清塚信也が語るクラシック音楽の今昔、「人に伝えてこそ芸術」
INTERVIEW

清塚信也が語るクラシック音楽の今昔、「人に伝えてこそ芸術」


記者:木村武雄

撮影:

掲載:15年11月06日

読了時間:約25分

俳優業は3つの目標の1つ

ピアニスト、作曲家、俳優が夢だったという清塚信也

ピアニスト、作曲家、俳優が夢だったという清塚信也

――清塚さんは俳優にも挑戦されています。俳優業もポピュラリティを考えたうえでの取り組みの一つですか

 ポピュラリティとはあまり関係ないです。僕は人生の3つの目標を決めていて、ピアニスト、いわゆるプレイヤーとして、そして、作曲家として、3つ目に俳優。この3つを人生で全うしたいと中学時代に立てていました。

 僕にとって俳優はピアニストと同じくらいに力を入れていて、たまたま僕の運命と言いますか、生まれ育った境遇が、ピアニストが先にモノになって。だからピアニストという見られ方をしていますが、実は俳優をすごくやりたかった。

 でも、同時にやるほど簡単ではないんですよ。ピアニストとしてコンクールで1位になれたし、自分の中で一番先に頭角を表したので、後は少しずつついてきたらいいなとは思っていました。それが今になって形になっているということだと思います。

――目標が達成していることを踏まえると計画的にことを進めていくタイプなのでしょうね

 意外とね(笑)

――意外には見えませんよ

 いやいや、僕ね、音楽界の中でも凄いチャラポランに見られていますからね。僕は感覚的なとこも多いから(笑)。ただ意外とやりたい事に関してはゴールがあってプロセスがある、という大きな流れでものごとは考えてはいますよ。

――ピアニストも計画的に進められた?

 もちろん、そうですよ。ピアニストとしても同じように「こういうふうになりたい」というのがありまして、プロセスがあって踏んでいっている。計画通りと言うと、少し虎視眈々(こしたんたん)としていて強く聞こえますが、目標を立てて成就するコツは2つあって、1つはもう「死んでも諦めない事」。これがまず1つのポイント。

 何か精神論みたいに聞こえるけど、具体的なこととしてもう「やめようかな、どうしようかな」ということを絶対考えない。絶対やめると考えないこと。何が何でも次へ進むことが1つ。もう1つは、「立てた目標以外の事は絶対にしない」ということ。

プライベートでは不器用?

――目標以外のことは絶対にしない、とのことですが、その一方で清塚さんはすごく器用な方だとお見受けします。好奇心旺盛でいろんなものに取り組んでも、それなりこなしてしまうように思えますが

 それが僕は全く器用ではないんです。本当に不器用なんです。1つの事しかやれない人間で、それがもうストレスで、一つひとつのことしかやりたくないのに他が入ってくるのが今でも凄くストレスで。コンサートの時はコンサートに集中したい。

 映画の時は映画をやりたいのに、他のこともやらないといけないというのがすごく嫌なんです。何かの記事で見たんですけど、イチロー選手が大リーグに行ったばかりの時に、「最近ではコンビニのおにぎりの袋も自分では空けなくなりました」と。

 そのことに共感したんですよね。僕も一緒だと(笑)。もう僕はね、どんなに人間として社会人として責められようとも否定されても、絶対に、この3つ決めたらそれ以外は何もしないと。それ以外の事は何もしたくないです。学校も行かなかったし。小学校も3年くらいしか行っていないし。中学校も2年も行ってないし。

――ずっとピアノを?

 そうですね。だから郵便局も行ったことないし。電車も子供の頃に乗ったきりですし。今は、1年に1回は乗ると決めてはいますけどね(笑)。

――それも凄い話ですね。1年1回の電車移動はどこに行かれるんですか?

 仕事とは関係のないところで。飲み会に誘われた時とかに、ふと心の余裕があったら電車に乗りますね。あまり浮き世離れし過ぎるとポピュラリティがわからなくなってきちゃうと思って(笑)。こないだ乗ったら、(自動改札機に)切符を左に入れて右から通っちゃった。

 そしたら「テレン♪」と改札の警告音が鳴って(笑)。似たような機械(改札機)が同じように並んでいて何で皆は分かるんですかね。左を通ることを!? まあまあ大きい声で「何で!」と言っちゃった(笑)。「切符入れたよ!」とも。

 その珍事件があった翌年には4、5千円くらいする切符を買って170円区間だけを乗って降りてしまったり。路線図の見方が解らなくて。横浜から渋谷に行きたかったんだけど、いくら買えばいいのわからないから、足りなかったらまた(警告)音が鳴るから「1番高いのを買っておけば安心かな」と思って。それで170円区間乗ったら嫁にめちゃくちゃに叱られて。

 それで、次の年からはSuica(プリペイド型電子マネー=大阪ならICOCA)を嫁に作ってもらって持たされたんですけど、今度はSuicaを切符の挿入口に入れようとしてしまって(笑)。3年連続で何かしらの問題を起こしてしまったという…。僕は普通にやっているつもりなんですけどね(笑)。

愛娘への想い

――幼少期からピアノの英才教育を受けてこられたと聞きましたが

 そうです。母親の方針で。「ピアノなんて楽しんでやろうと思うな」と5歳の時に言われて。「楽しんでやるくらいじゃプロにはなれない。学校も行かなくていい。友達もいらない」と。

――それに対する反抗は?

 怖すぎて。もちろん悔しいと思うことはいっぱいありましたが、それ以上にもう怖すぎて。逆らおうものなら何をされるか…とか思ったり。

――清塚さんにはお子さんがいらっしゃいますが、お子さんにはどのような教育を?

 僕は厳しくない親の元で育ってみたいという憧れがあったので、正直、甘いですね。女の子なんで余計ですよね。男の子だったら「俺はこの歳でこれくらいやっていたぞ」と言ってしまったかもしれないですけどね。

――娘さんが清塚さんの背中を見て何かをやり出したことは?

 ピアノを楽しそうに弾いている姿はありますけど、僕は自分では教えないですね。「習いたい」と言っても他の先生に任せますね。親子関係で師弟関係は成り立たないです。

――でも娘さんが「教えて」ときたら?

 まあ、楽しい範囲でやるかな…。

――プロの感覚になってしまうから大変だと?

 そうですね。だからあまり言い出して欲しくないですね。「ピアノをやりたい」と言って欲しくないですね。もっと違う職業、例えば医者を目指したいとか言って欲しいなという思いは強いですね。一般的に大人になったあとによく言うじゃないですか、「学生の頃に戻りたい」とか。僕は死んでも嫌!1回で十分です(笑)。

――そういった意味では自由になれたのはいつ頃ですか

 やっぱりプロになってからですね。「のだめ」(注釈=テレビ・ドラマ「のだめカンタービレ」で劇中演奏の吹き替えを担当)や、コンサートへの出演依頼が入ってきた頃、27歳~28歳じゃないですかね。

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清塚信也の世界観に触れる[1]

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