音楽家の坂本龍一が、レオナルド・ディカプリオ主演の映画『レヴェナント:蘇えりし者』で音楽を担当した。今月初めには、都内で特別試写会がおこなわれ、氏が出席。映画音楽を演奏するとともにトークセッションに臨んだ。このなかで氏は、挑戦的な映画監督のイニャリトゥ氏のこだわりにどう向き合ってきたか、更にはどのような思いで本作の音楽を手掛けたのかを語った。表情や言葉の端々からは中咽頭がん克服後の今、氏が見据えている音楽などが読み取れた。大変貴重な内容であったのでトークの内容を全文起こして伝えたい。
イニャリトゥ監督は音楽に対するセンスがいい
――どのような経緯で音楽を担当することになったのでしょうか。
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督なんですけど、彼の右腕の様な人間がいて、女性なんですけど。彼女から電話がかかってきたんです。「明日からLAに来て」って。やるともやらないとも言ってないのに(笑)。もうやるものだと決めてかかっちゃって。翌日はさすがに行きませんでしたけども、まあ色々考えていくことになりました。
――それからLAで打ち合わせですか。
そうですね。そこから一緒に映画を観て、数時間を過ごして、色々な音楽を聴いて。その時点で「このシーンにはこんな音楽を入れたい」というのがあったので、監督の方がね。僕も考えを述べたり、アイディアを出したりしました。自分のラップトップに入っているデータを引っ張り出して「こういう音楽がいいんじゃない?」とか。それが最初ですよね。
――その時点までに何度か映像もご覧になったかと思いますが、イメージはすぐに湧きましたか。
PCで作り込む部分とかは結構、後に出来たので、ラフなシーンも沢山あるエディットでしたけどね。でもやはり映像には圧倒されました。ちょうど数カ月前に『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(イニャリトゥ監督の前作)が去年、アカデミー賞を獲りましたよね。これがまた凄くて。本当に映画館で観てぶったまげました。だけど、今回最初にそのエディットを観たら次のレベルに行ってるんで「本当に凄い。この人たちどこ行っちゃったの」みたいな驚きがありましたね。
――作曲に当たり、監督の要望で何度も何度もやりとりがあったと伺っていますが。
どんな映画でもそういうことは良くあることだと思うんですけど、イニャリトゥは沢山いる映画監督の中でも音楽に対する感覚、耳のセンスがめっちゃくちゃ良いんですよ。今回音楽は僕と最終的に僕が10年以上コラボレーションしているドイツ人のアルヴァ・ノト(本名:カルステン・ニコライ)も関わってくれたんですけど、その彼もびっくりするくらい耳が良い。そういう精度の高い耳でああだこうだ言われるとやる方としては非常に困ると。本当に細かいんですよ。
――フレーム(基本的に映像1秒間に30フレームある)単位で直してくるような感じでしょか。
もちろん、そうなんだけど。例えばシンセのストリングスでやった曲。長きに渡って色々なバージョンを作っていくので足掛け6カ月くらい、まあ中抜きですけど関わっているんです。そうしたら「この曲は7月のバージョンの方がシンセの音の立ち上がりが良いね」と、3カ月後に言うんですよ。参りますね。イニャリトゥは監督になる前はメキシコでラジオDJをやっていたんです。だから色々な音楽も良く知っているし、音に対する感性が本当に鋭い。びっくりしました。
――大変だけれども仕事していて面白いといった感じでしょうか。
大変ではありますけどね。まあ友達としては面白い人ですよ。
――もう1本オファーが来たらやりますか。
来ないと思いますけどね(笑)。でもデビュー作『アモーレス・ペロス』(2000年)という作品、物凄い力のある作品ですけども、ここから注目していて大好きな監督だったんです。万が一もう一度依頼してくれたら喜んでやりますよ。やっぱり、こんな力のある人が一作一作どんどん次の挑戦を目指して行くので、そういう意味でも興味深いですよね。
環境音と音楽の境目がない音楽
――映画音楽は色々なアプローチがあろうかと思いますが、今回は自然の音と音楽がミックスされていてとても面白く感じました。
この映画は特に、音楽と現実音の境目が良くわからない。割と長く付き合っているコンラッド(・ヘンゼル)というドイツ人のエンジニアに録音とミックスをやってもらったんです。彼はまだ25で若いんですけど、凄い優秀なんですよ。もうフリーで独立しているんですけど。最初に会ったのは5年くらい前かな。既におっさんみたいだったけど。「いくつからこの仕事してるの?」と聞いたら「14から」って。
まあそれは置いといて、彼のガールフレンドが映画を映画館で観たそうなんです。そうしたら「あんなに長く関わっていたのに、音楽が10分くらいしかなかったわね」と言われたって。それを聞いて嬉しかったんですけど、実際は2時間分くらいあるんです。だけど、それは多分、風の音の様だったり、水の音だったり、ため息の様だったり、どこからどこまでが現実音か良くわからなかったんだと思うんですよ。僕たちはしめしめって感じですが。
――その辺を狙ったんですよね。
そうですね。今回は特に。
――そして今日は演奏もしていただけるんですよね?
あれ、なんだこれ(ピアノを見てとぼける)?…やりますか。その、ねえ、風の音の様に聴こえる音楽はさすがにピアノで演奏することは難しいので、一応「メインテーマ」と呼ばれているものと、もう一つ、テーマ2というものを。僕が作ってイニャリトゥに聴かせて「いい曲だね」とか言ってたくせに本編で使ってなくて(笑)。映画終わって最後のクレジットが上がってくる頭で使われているんですよ。それもやります、悔しいから(笑)。それから色々サブテーマもあるんですよ。川のテーマとか。それもやろうかなと。そんな長い曲じゃないんですけど、ちょっとやってみます。
(演奏)
――映画が思い出されました。
イニャリトゥと相談して「ピアノを使うのはやめよう」ということになったんですよ。だから今、弾いた様な普通のピアノの音は使ってないんですね。さっき言った様にエンドロールの最初では出てくるんですけど。
ただ、効果音的な使い方っていうのはですね、ピアノもまあ撫でたり(ピアノの弦を直接撫でる音を出す)、こういうところ(ピアノの弦の周りの胴体)をぶったりね(叩く音を出す)。それから弦の上を押さえたり(弦を触りながら鍵盤を弾く音を出す)。押さえるところを変えると(同じ弦の押さえる場所をズラしながら色々弾く)音が変わるでしょ? 弦楽器みたいになるんですよ。
これだといわゆるピアノという音色じゃなくて、まあ効果音的というか、ちょっと不思議な音がするのでこれは使ってます。あとは、チェロも使ったりとか色々していますね。シンセサイザーとかノイズの音をミックスしたりとかもね。
映画制作の裏話
――有難うございます。改めて、今回の作品を映画としてご覧になっていかがですか?
自分も制作に関わっているし、さっきも言ったように足掛け6カ月くらいに渡って関わっていて、何回見たでしょうね? 300回くらい観てるのかな。やはり映像を観ながら作っていくので細切れですけども。だから、なかなか客観的には捉えられなくなってしまっているんですけど。
そうですね、最初の印象としては、まあ「どうやって撮ったんだろう?」ということも沢山ありました。それは「バードマン」もそうでしたよね。ただ観る前に「バードマン」が技術的にも内容的にも素晴らしかったので、これを踏襲するのかなと思っていたら全然違っていた。あれだけのことをやったのに繰り返さずに、次の事に挑戦していくというのは凄い事だと思いましたね。
それから映像の力。さらには時代背景もあるんですけど、過酷な自然で。実際撮影もこういう中でやったわけですよ。厳寒の中、過酷な自然に囲まれて生きていた時代っていうのは僕らの先祖は中々長かったわけですけど、そういう「自然と人間の葛藤」というのがテーマかと思います。
撮影はかなり過酷だったと思いますが、撮影が過酷だから結果がいいわけじゃなくて、やっぱり結果ありきですから。あんまり大変だったっていう事を言うのもどうかとは思いますけどね。
――ストーリーの舞台は1820年代。日本で言えば江戸時代末期の頃なんですよね。
そうなんですよ。だから200年前までいってないですもんね。だから歴史的に考えてもそんなに昔じゃないですよ。一応、レオナルド・ディカプリオと相手役がトム・ハーディなんです。トム・ハーディは今一番注目されていると言っていい俳優だと思いますけど。
まあ一見するとトム・ハーディが悪役に見えるかもしれないけど、イニャリトゥがしきりに言っていました。「別に悪い人間じゃないんだ」と。「あいつはあいつでドラグマティックに、過酷な自然な中でタフに生き抜いてやろうと思っている人間にしか過ぎない。だから決してこれは善玉と悪玉の戦いの映画では無いんだ」としきりに言っていましたし、僕もそう思います。でもトム・ハーディの演技があまりにも凄いので、憎くなってきますよね(笑)。
――今の目線、登場人物の関係性というものを先に聞いておきたかったですね。
でもあんまり言わない方がよかったかな。自由に見てくださいね(笑)。
――それから映像と音楽を合わせて完成したものを観た時、作曲者としてはどう思いましたか。
音楽が大きかった。音が(笑)。映画によってはね、こっちが思っていたよりも細かいところが聴こえないとかそういうことはいくらでもあるわけなんですけど、今回はでかい(笑)。だから嬉しいと言えば嬉しいんだけど、ちょっとでかすぎじゃないかなって心配したりして。あとは割と長い部類の映画ですよね、上映時間2時間半って。でも長く感じませんでした。
それから長い制作期間の中でとても好きなシーンがなくなってたり、順番が変わっていったり、編集が変わっていくんですね。コンピュータのOSみたいにバージョンが付いていて、1.0から最後は8.5くらいまであったんですけど。僕は最終的に今繋がっているものよりも7.4が好きだった様な気がします。
――私たちは決して見られないわけですよね。
そうですね。門外不出なので。今回は映像のセキュリティに関しても非常に厳しくて、僕らはダウンロードしますよね。やっぱり仕事終わったら全部消去しなければいけない。ハードディスクから全部会社からきちっと「これを使え」と指定されて、終わったら消去。当たり前ですけど。沢山お金を稼げる映画ですからね。
誰から、どこから流出したかもわかる様にちゃんとなっているんですよ(ウォーターマーク)。しかもその、録音している間にあちこちスタジオ移りますよね。ニューヨークに行ったり、LAに行ったり、東京に行ったりしたんですけど、今回は。スタジオを移る度にそのスタジオのウォーターマークまで入っていて、どこのバージョンで、どこから漏れたかっていうことまでわかる様になっているから逃げようが無い。まあ漏らしませんけども(笑)。リークしてもばれちゃうし。ばれた時も損害がさ、何十億とかでしょ。払えませんから。しませんよ。
健康じゃないと楽しめない
――今後のお話もお伺いしたいのですが。
今年に入って、また新しい日本映画の音楽を2月、3月でやって完成させてきました。それはまだタイトルは言えないですけど9月公開の作品です。6月くらいに情報が解禁されるそうです。
だから、まあ今のところやらなきゃいけないのは明日(9日)から『COMMMONS10 健康音楽』というイベントがありますね。これは2年前に病気になりまして、人生初の大病をして、おかげさまで治ってね。こんなハードな仕事もできるようになって。体重も10キロ以上減って、こんなにスリムになってですね、人前に出るのも何となく安心して(笑)、という様な感じですけども。
20年以上前から健康に関する例えば、食べることとか運動とか呼吸法とかね、そういうことはとても気を遣ってきてはいたんですけど。やはり病気になってしまった。病気になってみたら当然そういうことをもっと真剣に考えますよね。治ったからといってすぐ以前と同じような生活をするのではなくて、続けています、ちゃんとね。だから健康に関して気を遣っているし、そういう事をみんなと共有したいという気持ちもある。
でも、まず何よりも映画にしろ音楽にしろ健康じゃないと楽しめないですよ。これは健康だけでなくて、例えば経験でいうとニューヨークの9.11のテロの後とか日本の3.11の後とかは音楽を聴くような気持ちになれなかったです僕も。ましてや作るなんて。だからそういう過度な緊張状態とか恐怖とかね、不安な状況とか、それから同じように個人の病気とか健康じゃない状態だと音楽とか長くできないですね。だからそういう意味で健康とかは(創作活動と)大事な結びつきなんだなっていうことを身をもって知りましたから。そういうことを色んな角度で、ワークショップありコンサートありでやってみようというイベントです。
「COMMMONS」という音楽レーベルをやってきて今年で10年目ということでね。沢山縁のあるアーティストが参加してくれるということでね。素晴らしい人たちが一同に集まるので是非ふらっと遊びに来てください。
――落語があったりと音楽だけじゃないですよね?
そうなんですよ。病気して免疫力を上げなきゃっていうんで早速(三遊亭)圓生のDVDボックスを買ってきたりしてましたけど、やっぱり笑いは大事ですねえ。まあ、お笑い番組なんかも(坂本自身が)出たことありますし。YouTubeにも上がってますよ。
――では最後に、これからご覧になる皆さんに一言お願いします。
今日は本当に雨も風も激しい中、観に来てくださってありがとうございます。でもその価値はあると思います。観た後はかなりぐったりくるかと思いますけどね。力の入る、息の詰まるような映画だと思う。僕も本当に作りながら大変でした。観終わった後は深く呼吸してください。健康のために(笑)。
――ありがとうございました。坂本龍一さんでした。
(文・小池直也)