LAMP IN TERRENの本質を探る、日本語詞にこだわる理由
INTERVIEW

LAMP IN TERRENの本質を探る、日本語詞にこだわる理由


記者:編集部

撮影:写真=LAMP IN TERRENの音楽に迫る[1]

掲載:15年07月03日

読了時間:約30分

曲を生み出す“松本大”を形成するものとは

撮影・山川哲矢

6月30日に渋谷WWWで行われたライブの模様。感情をダイレクトに伝えた中原(撮影・山川哲矢)

――リスナーぞれぞれの解釈があるように私の解釈でアルバム収録曲に触れたいと思いますが、1曲目の「メイ」や2曲目の「林檎の理」は入りやすい明るい曲調。その一方で4曲目の「reverie」や7曲目の「into the dark」は内側の方に入っていくような感覚がありました。後者の2曲は、軽いノリで「ポン」と作った曲ではないような気がしますが、この曲を作った時の心境をお聞かせください。

松本大 僕は暗い曲も好きなんですけど「into the dark」に関してはAメロが格好良かった。

川口大喜 僕らとしても衝撃でしたね。(松本)大がこういうメロディ作ってきたんで、一番暗いんですよね。

――暗いですよね。どういうときに作られたのかが気になります。

松本大 「into the dark」に関しては、歌詞を書いている時の感情が…。友人とうまくいっていなかった話なので。それを極端に表現してみた曲なんです。自分の心の増幅器みたいなものを使って、大げさに書いたというのがあります。その曲の雰囲気自体がそういう風に書いて欲しい(と求めている気がして)。メロディや雰囲気だったり(心の中で)極端な事を呼んでいた気がしたので、結構大げさに書いてみたというのがありました。

――曲を作るときは自身の内側に入り込んで、内側の自分、自身の心に考えを聞き出すことがある。

松本大 あります。

――松本さんご自身、表側に向かうのではなく内側に入っていくタイプなんですね。

松本大 そうですね。ただ、結果論としては外に向っているんですけどね。こう入り込んで、入り込んで、入り込んで、その内側の中心点で外側を見る感じです。

――中原さんは松本さんと中学生の同級生だったんですよね。

中原健仁 そうです。

――川口さんは地元が一緒ですが、高校の時からの友達なんですよね。

松本大 そうです。

――中原さんから見て、松本さんは当時も突き詰めるタイプだったんですか。

松本大 その頃の俺って、あんまりおまえらにそこまで見せてなかった気がするな。

中原健仁 見せていたのかは分からないんですけど、中学生の頃だったのでまず、そういう目では見ていないですね。学校でバンドをやっていたんですけど、仲の良い友達として関わっていました。(松本大は)“自分”が凄い強い人なので、自分という核が強くあって、そのまま人と関わっていくような人だったのでうまくいかないところは見ていてありましたよね。

松本大 自分の核はなかったけどね。

中原健仁 それが僕のイメージとしてはあって。高校に上がって、東京に出てきて、どんどん変わっていったというか、人と関わっていくなかで、いろいろ得て失って、ダイブして。それで変わっていったように、僕には見えます。そのなかで、どんどん自分と向き合うようになってこういう歌詞にもなって、その様なイメージです。

――1番最初に作られた楽曲は「L-R」ですよね。

松本大 今から6、7年前になりますかね。

――やはりその時に書いた曲と、今の曲は違いますか。

中原健仁 それぞれなんだよね、あの時は。

川口大喜 うん。

中原健仁 なにも考えてなかったというのはありますね。

松本大 自分の気持ちをただコピーするというか。一番無垢でした。純粋でした。曲作りに関して。やっぱり考え込んだりしている。自分とはなんぞやとか。自分がやれる事は何だろう、とか。

――川口さんは高校時代を見てこられてますね。

川口大喜 高校時代…。(松本)大と仲良かった記憶はあるんだけど、どういう接し方をしてきたかのは記憶がない。

全員  (笑い)

松本大 可愛いかったよ(笑い)

川口大喜 ただ、初めて会った時に変な落ち着きがありました。

中原健仁 透かしている?

川口大喜 見透かされてるというか。

全員  (笑い)

――冒頭で松本さんが人間形成という言葉を使っておられました。その人間形成において一番の影響を受けた時代は中学生の頃ですか。

松本大 そうですね、それと両親ですかね。

――両親。

松本大 良い両親を持ってるんです、僕は。基本的に恵まれてる方だと思っていて、お金とかじゃなくて、人として恵まれているなと思うんです。いろんなものが豊にあって、そして両親のもとで過ごす事が出来たので、それで物事が見えるようになったし、我がままなところは我がままだし、いろんな感情も持てた。我がままだから傷ついたこともありました。

 やっぱりそういう育て方をしてくれた両親だったから、見えたものもあったし、見えないものも知る事ができたのかなと思います。知らなくて怖かった想いをした事など、いろいろあったんですけどね。

――愛情たっぷりに育てられたという事もあろうかと思いますが、どのような育て方をされてこられましたか。

松本大 そうですね、根本的な事を大事にする人たちですね、僕の両親というのは。自分に夢があるんだったら「まず目標を持ちなさい」とか「目的を持ちなさい」、「何の為にやるのかを考えなさい」、「その意味を考えなさい」という事を言う父親で。友達みたいな接し方もする父親でもあったし。親自身もそういう経験をしてきた人でもあったし。問われている意味が分からなくなった時もあったんですけど、でも、その考え方が根本的にあったから、いろんなモノの考え方ができ、少しずつ変わったというのもありました。あれはでかかった。

新たな曲作りで見えた方向性

――曲づくりに関しては、松本さんが作ってこられた曲を、皆さんで編曲されてるんですか。

中原健仁 最近、曲の作り方が変わって。それの変わったものが反映されたのが今回のアルバム『LIFE PROBE』なんです。今までは弾き語りの音源をもらって、後は自分たちで全部考えて、そのあとに音を合わせて削って、調整していく、という作り方でした。今回は、ドラムと簡単なベース、あと歌とギターが入ってる完成したデモをもらって、そこをベース(軸)に考えていくみたいな感じになっています。それによって、前よりも1曲1曲をどうしたらいいのかというのが明確になった。

――なるほど。

中原健仁 「曲のイメージはこれだよね」という共通意識がすごく持てて。

松本大 最近気づいたんですよね、そこに。枠がないと自由にもなれないという事を。結局、水槽の中でしか自由がないんだなって。ただ広いだけではどこに行っていいか分からないから、逆に自由に動けない。明確なポイントが分からない。枠組みをしっかりさせないとダメだという事はここ1、2年で気づきましたね。

――曲の仕上がりに変化はみられましたか。

中原健仁 違いますね。多分、それがあったからこそ、バラエティに富んだ10曲になったんだろうなと思います。

――川口さんはいかがですか。

川口大喜 彼(松本)が前に言っていたんですけど、ある程度ここまで一緒にバンドやってきて、(松本)大自身が、俺や(中原)健仁の音楽性というものを理解してきた。だからこそ、デモの段階である程度の打ち込みで完成型までもっていける。要は、俺が(松本)大が作り上げたその曲をどう叩きたいかというのが見えている状態で打ち込んでいるんです。全部うち込み通りにやることはないんですけど、僕らがやりたいであろう考えとほぼ同じになっています。

松本大 デモを作って、いろんな人にデモを聞かせたりするんですけど「叩いている人間が想像出来るような打ち込みの仕方をしてる」と言われた事があって。「俺、(川口)大喜のドラム、染み込んでるな」って思った。「こいつの癖が分かってるかも知らないな」とも。

川口大喜 僕は結構テクニカルなものを嫌なんですけど(笑い)、でも、曲の雰囲気から考えて、どうしても入れなければならない時は前もって(松本から)「今回の曲、先に謝っとくよ」と言われて。「お前がちょっと苦手なパターンだ」って。でも、そういうのも分かった上でやってるので、だから、かなりやりやすいですよね、曲制作は。

――そこまで考えられたデモを持ってこられると、逆に皆さんから松本さんに要求することは少ない。

松本大 そこは自分らで変えてくれるよね。それが本当に良いものであったら、自分なりの正しさでやってると思うんで、お互いに。いい時は本当に良いし。

中原健仁 作ってきて、それが合わない場合はそれはダメって言われるし。(曲の)ベースはあるんですけど、かなり自由にやってます。曲を聞いてみて「これ変えて欲しくないフレーズだな」と思うものはなるべく変えないでいくし、それ以外のところで「自由に遊んでみようかな」と。

長年のテーマに答えがみえた

――互いに理解し合っているんですね。先ほど、リスナーが自由に受け止めてくれればいい、という話がありました。プレイヤーとしてもやはり受け止め方は違いますか。

中原健仁 そうですね、違います。

――その流れで収録曲について、それぞれが感じたことを伺いたいと思います。まずは今回のテーマはどういうものだったのでしょうか。

松本大 作ってる途中と、作った後ではちょっとテーマが変わってしまって。(テーマが)増えたっというのがあるんですけど。まず、アルバムを作ろうとなった時は、「いろんな世界が見えるアルバムにしよう」と思って「1曲1曲全然違う曲を集めた10曲にしよう」というのがありました。

 あともう一つは、今まではどちらかというと「自分から自分に対する歌」のように内面的なものが多かった。でも、内面的である事に変わりはないのかもしれないけど、「この歌の先に聴く人が見えるような歌作りをしたい」と思って。「聴いてもらう度に(心に)飛んでいけるようなアルバムにしたい」て思っていて。それが自分の証明になるとも考えていたんですけど。

 作り終わってみると「自分の証明とはつまり、あなたの証明でもある」。「自分として認識してくれる人がいるから、自分として存在ができる」というのに気付いて、「そうであれば認識してくれる人がいる事は自分が認められた、という事にもなる。だから、どっちも証明した事にもなるよな」という考えに至ったというか。

 そもそも「心の星から心の星に飛んで行くよ」というアルバムなんです。そういう意味の「LIFE PROBE」という人生探査機です。

――アルバムを通じて相手と認識し合うという解釈で正しいですか。

松本大 そういう事ですね。細かく説明すると、自分が一人きりだと、本当に一人きりだったら、松本大という存在はどこにも認められなくて、その存在すらもない。ただ、本当に何もないところに一人。一人という概念すらもないと思うんです。

 けど、こうやって認識してくれる、僕を僕として認めてくれる人がいるから、僕は松本大として、一人の人間として、この世界に存在する事ができるし。だからこそ、その僕という存在を認めてくれたあなたは、あなたがいる証明にもなる。

 自分の中で、そういうふうに証明する事ができるな、と。だから、この声が届く、届いた、自分の歌が届く相手がいる、聴いてくれる人がいる、それがもうどっちの証明にもなる、ということを。

――なぜ、テーマが変わったんでしょうか。

松本大 気づいたと言ったほうが正しいですね。

――気づいた。

松本大 やろうとしている事の先にそれがあった、ということです。気づきでしたね。結構、狭い世界で考えていたのかな、と思った。つまりこれは、この世界で生きている証明、みたいな感じです。

――そこに気付いたことは自分の人生の中では大きな事ですか。

松本大 大きかったです。

――それが今後どのように変化してくと思われますか。

松本大 もともと今まであったこと全てが、今の自分に繋がっているという歌を書こうとして「メイ」という歌ができたんですが、その曲が僕の認識を変えてくれたというのがあって。結局、「自分の根源的な物は何も変わりたくないな」というのがあっても、その周りは、何かしら変わっていくものだし、世界も変わるし、人も変わる、変わらないものなんてどこにもない。けど、前に進んで変わり続けていく事が結果的に自分の信念を曲げずにいられるのであれば、そういうふうでありたいとも思うし、そういうふうにできる世界だろうな、とは思っていますね。

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