清塚信也が語るクラシック音楽の今昔、「人に伝えてこそ芸術」
INTERVIEW

清塚信也が語るクラシック音楽の今昔、「人に伝えてこそ芸術」


記者:木村武雄

撮影:

掲載:15年11月06日

読了時間:約25分

裏方に回ったことでみえた「あなたのためのサウンドトラック」

最新アルバムは意識に変化があったと語った清塚信也/撮影・紀村了

最新アルバムは意識に変化があったと語った清塚信也/撮影・紀村了

――アルバム「あなたのためのサウンドトラック」について伺います。今回のテーマは

 題名の如く「あなたのためのサウンドトラック」というのは僕のなかでは革新的なことでもあって。自分名義で自分の名前を看板にしてアルバムを出すということはいかに、自分が主役になって人を引っ張っていかなくてはいけないと言いますか。カリスマ性のようなことを求められて、それに応えるプレッシャーが今までもありましたし、そうでなければいけないとも思ってはいるんですけどね、今回に関しては、新しい僕の姿、新しいピアノの姿というのが見い出せたと思うんです。

 というのも、劇伴をやらせて頂くうえで、初めて裏方、スタッフとして現場に入る事を経験してるんです。そうすると見えてくる世界が違うんですね。そういう角度から得た事もたくさんあって。ピアノという音楽ははっきり言って日本ではまだ主役になれてないんです。やっぱりポップスとか歌というのが音楽の中ではキングだし、その中でクラシックやインストの世界はかなりまだ下の方にいる。人気としてはね。凄くマイノリティな世界になっているんですけど、そういう世界の人が「主役だ!主役だ!」というふうにしようとすると痛々しいんですよね。

 クラシックをやる時というのは、その価値を完全に伝えなければいけないから強引にでも引っ張っていかなければいけないんですよ。でも、サウンドトラックとか僕の作曲した曲を聴いてもらう時に、「僕が主役じゃなくていい」「譲るよ」という気持ちがようやく出てきたんですよ。やっぱり聴いてる本人が、聴いてる心境であったり、その人の境遇だったり、人生のフェイズとか段階だったり、ステップだったり、そういう節目節目に僕の音楽を選んでくれた、ということ自体がすごくありがたいこと。聴いている人の時間こそが主役なんですよ。

 それは正に、セリフとか芝居とか演出を立てているサウンドトラックと一緒で、音楽自体が主張し過ぎると、それが邪魔なだけなんですよ。「いい音楽であればいい」ということではないんです。だから、いい音楽でなきゃいけないんだけど、それにプラスして余白を残して、芝居をしてもらったり演出をしてもらったり、何かを感じてもらう余白を残す音楽というのがみえた。

 やっぱり1.5列目くらいの音楽という在り方、ピアノの在り方としてもそういう立ち位置というのは今後あるんじゃないかなと思っています。「いやいやピアノは主役だ。聴けよ聴けよ」というのも大事なんですけど、ピアノはいつでも寄り添って後から「あなたの思い思いの感覚で好きに捉えて下さい」という提示の仕方、ピアノを新しいライフスタイルとして入れて欲しいなという考えがあって、今回はこうしたアルバムにたどり着きました。

――今回のアルバムを聴いた印象は、音色がとても優しく、「貴公子」という言葉が浮かびました。女性の心を知り尽くし、手を優しく差し伸べエスコートする貴公子というような印象を

 そう言ってもらえると嬉しいですね。ガイドラインになったり、サポートしたりというような意味合いでの音楽、寄り添うという意味の音楽ですね。正に。

――相手に優しさを与える余裕は自身に余裕がないとできないと思いますが

確かに。歳をとったんでしょうね…。あとは子供ができたというのも大きいと思いますし、もう一つはさっきも言った通り裏方として作品に携わる事ができた。これは僕の人生で初めてなんですよ。今までは必死で一番にならなきゃいけないと。コンクールでもリサイタルでも一番にならなきゃって。バラエティ番組に出ても「持ってかなきゃ!」と。そういう、自分の看板を背負っているというのが僕の生き方だったんですけど、ここにきて裏方としての自分という面、いわゆる「作品の顔」ではなく「歯車」になる部分という自分の心地良さも得たし、そういう経験して価値も上がったし。それからくるものじゃないですかね。

アルバムでの意識変化

――野球とサッカーがお好きと聞きまして。野球で例えると、1番バッターがホームランバッターを目指すようなものと言いますか

 正にそうですね。でも、この例えの方が良いかもしれませんね。一塁に1番バッターが出塁したのに、2番バッターがホームランを狙うみたいな(笑)。だから、チームバッティングするようになったと言いいますか。本当は引っ張りたいのに、2塁にランナーがいるから、右に流すかといいますか。ヒットにならなくても「進塁打を打つぞ!」というね。

――やっぱりお詳しいですね。ちなみにどの球団が好きですか

 西武ライオンズですね。最近は好き過ぎて選手と仲良くなっちゃったりして。昨日も西武の牧田投手と一緒にWiiやってた(笑)。夜10時から夜中の3時までずっと。

――野球選手と接していて何か学ぶものとかありますか

 やっぱり、飛び抜けている選手は僕と同じ境遇の人が多いですね。野球漬けといいますか。もう、練習を強いられたとか、あり得ない程の練習をしてきたとか。好きかどうかというのは別としてね。あとやっぱり勝負師が多くて、結果しか求められない世界ですから。僕らよりそうでしょうね、彼らは。評価や結果が数字に表れちゃうから。だからそういう人達はどこか厳しいね。俳優さんもそうですよ。やっぱり、“フニャッ”って最後まで優しい人はいない。どこかに芯があるから、厳しい所は厳しいね。

――人生に寄り添うというテーマがあるなかでいつもと違う弾き方をされましたか?

 それはないですね。基本的には僕の作った曲に関しては、自分のベストの弾き方とかがあるのでそれをそのまま弾いたし…あまり媚びようとはしていなくて「寄り添う」というのが本当の意味。一緒の方向を見て歩いているというだけであって、「ついて行ってる」のとはちょっと違うんだよな、という感覚。

 例えば泣くのを促す音楽というのではなくて、「僕の音楽はいつでもそこにあるから、何か思った時は振り向いてごらん」ていうスタイルなので、あまり特別なことを仕掛けてやろうという気は全然なかったですね。それと、「私の人生なんか」と思っている人もいるかもしれないけど、「そんな事はない」とこの作品を通じて言ってあげたいですね。

――そうした優しいタッチの曲が多いなかで12曲目と13曲目は力強さを感じました。これの意図は?

 これは「コウノドリ」のサントラです。「コウノドリ」の「ベイビー」というピアニストが実際に弾くシーンで使う音楽なんですよ。それが普通の劇伴と違うんですよ。劇伴は空気の様にそこに流れている音楽であって、人為的なものではないんですよ。でもこの「コウノドリ」に関しては本当に人が弾いているっていうのを観ながら聴くものなので、これは完全にプレイヤーとしての演奏なので、プレイヤーとしての僕を出していこう、としたところがありますね。

――清塚さんの人間性に興味がわきますね

 人間性はさっき言った3本の目的以外は何もしないという(笑)。本当に僕はもう常識が無いですよ(笑)。自分で言っちゃうとズルいですけどね。凄い変なところで常識がない。偏ってますよ。知っている事も凄く偏っています。

――人と違うからこそ憧れられるとも思いますが

 そうなんですか! 近づかない方が良いですよ(笑)。

(取材/撮影・木村陽仁)

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清塚信也の世界観に触れる[1]

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