カップリングは実験室、スキマスイッチ ヒット曲を支える信念
INTERVIEW

カップリングは実験室、スキマスイッチ ヒット曲を支える信念


記者:木村武雄

撮影:

掲載:16年04月10日

読了時間:約34分

気付いた瞬間に広がる音楽の楽しさ

常田真太郎

常田真太郎

――スキマスイッチさんの楽曲は名曲が多いうえに常にどこかしらで流れていて。「いつもそばにある」という空気のような存在でもあります。しかし、当たり前にあるからこそあえて向き合ってこなかったといいますか、そういった感覚があるんです。

大橋卓弥 わかりますね、その感覚は。

常田真太郎 BGMになっている?

――そうですね。

常田真太郎 凄く嬉しいよね?

大橋卓弥 「スキマスイッチって聴きやすくて、耳馴染みが悪くなくて、綺麗なラブソングを歌っていたり、爽やかでアップテンポな曲を歌っている」という印象。おそらく、パブリックイメージはそういうものだと思うんですよね。それがある瞬間に「あれ、ちょっと歌詞カードを見ながら聴いてみたら意外とエグい事を言っているよな…」とか、ふと気付いたとしたら、その瞬間から“掘っていく”と思うんですよね。そういう意味で言うと僕らの楽曲は、「最初はサラッと聴くのに適している音楽」だと思うんですよ。

 それは、今作なんかは結構“エグい部分”が強く出ている部分もあれば「何か変わった事をやっているな?」と感じるところがあったり、それがキッカケになれば良いと思うんですよね。J-POPは、いわゆる「聴きやすい作品」が多いと思うんですけど、僕もいろんなアーティストの曲を学生時代と同じ感覚で聴いたりもしますし、もちろん今だからこそ専門的に聴いたりする部分もありますけど、「音楽を楽しみながら聴こう」という感覚はずっとあって。僕もサラッと聴いていたものが「あれっ!」と思う瞬間があったりして、そこが凄く面白いんですよね、音楽って。そうすると、音楽を掘り下げていく事によって、歌っている本人や演奏者は「実はどんな人なんだろう?」という興味が湧いてきたりとか…。

 基本は“娯楽”ですから音楽は。極端な話、無くてもいいんですよ。だけどそこでひっかかる事があると、作り手としては何かしらその人の人生に「引っ掻き傷」をつけたような気持ちになるというか。その「引っ掻き傷」がただ痛いだけだったらみんな嫌がるんですけど、音楽ってそれが「痛気持ち良い」みたいな、そういう魔力がある気がして。だから「人となりから出てくる音楽」に興味を持ちだして、「何かこの人ちょっと追っかけてみたい…」というのが何かの拍子に起こればいいなと思って。でもそれは僕らから押しつけようとはしないので、もう本当にサラッと聴いてもらっていいと。だからさっきシンタくんも言った「凄く嬉しいよね?」というのに繋がるんですけど。

――日本語だと意味が理解出来るので歌が心にダイレクトに入ってきて、時には痛く突いてくれる事があるのですが、スキマスイッチさんの場合はそんな風には感じないところがあるんです。それには何か理由はあるのでしょうか? メロディだったり歌い方だったりとか。ほとんどの歌詞が日本語なのに。だからこそ、そういったところに気を使っているのかなとも思いまして。

大橋卓弥 「押し付けない」というところだろうね。

常田真太郎 「いい曲」を作っても裏側がないと面白くないと思うんです。いつも僕らがよく話す内容で、“奥行き”というのがあるんです。それはサウンドもそうなんですけど、歌詞も、特に最初と文末以外のところで前後に物語があって、行間にも物語があって、設定があってというところで、それが“奥行き”に繋がるんです。ある人は「あれいい曲だよね。いい事を言っているよね」と。でもある人は「そう? あれって実は逆の意味なんじゃないの?」という曲をつくりたいんですよね。

 それを伝えるには英語をたくさん使ってしまうと、ちょっと突っぱねてしまうというか。「さあ聴き込んでみよう」という人が100人中50人いたのが、その場合10人になってしまったりとか。というよりも、100人いたら100人が全員違う聴き方をしてもらって、聴き込んでみようという人を増やしたいという気持ちが多いので、なるべく日本語で伝わるようにというのがあります。あと単純に、英語が喋れないっていうのもありますけど(笑)。そこで表現できる力がまだないというか。その2つですかね。「人間みたいな曲をつくりたい」というか。凄くニヒルな事を言っていても、どこか憎めないとか。そういう人いるじゃないですか? 嫌われるだけの人じゃなくて、というところで、“曲の人格”がもしあれば、そういう人格を全曲につけてあげたいなと感じますね。

伝える手段としての言語

「良い曲」には奥行きがある

「良い曲」には奥行きがある

――ロックで言いますと、全編英語詞というのが最近増えてきていると思うのですが、あるバンドに話を聞いてみたら、やはり「世界を視野に入れている」という話をされていたんです。スキマスイッチさんは世界を考えていたりしていますか?

大橋卓弥 考えていない、というと嘘になりますね。どれくらい自分達の楽曲が世界で聴いてもらえるんだろうというのは、もちろん興味があるので。

――世界に広めるとしたら日本語にこだわっていきたいという気持ちは?

大橋卓弥 う〜ん…。それは悩むところですね。

常田真太郎 伝わればいいんですけどね、言葉の“仕掛け”が。英語の字幕とか見ていても「これ多分こういうジョークじゃないんだろうな」とか思うじゃないですか? 英語が分かる人が聞いたら「いやその訳は日本語になってニュアンスが違っている」とか。そういう部分が上手く伝わる方法があれば面白いなと思うんですけどね。そういう仕掛けが英語だとこうなって、それが歌ったときはまた面白いよ、という風になれば、英語にしても全然伝わりますし。「日本人が考えた英語の歌詞」というのが確立できるかもしれないですね。ただ英訳しただけとか、英語詞にすると中身なくなっちゃうね、というのだったらあんまり僕らがやる意味が無いかもしれないですね。英語詞だからこそやれる事というのは、日本人が考えるべきものがあるかもしれないなと思いますけどね。

大橋卓弥 まず単純に日本語で歌っていて(外国人に)聴かれている時って、「珍しがられているのかな」と思うんです。偏った考え方ですけど、自分がもし海外で歌って、「面白い日本人がいるぞ」という具合に。その「面白い日本人がいるぞ」という時点で音楽とは違う何かがプラスされていて、その不可抗力も含めての良さになってくる。それでもいいんですけど、例えばニューヨークに行って音楽を始めよう、音楽じゃなくても美容師とか絵を描こうとか、そうしたら、その場所にちなんだ言葉をみんな勉強すると思うんですね。それは何故かというと、その方が伝わりやすいからだと思うんです。

 日本語で言ってなかなか伝わらないよりかは、じゃあ英語を覚えちゃって一言で気持ちが伝わる方がいろんな事がスムーズにいくと思うんです。そうなった場合、まずみんなが海外に行った場合って、恐らくですけど、そこの土地の言葉を勉強するところから始めると思うんですね。喋れる人はその作業はいらない訳ですけど。という事は、みんなは「共通言語で何かをしようとしている」という事じゃないですか。そこにきて「日本語で歌う」という事は「解ってくれなくてもいいです。僕は僕のやり方で勝負したいから」という、なんと言うか、それこそ“エゴ”だけ。

 でも、逆も考えられるんですよね。海外に行って英語をどれだけ勉強しても、ネイティブな発音は恐らく日本人は相当練習しないと出来ないと思うんです。相当喋れる人でも。日本でもいますよね? 完全に外国人という感じの人が本当に上手に日本語を喋るという方。だけど、どこかやっぱり違うんですよね。それが出てくる以上、逆に英語で歌っていたら「変な英語だな」と思われる可能性もあるし。だからそれは凄く難しいところですね。「日本の文化を伝えたい」という事であれば日本語で歌うべきだと思いますけど。同じ土俵で戦いたいとなると、日本語じゃないのかなあと。訳が違ってくる、とかもそうですよね。

常田真太郎 「SUKIYAKI」(※編注=海外でも多くカバーされている坂本九さんの楽曲「上を向いて歩こう」の別名)はそういう意味では凄いよね。日本語で、あの音で伝わったという。

大橋卓弥 そこは多分、日本がこの小さな島国であるところの弱さですよね。日本を知らない海外の人もたくさんいると思うんですよね。「日本ってどこ?」と言う人もいると思うんです。それくらい小さな世界で、だからこそたぶん僕らは「英語で歌われている曲はカッコいい」という。もともと向こうで始まったものかもしれないですけど。さっき話した、僕らは英語が喋れないから日本語で書いているというのもありますけど、簡単にそれを取り込んじゃうと、なんかそこに逃げてる気もしますし。サウンドがカッコいいって大事な事なんですけどね。

常田真太郎 そこを追い求めたらたぶん英語になるね。サウンドがカッコいい事を追い求めたら。

大橋卓弥 やっぱり「伝えたい」という気持ちがある以上はおそらく日本語で書くでしょうね。

――以前、UKのバンドに「日本の音楽ってどう思いますか」と聞いたところ、「きめ細かいし、演奏も上手だし、真面目だ」と言っていたんです。その一方で「海外はどうですか」と聞いたら「荒々しいし、演奏で間違うこともあるけど、そこは必要以上に気にしないんだ」と、「ロックでも日本人は真面目だ」と言われている皮肉めいた感じでした。ただ逆を言えば、それだけ日本は、音楽やサウンドは世界にも通用する素晴らしいものを持っているという事だと捉えました。

常田真太郎 なんだか工業製品のようですね。日本の製品は品質が良いと。

大橋卓弥 まあ、それすらも皮肉と思ってしまう日本人の習性ですね。たぶん向こうの人だったらそう言われたら「ああそうなんだ! 嬉しいよ!」と褒めてもらえたと思いそうじゃないですか。僕らは「ああ、そういう言い方をされるんだ、日本の音楽は」って、ネガティブ文化ですよ(笑)。だからこそ、“哀愁”だったりとか、日本の音楽の良さがあるんですけどね…。

常田真太郎 だからと言って「じゃあ荒々しくやりましょう!」ってね、なれないもんね(笑)。ウソになっちゃう。そう育っていればいいんだけどね。

大橋卓弥 そう。そう育っていれば、それが普通だと思う。けど、新しくそれを取り込もうとすると、もの凄い異物が入ってくる感覚になると思うんです。最初は。ただただ荒々しくやると、間違った解釈だと思われるんですよね。「そういう事じゃないんだよな」という。

常田真太郎 先ほどの“素直に受け止める”という話って、グローバルな視野を持った人がそういうことを普通に考えていると、日本では謙虚にみられず横柄な態度として受け取られ、社会から弾かれますからね。「素直になりなさい! そういう視野を持ちなさい!」という教育でも言っているはずなのに、全然違う意見を言うと「何だ、君は!」という風に。

――そうですね。それでも昔と比べたら良くはなっていますが、まだありますね。

常田真太郎 そうなりがちですよね。もったいないなと思うんですけどね。ひょっとしたらカップリング・ベストの方がそういう気持ちが出ているのかもしれないですね。日本特有の感覚にとらわれないというか。ちょっといつもと違うラインで作っているものだけ、“エゴ的なもの”が強いので、匂いとしてはそっちの方が強いのかもしれませんね。

――やりたい事ができているのがカップリングでしょうか?

常田真太郎 「そのままできている」という方が正しいかもしれないですね。やりたい事がやりたい事のまま、2人の足した容積分みたいのがそのままパンと出ているという。やっぱりタイアップだったり、アルバム曲だったらアルバムの流れとか、他の曲との兼ね合いもあるんで、そういう事もほとんど考えずに作ったものもいくつかありますし、他の要素は少ないですね。

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