LACCO TOWER、結成13年目でなぜメジャーを選んだのか
INTERVIEW

LACCO TOWER、結成13年目でなぜメジャーを選んだのか


記者:小池直也

撮影:<インタビュー>LACCO TOWER結成13年目のメジャーデビュー【1】

掲載:16年02月05日

読了時間:約12分

結成13年目でメジャーというフィールドを選んだLACCO TOWER。その背景には「欲求」への意識の変化があった

結成13年目でメジャーというフィールドを選んだLACCO TOWER。その背景には「欲求」への意識の変化があった

 LACCO TOWERが3日に、メジャーファーストシングル「薄紅」をリリースした。昨年、結成13年目にしてメジャーデビュー。これまでも何度かメジャー移籍話があったものの断り続けてきた。それがなぜ今になってメジャーというフィールドを選択したのか。彼らは自身を「遠回りしたバンド」と呼び、その心境の変化は、自身で事務所を開設したことがきかっけであると語った。活動を一通り行なって見えてきたシンプルな夢。それを実現するための一つの選択がそこにはあった。今回は、松川ケイスケ(ボーカル)と塩崎啓示(ベース)にインタビューを実施。彼らのこれまでの歩みや、心境の移り変わり、そして新譜に込められた想いなどを聞いた。

――改めてバンドの紹介をお願いします

松川 もう結成してだいたい14年目くらいになるそんなに新しいバンドでは無いんですけど。そうですね、日本語のただのロックバンドですかね。削って削って凄い単純に言うと。

一同 (あまりのシンプルさに笑)

松川 もともと僕ら自体が「こういうバンドやりたいね」と集まった5人ではないんですよ。まあ、メンバーも替わったりしてるんですけど「この5人なら何か面白い、カッコいいバンドできるんじゃないか」みたいなところでなんとなく集まったのが始まりなので。

 だから「こういうジャンルをやってこう」とか「ああいうことやろう」というのを決めてから、「よーいどん」でスタートしたバンドではなくて、活動していくうえで段々と構築されてきたというか。ひとりの人間みたいが成長していくみたいに、ぐらぐらぐらぐらしながら10年ちょっとくらいかかって今の、いわゆる「LACCO TOWER」みたいな物に辿りついた様な。結構、遠回りしたバンドですね。

――裏を返せば理想形を目指して時間をかけて歩んでこられたともとれます。ロックバンドとしてのこだわりは?

塩崎 もちろん、紆余曲折しながらですけど、メンバーが替わりながらも続けていられてます。言い続けていることは割とネガティヴで暗いところから入るんですけど、一個の光をみて最終的にはポジティブに「みんな明日からも頑張れよ」というスタイルはずっと変わっていないと思います。そこは大事にしたいし、これからも言い続けていきたいですね。

――そうした過程で昨年、メジャーデビューをされました。もともと、メジャー指向ではなかった?

松川 そうですね。バンドをやっている人間としては、それがひとつの目標だと思いますが、僕らはそこが最終目標ではなくて。確かに最初は憧れていたし、その一方では「行かなくてもいいや」と思っていた時代もあるんですけど。メジャーは、バンドとしてステップアップしていくための大きなターニングポイントだったのかなとは思います。

――これだけ長く第一線で活躍されていれば、これまでにもメジャーデビューの話はあったかと思います。それ故に、今まで敢えて避けてきたとしか思えません。ここでぐっと踏み出したのは何か心境の変化があった?

松川 その通りなんですよ。メジャーへの話をいただく少し前に、バンドで「I ROCKS」という会社を立ち上げまして、塩崎が社長なんです。役割は、簡単に言えばバンドの細かいところですよね。ライブハウスに電話して「こういうバンドで、ライブをやりたいんですけど」、「じゃあノルマはいくらです」とか、そういうところから始まって。それから企画をやってみたりとか、ハコ(編注=ライブハウスのこと)の店長に相談したりとか、知り合いのバンドを呼んだりとか。

 そういうステップを踏んでいくなかで、バンドとして一個先のものを常に掴んで行こうとすると、自分たちの力では凄く時間がかかってしまうということに気づいた瞬間がありました。そこを下から支えてもらえる関係性を今このタイミングなら作れるかな、という時にちょうどいいお話をいただいたんです。

――より多くの人に音楽を届けるために「いざ」メジャーへ踏み込んだ?

松川 そうですね、その辺の苦労はたぶん、塩崎がよく知っていると思います。外交的なことは彼がやっているので。実際、ハコをおさえたりするのもそうですし。色んなところで考えるところがあったんじゃない?

塩崎 メンバー間で自覚が芽生えた瞬間は、会社を設立した時だったと思うんですよ。そもそも、ずっと故郷の群馬でフェスをやりたいという願望があったんです。それで「I ROCKS」というフェスを4年前から企画するようになった。それ以外にも自分たちが立ち上がって何かをする時に変な話、「清算は請求書でお願いします」みたいなことになったり、色々と事が変わってくるじゃないですか(笑)

 そうすると先方もこちらを会社として見てくる。個人事業で会社ごっこみたいなこともやっていましたけど、でも、ようやくそれが会社になった時に自覚が芽生えだしたんです。もっとやれることも増える、可能性も選択肢もどんどん広がるぞ、と。そこでメンバーで一回フラットにして考えたんです。本当に物事をシンプルに。そうしたら「メジャーデビューしたいよね」「やっぱ武道館はやりたいよね」とか「ミュージックステーションに出たいな」という思いが浮き上がってきた。

 色々活動していくと変わるじゃないですか、見えてくるものもあるし。だから憧れが変わってくる時もあったんですけど、でも一周したらやっぱりシンプルに「メジャーデビューしたい。今からできるならやろうよ。このタイミングしかねえぞ」という感じで何も迷いは無かったですね。

 実は、その前にそんな話があって「どうしよ」と迷っていたら、結局上手くいかなかったのが2、3回ありました。今回のチャンスはしっかりみんなで握りましたね。本当に来るとき来たなって感じです。自分らの体制が整ってなかったら多分辞めてますよ。

――そのお話を聞いて先ほど松川さんが「ただのロックバンド」と答えられた意味がわかりました。バンドのHPには「狂奏音楽家」というコピーもある。こちらもそのような返答を期待していたので正直呆気にとられたんです。でも今は「ただのロックバンド」という言葉に説得力を感じてます

松川 「狂奏音楽家」というのも僕らが考えた造語なんですよ。

塩崎 多分誰かに言われていたら「狂奏音楽家なんて無いでしょ」と言っていたと思いますけどね。「俺らで考えたことしか出来ないよ」というこちらの構えだったんです。ちょうど会社設立の頃でもありましたしね。松川が特にボーカルとしてもそうだし、人前で言うこともそうだし、自分たちを客観視できる人間なんです。俺たちを見てどう売っていこうかということを当時は無い頭を絞って、ああだこうだとやっていました。

――手に負えるギリギリのところまで自分たちだけでマネジメントをしてから、メジャーに行く必要性と意味を握ったという点が興味深いです。時代に合っていますよね、段々と大衆に届けるんだという方向になり始めている。でもLACCO TOWERみたいに長年活動しているバンドが今その様なステージに向かっているということが本当に面白いと思うんです。大体、若いバンドは依然、インディーズ志向な気がしますし。これから増えるのかもしれないですが

松川 確かに年齢を重ねると、やれる事は増えてきますけど、やれなくなる事も増えてくる。固まってくるといいますか。それはいい事でもあるし、それで確立しているバンドも沢山いるので良いと思います。ただ、僕らはやっぱりシンプルなんですよ。沢山の人に見てもらいたいし、自分たちはロックバンドだと思っているし、そういう歌を作っているという認識もある。「テレビに出たい」とか「何かをしたい」とか、そういう欲求を言う事に対するつまらないプライドが無くなってきた。そりゃあ出たいでしょ、という(笑)。意味のあるプライドなら素晴らしいと思うんですけど、そこの境界線ですね。バンドをずっとやってきて良いも悪いも沢山言われて、ある種色んなものを脱ぎ捨てて本当に素直にそこと向き合えている気がしますね。

――メジャーデビューしてからの手ごたえは?

松川 あるかないかで言えば、ありました。ライブに初めて来てくれるお客さんも増えて、間口が広がったというのはもちろん。あと、今まででやったことがないことを沢山やったリリースでもあったので、それが顕著に返ってくる面もありましたね。僕らは事務所としても自分たちのことを運営しているので、本当に知らなくてもいい細かい数字まで全部わかるんですよ。普段は事務所があえてアーティストに言わない様な数字がゼロからわかってしまうので、逆にまだまだだなと感じるところもあります。最初は、そこをどう自分が咀嚼(そしゃく)して、今後どうバンドで出していくのかという点で難しい部分もありました。でもそれも慣れなのか、今回のシングルに関してもまだ結果は出てないですけど心構えはできているというか、バンド以上にリリースを楽しめている気がします。

塩崎 それはもしかしたら、俺たちは想像だけをめっちゃしてたんじゃないかな。というのも、下の後輩だったり近くの仲の良いバンドだったりがそういう晴れ舞台というかスポットを浴びる様な機会を指をくわえて見ていた側なので、「いざ俺たちがここに行ったらどうだろう」という想像力というか、妄想みたいなものをものすごくしていたと思います。だから楽しめているのかなと。

――リリースされたばかりのメジャーファーストシングル「薄紅」に収録されている3曲についてお聞かせいただけますか

松川 リードの「薄紅」というのは奇跡の中でできた曲というか、色々な偶然が重なって今回この形になったんです。もともと歌詞も違いましたし、アレンジも全然違うものを用意していたんです。でもすごく良いタイミングで良いアドバイスをもらった瞬間だったり、歌詞を書き直した瞬間だったりとか、そういう狙ってもできない瞬間瞬間が何個も重なって今の形になったんですよ。でも、結果としてはLACCO TOWERが新しいことをやっているというよりは、今まであった一番ベーシックなものを出せている様な気がするんです。バンドとして。だから「薄紅」を10年前に演奏していたとしてもあまり違和感が無い。僕らの血肉の部分がすっと出てきた。しかも狙ったんじゃなくて色々な偶然によってそうなったというのが運命的なものを感じる曲になりましたね。

――作曲はタイアップ(ドラゴンボール超EDテーマ)を前提に?

松川 そうです。最初に候補曲を何個か出していて、その中から残ったのがシングルに入っている「薄紅」と「奇々怪々」だったんですよ。「奇々怪々」の方が作曲者(鍵盤の真一ジェット)やギターのアレンジとかも含めて結構、ドラゴンボールというのを意識してると思いますね。

――「奇々怪々」はまたガラッと激しいマイナー系のロックチューンですが、これもEDテーマ向けに作られたのでしょうか? ドラゴンボールのEDというとやはり「でてこいとびきりZENKAIパワー!」のイメージがあるので(笑)

塩崎 駆けてくるよー♪(歌いだし)ですよね。それこそドラゴンボール世代じゃないですか。だからイメージが植え付けられてるんですけど、今、誰がテーマを担当しているのかを改めてみると「何やってもいいのかな」というのもちょっとあって(笑)。ドラゴンボールだからという愛もあるし、あまりこう変なことはできないという気持ちもあって。でも、そこにはあえて目は向けず、バンドで得意としている「奇々怪々」みたいな作り込む曲と「薄紅」みたいに「ぱっ」と作るような曲とかも含めて提出したんです。バンドではそれを「白」と「黒」と呼んでいるんですが、その2パターンが最終に残ったので、もうどっちが選ばれてもよかったですね。

松川 今回の2曲は言ってみれば僕らの色なんですよ。「白い曲もできるし、黒い曲もできる」と僕らは表現するんですけど、激しいの(黒)をやったらバラードの(白)をやったりして、最後盛り上げて終わるみたいなのはライブをやるときも、アルバムをつくるときも意識してます。「あの2曲を絶対入れたいです!」みたいな僕らの思いは、もちろんあるんですけど(笑)。そこだけでは無い本当に色んなバンドメンバー以外の人たち、チームLACCO TOWERの色んな意見が本当にいい方向に重なってああいう形にできた。狙ってできることじゃなかったですね。4カ月前くらいの自分に教えてあげたいです。僕らの両面性が上手く残せたんじゃないですかね。

――「白」と「黒」、両面性で面白いですね。最後の曲「灯源(らんぷ)(Re-Recording)」についても教えてください。録音し直したとのことですが、やはり想い入れが?

塩崎 そうですね。これも凄く大事で俺らのきっかけになる曲でもあったので。ファーストシングルは凄い重要じゃないですか。じゃあ残り1曲何を入れるかっていう時に、新曲でもよかったんですけど、やっぱりバンドがステップアップするタイミングの1枚なので、それは昔から支えてくれている人たちにも向けたかったし。全部が新しい名刺じゃなくて、それはもともとある自分たちの中の曲でもできるなと思ったので、この大事な曲を選んだんですよね。最初に話したような暗闇で見える白い光ってイメージが強いのでLACCO TOWERそのものかなという代表曲みたいなものですね。

――再レコーディングするにあたってアレンジなどを変えたところは?

塩崎 これは…

松川 これは…逆に無い(笑)。

塩崎 そう(笑)。これはもともと出した時から大事なライブとかでやったりしてるんですけど、そうすると一皮二皮剥けてくんですよ。テンポとかは変わったりしてるんですけど、どちらかというと勢いとか歌い方とか、この歌に込めるパワーの方が強いんです。本当に「せーの」で合わせてライブを意識して録った感じ。がらっと変わることは敢えてしてないですね。

――となると音の質感が違ったり、今までの紆余曲折が現れた再録音なんですね

塩崎 でも「凄い綺麗に録れたね」ではないですね。「凄い気持ちが入って録れたね」なんで。

松川 ギターも、レコーディングした当時とメンバーが変わってるんですけど、今のギター(細川大介)もあえてあまり手を加えたくなかったので忠実にコピーをしたって言ってましたね。僕も(録音)一発で決めましたし。これだけは一発の方が良かったんですよ。録り直しても良かったんですけど。

塩崎 スイッチが入ったんですよ(笑)。松川はライブと同じように裸足だったし。録音ブースの中がステージみたいなテンションで気持ち込めて歌った感じだったと思うんですよ。だから「ここの部分気になるな」といつも直すようなところもそのままで行こうとなった。

――シングルをリリースしたとは言え、まだまだ2016年は始まったばかりです。最後にこの一年はどのような活動をされたいですか

松川 スタートとしてはタイアップも頂いて良いお話しばかりなんで気持ちはいいけど、未来もそのタイアップが続くわけでもないですし、今一番いい時だとしたらもう少し良くするためにもっと頑張らきゃいけないとも思う。逆に今一番しんどいかもしれないですね。だから「やったー」という感じでも無いです。でもその分、楽しみも一杯ありますし、今後決まってることも色々あってそれをみんなに発表できるという楽しみもあるので、それを途切れさせない様にしていきたいです。どんどんワクワクさせたいし、「あ、LACCO TOWERって面白いことやってんなー」みたいにも思われたい。「カッコいいなあのおじさん」とも。あ、お兄さんか(笑)

塩崎 まだメジャーになってから1年も経ってないんですけど、インディーの頃はずっと悔しかったんですよね。やっぱりもう、うらやましい。指くわえてて。色んなバンドが武道館でやったりとか、夢を叶える姿を見ていて。去年になってメジャーデビューしてからアルバム1枚を出しました、シングルも控えてます。そう考えても、悔しさとか感覚が全然変わらない。だからひとつも満足してないですよね。今年は今年でシングルを出してもまだまだ上には上がいるし。バンドとしてのさっき挙げた夢はもちろんですが、これをクリアしたらあれが出てくるということになると思うんです。逆に「はい、ここがゴール。おつかれさまでした」とはならない気がしていて。今後の目標というと夢がどんどんどんどん大きくなってくのが現状ですね。もう変な邪念やプライドはもう無いのでとにかく走り抜けようかなと思います。

(取材・小池直也)

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