フレデリック“中毒性楽曲の量産工場”、新曲MV撮影現場を取材
INTERVIEW

フレデリック“中毒性楽曲の量産工場”、新曲MV撮影現場を取材


記者:木村武雄

撮影:

掲載:15年11月02日

読了時間:約5分

新体制で出す初めての楽曲

フレデリック“中毒性楽曲の量産工場”を取材[15]

 そうであるから、今作の「トウメイニンゲン」も踏襲していると思いきや全く異なるアプローチであった。親しみやすく、リズムが体に馴染む感覚はあるものの、“軽快”という字にはハマらない、どこかしか陰気なものを感じた。しかし、ここでも中毒性は発揮されているのである。いわば、彼らの器用さが証明されたものと言っても良い。

 この楽曲は、彼らの精神的支柱であったドラムのkaz.が脱退し、3人体制で初めてつくる作品だ。ベースの三原康司は過去のインタビューで「kaz.さんがいるおかげで、すごくバンドが成長しています」と語った通り、彼らはkaz.に多くを学び、そして、音楽的にも、人間的にも成長させてくれた。

 kaz.がバンドを離れた動機はポジティブなものだ。だから、親離れならぬ兄貴離れしていよいよ独り立ちする、といった表現が似合う。その彼らが今後、どのような音楽をみせるか、それをうらなう最初の作品が「トウメイニンゲン」だ。

 その重要な作品で、「リズムの視覚化」をフルに活用した前作および前々作の流れ、いわば安全路線を踏まず、新たな可能性に挑戦したところに大きな意義がある。そして、新たなアプローチでも中毒性を持たせることができた点が重要なのである。

異なるアプローチの「トウメイニンゲン」

フレデリック“中毒性楽曲の量産工場”を取材[18]

 トウメイニンゲン――。匿名希望の書き込みが反乱しているなかで堂々と名乗り出るべきではないか、という思いを歌に込めた。デジタルの世界は、「0」か「1」かの二進法を採用している。いかにもアメリカらしいシンプルな構成だが、それゆえにIPアドレス(ネット上の電話番号)の枯渇が問題視された。

 彼らの音楽、そして映像は一見、シンプルに映る。例えば、モデルの女性がある行動をループしているシーンなど。しかし、そこにはそれぞれちゃんとした意味が隠れている。前作や前々作は、無表情のキュートな女性モデルが、一定の動作を繰り返し、踏んでいた。自由さがあると思いきやそれは規則的なもの、いわば二進法の世界だった。そこに流れる、サウンドの跳ね具合やボーカルのルーズとも言えそうな特徴的な歌声との対比的なバランスがうまく絡み合った。

 しかし、今作ではストーリー性を重んじた。今回も女性モデル2人を起用。これまでは身長的にも、関係性的にも並列だった女性2人に、上下関係を持たせた。追われる女性、追う女性。怯える顔に、不敵な笑み。“並列”という規則をあえて取り払い、動きを持たせた――、これはいわゆるアナログの回帰とも深読みすることができる。演奏する彼らを横切るトウメイニンゲン、そして、動きのある女性の2人に、彼らの特長的なグルーヴ。

 冒頭にも触れた首都高速は、彼らの道を暗示するように背面に映る。直線に伸びる渋滞の本線に対して、出口の右側車線はやや傾度がある右カーブで、飛行機のように上昇してすぐに旋回するといったようにスピード感がある。それぞれ異なる車の流れにもアナログ的な要素が垣間見える。

 そして、この不規則な動きに、人間の本能をみるのである。人は生まれながらにしてそれぞれの人生を歩んでいる、ということを。「トウメイニンゲン」を含めて3部作と一括りにしたいところだが、予定調和にハマらず、見事にやってのけた彼らの器用さ、更には彼らのグルーヴの多様性に実力を感じるのである。

 この楽曲、このMV、そして、このアルバムは彼らにとって大きな意味を持つ。そして、フレデリック史上後世、語り継がれていくものになるであろう。

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