石垣島から音楽と笑顔を届ける、きいやま商店 サウンドのルーツ
INTERVIEW

石垣島から音楽と笑顔を届ける、きいやま商店 サウンドのルーツ


記者:村上順一

撮影:

掲載:16年04月23日

読了時間:約19分

石垣島から音楽と笑顔を届けるきいやま商店

石垣島から音楽と笑顔を届けるきいやま商店

 石垣島出身・在住の3人組エンターテインメント・ユニットのきいやま商店が今月6日に、通算6枚目のアルバム『ロックンロールびーちゃー』をリリースした。メンバーは各々のバンドでも活動する、だいちゃん(Vo.Gt)、リョーサ(Vo.三線)、マスト(Vo.Gt)の崎枝家の従兄弟・兄弟で2008年に結成。石垣島の方言と身内ネタを満載した歌詞を、ブルースやラテン、歌謡曲と幅広い音楽性に乗せ、コミカルな楽曲と卓越したトークで魅了する。歌詞にある沖縄方言は彼らの曲調とも相まって洋楽の様に聴こえる。本人もそれを自覚しているようでスペイン語に聴こえるとも言われるようだ。13年には、“にいにい”と慕う同郷のBEGINともコラボした「おかえり南ぬ島」が話題となった。崎枝家の長男であるリョーサが島に戻るのを機に、最初は一度きりのバンドのはずだった。そのバンドがどのようにして現在に至るのか、そして『ロックンロールびーちゃー』とはどのような作品なのか、制作過程やこだわり、石垣島音楽の特性など、各々のルーツについて3人に話を聞いた。

結成はリョーサの帰郷がきっかけ

――きいやま商店というバンドの結成までの経緯は?

だいちゃん(Vo.Gt)

だいちゃん(Vo.Gt)

リョーサ 2008年に各々のバンドで、僕が福岡で、だいちゃんとマストは東京で音楽活動をしていたんです。沖縄では、長男が仏壇を継ぐために必ず故郷に帰らないといけないんですよ。両親からも「早く帰ってこい」と急かされていたんですけど、「もうちょっと」と言いながら先延ばしにしていたんです。だけど32歳になって、さすがに「帰ろうかな」という気持ちになったんですよ。その時にだいちゃんとマストの2人に電話して「自分、島に帰るから最後に3人で一緒にやろう」と誘ったんです。意外にもみんな自分のバンドが忙しくて一緒にやったことが一度もなかったんですよね。ライブをするにあたってバンド名をどうするかという話になったんです。「1回だけだから、ばあちゃんの店の名前でいいんちゃう?」ということで、きいやま商店になったんです。

――結成の動機はリョーサさんが帰郷するにあたっての思い出作りだったのですね。

リョーサ そして、僕が東京に行って一夜限りのライブを3人でおこなったんです。ライブはその日のために1曲だけ作って、残りは各々のバンドの持ち曲を歌って、3時間あったライブの残り時間はほとんど喋っていたんですけど(笑)。そして、ライブを1回やってそのまま解散したんです。だけど、その数カ月後に石垣島で従兄弟の結婚式があって、たまたま3人が揃ったんですよ。せっかくだから「じゃあ石垣島でライブしようよ」という話になって、そこでライブをしたんです。そうしたらすごい反響があって、ライブを観た人達が「沖縄本島でもやってくれ」とオファーが来たんです。あれよあれよといつの間にかCMソングまで決まって。そうこうしてる間に今のような形になったんです。

――思わぬ展開に発展して行ったんですね。

リョーサ そうなんです。そして、みんな福岡と東京に各々戻ったんですが、3月11日の震災をきっかけにまたガラッと変わったんです。僕より先にだいちゃんとマストが石垣島に帰ったんですよ。僕は「福岡が好きだからまだ帰れない」と先延ばしていて。そうしたらマストから「3カ月だけ時間くれないか。沖縄本島で毎日ライブをしたい」と連絡があったんです。

だいちゃん 高校卒業して沖縄本島に行かずに東京にいきなり出てきてしまったんで、僕らは沖縄出身なんですけど、本島には縁がなかったんですよ。だけど沖縄の人にも応援してもらおうということでまた集まって合宿したんです。

――合宿というのは沖縄本島に3カ月間泊まり込みですか。

マスト そうです。なので、いろんな知り合いに電話して泊まるところから探したんですよ。今所属している事務所の人にも1度だけ会ったことがあったので電話したら「事務所使ってもいいですよ」と言ってくれて。事務所には、生活する家具など一式揃っていたんで「もうここだ」と決めました。ちゃんと月々3万円払って6畳に3人、川の字で寝ていましたね。

リョーサ 知り合いに「月3万円で泊まらせて」とお願いしていたんですよ。でも、みんなに断られて、今の事務所に泊まらせてもらえることになったんです。泊まらせてもらっているだけで、この時点ではまだ所属ではないのですが、事務所に仕事の話がどんどん来たんですよ。

マスト(Vo.Gt)

マスト(Vo.Gt)

――ライブを本島でおこなっているうちに仕事が来るようになったと。

リョーサ そうなんです。最初は学校に行ったり、ラジオ局に行ったりして無料でライブをやっていたんです。

だいちゃん 何かしら毎日やってましたね。

――それが身を結んで今の事務所に入ってCDデビューという流れですか。

リョーサ 1枚目のアルバム『さよならの夏』は別のところから出したんですよ。遊びの延長線上ですね。

だいちゃん CMに決まったから、ちゃんとレコーディングした方がいいんじゃないかという理由でね。7曲作ってアルバムにしました。

リョーサ なのでその作品は自分たちへのメモリアルなアルバムなんです(笑)。

――そこからトントン拍子に2枚目、3枚目と制作していったわけですね。

だいちゃん 2枚目の『沖縄ロックンロール』は本島での合宿中に出来たアルバムです。このアルバムの中に収録されている「頑張れ!スミオおじぃ」にはエピソードがあるんです。僕たちの叔父さんが当時、ひどく落ち込むことがあって。

マスト それで元気を出してもらおうと「頑張れ!スミオおじぃ」を作ったら、これがまた面白いというので、石垣では相当評判になったんです。市長が喜んでくれて市役所のロビーでライブをさせてくれたんですよ。そこで、これはもう1枚アルバムを作らなければいけないなと思って『沖縄ロックンロール』を製作したんです。

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