smile
6. 恋するフォーチュンクッキー
7. Stay With Me
8. 君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。
9. Quizas Quizas Quizas
10. Squall
11. 島唄
12. いい日旅立ち
13. Guantanamera (duet with Edurdo Sosa)

 夏を誘うイノセントなSweet Voice~クール・ビューティなフィメールJAZZシンガー、Ema(エマ)デビュー。尾崎豊の「I LOVE YOU」の英語ヴァージョンをJAZZアレンジで歌う1曲のDEMO。送られてきたその声に魅かれた音楽通として知られる「とくダネ!」のキャスター小倉智昭氏が、初めて自らプロデュースを申し出たほどの魅惑のSweet Voiceの新星フィメールJAZZシンガー、Ema。舞台は、米国と電撃的な国交回復をして現在世界で最も注目されている国キューバ。昨年公開され、キューバの音楽シーンを追ったドキュメント映画の傑作として絶賛された「Cu-Bop」の主役にしてキューバJAZZシーンのスーパースター、セサル・ロペス氏をプロデューサーに迎えたデビュー作は、夏をテーマにしたカヴァー・アルバム。尾崎豊の「I LOVE YOU」、「島唄」(THE BOOM)、「恋するフォーチュンクッキー」(AKB48)、「Stay With Me」(Sam Smith)など洋邦の大ヒット曲から、JAZZスタンダート、キューバンスタンダードまでをジャズ、ポップス、ボッサ、ラテンをミックスしてカヴァー。ブエナビスタ以来の音楽的盛り上がりを見せるキューバの今を先取り。

この記事の写真

記事タグ 

コメントを書く(ユーザー登録不要)

関連する記事