12月に乃木坂46を卒業する寺田蘭世(23)。卒業後は芸能界を引退することも自身のブログで発表した。約9年間のアイドル活動を彼女は「全てが巡り合わせで、一つ一つの出来事が今の私を作っています。全てに感謝しています」とする。そんな自身を形成する「大切な出会い」「大切な人」に感謝を込めるのが1st写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』だ。どのような思いで臨んだのか。【取材=木村武雄/撮影=冨田味我】
清々しい気持ちでいっぱい
清々しい表情で取材部屋に現れると「よろしくお願いします」としっとりとし穏やかな声であいさつした。取材日は、乃木坂46在籍最後のライブとなった『28th SG アンダーライブ』から数日経ったある日。このステージで寺田は笑顔を見せ「卒業に悔いはなく、今は清々しい気持ちでいっぱいです」と話していた。
「あの時は、もしかしたら強がっている部分もあったかもしれないと思っていたんですけど、家に帰っても泣くことがなかったですし、悲しくなるということもなくて、後悔はないんだと今改めて実感しています。清々しいです」
アイドルが好きでAKB48の握手会にも通ったことがある。アイドルになろうとは思ってはいなかったが、乃木坂46の2期生オーディションに巡り合い、そして合格した。当時はまだ14歳、中学2年生だった。その彼女が9年のアイドル人生に終止符を打つ。
卒業を記念した写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』の最後を飾るのは家族写真だ。
「中学生から活動していますので、家族と旅行行く機会もなくて家族との写真がなかったんです。ファンの方も、スタッフさんも、家族も私にとって大切な人。今の私があるのは、両親が生んで育ててくれ、それから様々な経験や出会いがあったから。その感謝を伝えたいと思いました」
飾らない様々な表情、自分が好きなファッション、そして仲間との撮影。寺田蘭世の半生を描くように、当時22歳の彼女の全てがこの『なぜ、忘れられないんだろう?』に記録されている。ここから一問一答。
大切な人をテーマに
――「“大切な人”との旅」をテーマにされていますが、改めてこの作品に込めた思いをお聞かせください。
アイドルは男性ファンが多く、男性に問いかけることが多い印象もありましたが、乃木坂46は女性ファンも多いですし、年齢層も広い。若いファンの方も多くいます。私はファンの方を「ファン」というより友達みたいな感覚でずっと接してきましたので私にとっては大切な人。ですのでそういうテーマを設けさせて頂きました。そのテーマをもとに自分が行きたい場所や衣装も父のおさがりがあったり、自分にとっての大切な人をテーマに届けたいと思いました。
――撮影地は、神戸、淡路島、鳴門、鳥取ですが、ゆかりのある地ではない?
そうです。私は東京出身なので、ほかのメンバーみたいにこの土地に思い入れがあるというわけではなくて。というよりもコロナ禍で旅行がしづらいなか、自分が育った日本で魅力的な場所、これだけ日本にも楽しいところがあるよというのも伝わればいいなと思いました。
――カメラマン・大江麻貴さんに撮ってもらおうと思った理由は?
私の人生で初めてのソロ撮影の時に大江さんに撮って頂きました。何回もお会いする機会があって、空き時間に「初めて撮った人と写真集を撮るジンクスがあるんだよ」という話をしていて、私自身大江さんの写真がすごく好きですし、写真集なら大江さんに撮って頂きたいと思ってお願いしました。
――大江さんならどう撮ってくれるだろうという期待は?
大江さんなら語らなくても私の思考がわかってくれると思いますし、大江さんはアイデアを持って下さる方だと思いましたので、私たちすごく合うと思いました。
振り返られるのは贅沢
――どれも印象深いと思いますが、なかでもというカットがありましたら。
大塚国際美術館(徳島県鳴門市)で撮った見開きの写真です。大江さんは景色を撮るのも得意だと思いますし、私自身はファンの方から(容姿が)エキゾチックと言いますか、ちょっと日本っぽくない、日本人なんですけど、そう言われることがあったので、マッチしたかなって思います。国内ですが、海外の趣もあって、ぜひ皆さんにも行ってほしいです。
――この時の状況って覚えていますか?
何より景色がすごくて、その美しさに見とれていました。それと衣装は、フィッティングの段階では会議室でやっていましたので、これが似合うかどうかは想像に頼ることしかできませんでしたが、実際に大塚美術館に行ったらすごくマッチしていました。
――想像の世界ながらも実際にそれ以上のものが撮れて…持ってますね(笑)
はい、持ってます!
――その場に立った時の感情はいかがですか?
不思議な気持ちになりました。BGMも流れていましたが、すごく日本とは思えなくて。素で自分自身も楽しんでいたというか。海外に行って自分の半生を振り返るテレビ番組があったと思うんですけど、まさにあの世界でした。またゆっくり行きたいなって思います。
――ではこの表情は自分でも想像がつかない?
でもファンの方は私に対するイメージがこういうものなのかなって思って選んだ場所ですので、この表情はわりとファンの方が想像できるものなのかもしれないです。
――自分の事は客観視できるタイプ?
できていると思います。できていなかったらこんなにも長くアイドルはできていないと思います。
――その大塚美術館のカットですが、自然光が入ったこのカットも素敵です。黄金に輝くというか。
ありがとうございます! でも私自身、自分の容姿や何がいいのか分からないままアイドルになったので。でもそう言って下さって嬉しいです。ドレスも素敵でした。これは朝に撮って頂きましたが、外から入ってくる日の光だけで撮って。やっぱりそれは長い時間お世話になった大江さんだからこそ撮って頂けたものだと思います。
――この夜の歩道のカットもすごく自然体で。
私もそう思います。コロナ禍というのもありましたので、大江さんと2人きりで夜に出かけて、プライベートで撮ったという撮影の仕方をしていました。
――写真集の終盤にはインタビューも収められていて、本作で水着や下着になった理由も明かされています。
自分自身引退を考えていたので、そういう姿はやる意味のないもの、次のステップに必要がないものだと思っていました。でももっと先の未来、自分がどういう職業になったとしても、どんな人になっていたとしても、アイドルとして写真集を出すことはそうはないことですし、そのなかで私がおばあちゃんになったときに、22歳の私ってこんな感じだったんだと振り返られるのは贅沢なことだなと思い、自分の好きな形でやらせて頂きました。
――ファンの方だけでなく、自分自身も振り返られる写真集になったということですね。
そうです!
家族への恩返しの意味も
――撮影は3泊4日で行われたそうですが、撮影チームとはいかがでしたか?
今回関わって下さった方は昔から知っている方で、ヘアメイクさんは、(2期生)オーディションの最終審査ではメイクさんが入るのですが、その時にやって下さった方でした。衣装さんもずっと乃木坂46を担当して下さる方ですし、マネージャーさんももちろん。ずっとずっとやって下さった方たちなので、昔から私の事を知って下さる方で、衣装も和気あいあいとおこがましかもしれませんがお友達とお買い物しているようなテンションで準備ができてすごく良かったんです。スケジュール的に大変なこともありましたが、良い思い出になりました。
――鳥取砂丘でも撮りましたが、こんなに砂丘が合う方もなかなかいないかと。
私自身、砂丘に行ってみたいというアバウトな気持ちでしたが、我ながら自分らしさも出させた場所なのかなって思います。
――改めて出来上がった作品を見てどう思いますか?
記念になりました。誰しもが写真集を出せるわけでもありませんし、フォトブックなら可能かもしれませんが、写真集で自分の世界観を出せるのはそうはないと思います。でもそれは自分らしく活動してきたからそれに信頼を寄せて頂きできていることだと思います。無事に完成して嬉しい気持ちでいっぱいです。
――自分にとってのどういうものに?
贅沢だなって思います。もちろん出来上がった写真集はみなさんに見て頂きたいですし、見て頂くつもりで作っていますが、このまま見せなくてもいいかなと思えるぐらい、自分の今の好きなもの、撮影しているときは22歳でしたが、22歳の私の等身大を詰め込んだ1冊になったと思います。
――感情が溢れた瞬間は?
もともとライブで緊張するとか、何で嬉しい悲しいとかをすぐに出す人ではないので、べたに泣きましたというのはありませんが、出来上がった写真集を見て、楽しそうな自分もいますし。写真集って結構、自分の好きな顔の角度とか決め決めになりやすいという印象があったんですけど、そうじゃなくて笑っている顔やすごく楽しそうにしている表情もあって、自分自身も発見のある撮影でした。
――最後はご家族との集合写真ですが、これを入れようと思った思いは?
大切な人がテーマですので、もちろんファンの方も大切ですが、両親から生まれて育てられて、そういう過程がないとない経験や出会いなので、そこは何らかの形で家族にもかかわって欲しいなと思いました。私は中学生から活動しているので、正直、家族と旅行に行ったり、出かけることがなかなかできなかったので写真もないんです。なので綺麗に撮ってもらえたらなと思い、恩返しという意味も込めこの企画を自分から考えお願いしました。
――この写真集のためにご家族が集まって?
そうです! 撮影スタジオで撮るのとはまた環境も違うと思うんです。どう思ったかは聞かなかったんですけど、すごく楽しそうにしていたのですごく良かったと思います。
すべてはめぐり合わせ
――もともと渡辺麻友さんが好きで、でもアイドルになりたいとは思ってもなくて。乃木坂46というグループ名も知らずにオーディションに受けてそれで合格。こうして9年間やってこられた理由は?
それは自分にまっすぐに、どういう立ち位置の人でも、例えばファンの方やスタッフさんに対しても嘘をつかずにやってきたから歩めたと思います。どこかで自分が無理したり、嘘をついたら、きっとそれが見抜かれてファンの方にも嫌われていたかもしれないですし、私自身も気持ちを理解してくれないと思って心が疲れていたと思うんです。でも自分自身が悔しい時は悔しい、楽しい時は楽しいって言ってきたから、こうやって写真集も自分の好きなようにやらせて頂いていると思いますし、そこが一番大きいのかなって。だから気の合う人とも多く出会えましたし、ファンの人に対しても大切な人と思っています。それが一番大事なことだったのかなって思います。
――もともとファッションが好きな寺田さんですが、乃木坂46のファッションに憧れを持つ女性ファンも多いと思います。そういうグループで活動できたのは嬉しかったですか。
もともとモデル業などに憧れはなくて、本当にただ一人で洋服好きという感じでしたが、先輩やメンバーにフィーチャーしてもらえるようになったからこそ早くにインスタも始められて、それでまた乃木坂46の新しい一面が見せられたというのは自分自身にとっても自信につながったなと思います。
――2期生は不遇の期とも言われていますし、寺田さん自身もブログで「光が強い程、影も濃くなるように本当に大変なことも多かったです」というメッセージを添えています。
私自身は不遇とは思っていないです。メディアが取り扱う時に大きな見出しが必要だと思ってつけていると2期生は思っています。私たちはやることはやっていますし、なかみがある人たちだから言ってもらえていると思っていて、プラスに捉えています。
――写真集のインタビューにも掲載されていますが、お母さんとも成人式でメディアに載ったら面白いねというニュアンスのことも話されていて、こういうご自分の境遇を改めてどう思いますか。
めぐり合わせだと思います。これがあったから今の私がある、全部に感謝しています。
――素直にやってきた、家族、ファッションも含め歩んでこられた寺田さんの全てが写真集に詰まっていますね。
そうですね。まとまっています。コロナ禍でファンの方に直接訴えかける機会がないなかで、久々にネットを通してとか、その中の一つとして最後に問いかける場所になったと思います。紙だから伝わるものはあると思います。
――「イケている女性になりたい」とも話されています。
人それぞれあると思いますが、私はお祝い事に赤いバラを頂くことが多くて、そういうのを見た時にこれにふさわしい女性になりたいなって。この仕事をしていたから煌びやかなではなくて、どこにいても自分らしくバラが似合う女性になれたらいいなって思っています。
乃木坂46寺田蘭世、動画メッセージ
写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』に込めた思いhttps://t.co/DWJVBPiQyC#寺田蘭世 #乃木坂46 pic.twitter.com/ZbHFgragu0— MusicVoice エンタメ (@MusicVoiceEnt) November 15, 2021
(おわり)