LAMP IN TERRENの本質を探る、日本語詞にこだわる理由
INTERVIEW

LAMP IN TERRENの本質を探る、日本語詞にこだわる理由


記者:編集部

撮影:写真=LAMP IN TERRENの音楽に迫る[1]

掲載:15年07月03日

読了時間:約30分

日本語詞にこだわる理由

撮影・山川哲矢

6月30日に渋谷WWWで行われたライブの模様。迫力のある歌声で会場を惹き込んだ松本(撮影・山川哲矢)

――1つのテーマに絞らないというか、全体を通して描かれているから、人によって捉えて方が変わってくる。何度も聴いていくと「その曲の意味が分からなくなる」という感覚はそこからきているかもしれませんね。

松本大 そうですね。多分、僕の世界に入り込もうとすると、分からなくなると思います。ただ、僕とは全く関係ないというか。そこまで言うと変になるかもしれないですけど、「松本大」の世界じゃなくて、「LAMP IN TERREN」としての世界を作っているので、僕ら3人で。

 その世界は、自分の世界で鳴らさないと意味がないんですよね。だから、こっち側に入って来ようというよりも、リスナー自身がその世界を見るという方がいいかもしれないですね。(僕らの音楽をリスナー自身の世界に)取り込むという。自分の世界の中に持っていく考え方で聴いてもらった方が、僕としてはしっくりくると思います。

――驚く事にLAMP IN TERRENさんの楽曲は英語を一切使わない、全て日本語詞なんですよね。

松本大 はい。

――意図がある。

松本大 はい。日本人なんでね。

――日本人だからということ以外にも理由は。

松本大 3人ともめちゃめちゃ洋楽を聴く方なんです。なんだろうな、自分が音楽を始めたきっかけも日本詞(を重要視する)人だったりするし、本が好きなんでね。日本語で何かを伝えられる様になりたいなと思うし、言葉の壁を越えたいというのもあるよね、世界に行くとしたら。

伝えたいわけではない、リスナーの解釈に委ねる

――リスナーが日本人(日本語を理解できる人)であるならば当然、日本語詞はその言葉の意味が理解することができてしまう。人によって異なりますが、洋楽ならば歌詞の意味を考えずに聴き流せる事ができるけれど、日本語詞だとその意味が理解できるから時には覚悟して、身構えて聴かないと良くも悪しくも感情が揺さぶられる。皆さんの楽曲はキャッチーな曲もありますが1曲1曲が意味が深い。日本語詞だけに真剣勝負で聴かないと心が耐えられない事もあるというか。作り手としてはどう考えていますか。

松本大 そこは結構(リスナーに)任せますね。「そういう風な聴き方をしてもらわなくちゃこっちは困る」みたいな感じではなくて。自由に聴いて欲しいし、自由にライブに来て欲しいなと思っていて。そう考えるとあれだね、作り込みすぎると良くないかもしれないね(笑い)

中原健仁 あんまり突き詰めてこう「この人は何を考えてるんだろう」という風に考えると分からないと思うんですよね。それは僕らの歌詞だけじゃなくて、他のアーティストさんにも言える事なんですけど。さっき(松本)大も言ったように、自分の世界で流して欲しくて、自分の解釈を得て欲しいですね。僕は、音楽というのは誰もが自分が主人公だと思うんですね。その主人公にしてくれるものだなと思っていて、音楽は。だから(構えるのではなく)そういう風に流して欲しいんですよね。

松本大 僕として極論を言えば、おまけなんで歌詞は。バンドがあって、メロディがあって、メロディを歌う歌があって、その付属品として歌詞がついてくる感じなんで。僕としては作る時はものすごい真剣に考え込むし、作品として、この歌詞が一番泣かせるような音像感であったりとかはしたいな、と思うんですけど。

 聴かれる方にそこまでは求めたくないんですよ。結果的に、聴いていくうちに「こいつは何か物凄い事を言ってる」とか、「この曲は物凄い考え方を持ってる」、「自分の中に共感できるものがある」という風に聴いてもらえるんだったら、それはそれで凄い嬉しい事なんですけど、自分的には「メロディが届けばいいかな」と思っているんで。内面というよりもやっぱりどっかで音楽的ではありたいと思います。

中原健仁 歌詞全部を解釈する必要はなくて、良い1節があったら、その1節だけをもって、この曲はこういう曲なんだなあと思って聴いてもらうだけでも全然良いし、そこはもう自由です。

――日本語にこだわるところに、曲を通してメッセージを強く伝えたいという思いがあるのかな、という印象を持っていましたので意外でした。しかし、まずメロディを届けること。そして、リスナーそれぞれの解釈で聴いて欲しい、主人公になってもらえればいい、というお考えがあったということを聞けたことで、私の解釈は間違っていたんだなと気づくことができました。

松本大 大事な事は全部、ライブの会場とかでも言ってるので。そういう伝えたい事はライブの方に持っていきがちなんで、僕らは。音源は音源として楽しめるものでありたいし。

中原健仁 そうだね。

松本大 「苦しくなる」とか、「聴いていて辛くなる」という感想をたまにもらいます。それはそれでいい事なのかな、とも思うんですけど「そこまで抱え込んで聴かなくて良いよ」とも思います。

中原健仁 音楽ってそんなに気を張って聴くもんじゃないじゃないですか。自然と聴いてもらって思った第一印象を持ってもらいつつ、何回も聴いていくうちに、どんどん気になっていく部分は自分で探って欲しいですし、もっと楽にイメージを持って欲しい。

――「原石を作りましたので後はリスナー自身、自分達でそれぞれのやり方で磨いてください」という捉え方もできますね。

松本大 そうですね。僕は、音楽というものは「自分の世界と戦う武器だな」とも思っていて。楽しく生きられるかどうかとか、辛いものとかと戦うための武器になっていて、(リスナーが僕らの音楽を)同じように武器として手に取ってくれるなら、それは嬉しい事だと思う。

 でも、音楽って極端に言えば、(人間の生理的欲求からみれば)生活に一番必要のないものだし、ご飯を食べて、睡眠がとれて、体を動かして、という生活ができれば、何の支障もない訳で。

 そこに付属して「楽しく思えたらいいな」とか、「ちょっとでも素敵に思える世の中にしたいな」と思う時に多分音楽というものが作用してくるものだし、娯楽というのはそういうものになってくると思う。その程度でいいよね、解釈としてはね。だからものすごく真剣に作り込んで聴いて頂く、みたいなというのは…。

中原健仁 もちろん、僕らが思ってる意味は全部に、全部の曲にあるんですけど、本当に自由に捉えて欲しい。

松本大 リスナーは自由でいいんですよ。リスナーはめちゃくちゃ自由でいいんです。だけど僕らは「これがないと生きていけないんじゃないかな」というくらいまで考え込んで作ってる、というのが正しいんですかね。

――作り手としては考え込んでるんだけど、それをリスナーには見せない、ということでしょうか。

松本大 考え込みはするんですけど、僕らとしては「考え込んだな」という事はリスナーには全く届けなくていい、どうでもいい事なんですよ。(作り手が考えこんで作ったということは)どうでもいいって思って欲しい事なんですよ。

――冒頭で私が「松本さんの心のなかに入っていくようだ」と感想を述べましたが、そこまでの世界観をリスナーには求めていない、ということでしょうか。

松本大 それも解釈は自由なんです。

――自由。

松本大 その解釈もいいんですけどね。

――リスナーにも十人十色いるわけで、それぞれの解釈に委ねるということは逆に言えば、それぞれの解釈ができるようにリスナー全ての“どこかしら”に引っ掛かるような曲づくりをされているとも捉えることができそうですね。

松本大 そうとも言えますかね。でも、見え方は全然違うと思います。絶対に何かしらは届けられる自信はあります。僕の中では。聴いて、何かしらの感情を持ってもらえるんじゃないかなとは思っていて、それが「この人たちの音楽が物凄い好きだ」という感情なのか、(曲を通して)風景が見える事なのか、「こいつらは苦手だな」という感情なのか、絶対に何かしらは届けられるかなとは思ってます。10人いれば10人に。

――批判的な人もいると。

松本大 絶対にいると思います。

――それも受け入れると。

松本大 はい。なんなら(批判を)絶対に超えてやろうと思っているぐらいですけど。

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写真=LAMP IN TERRENの音楽に迫る[1]
写真=LAMP IN TERRENの音楽に迫る[2]
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