INTERVIEW

さとうほなみ

芝居と音楽も好き。違いはない。
七恵として生きた映画『彼女』


記者:木村武雄

写真:木村武雄

掲載:21年04月15日

読了時間:約8分

 「やりたいことを実現させる過程は辛くても、達成した後の楽しさが分かっているから苦にはならないです。自分が好きなことをずっとやれている。強いて言うならそこが私らしさだと思います」

 「ドラマーほな・いこか」と「俳優さとうほなみ」。

 ゲスの極み乙女。などで見せる「ほな・いこか」は、ファンキーでリズミカルなドラミングを見せ、時に感情荒々しく叩く姿がクールでいてかっこいい。

 そんな彼女が約3年前に「さとうほなみ」として俳優活動を本格化させた。小学6年生の時に見たドラマに影響され「いつか私も出たい」と俳優の世界に憧れを抱いた。音楽と出会う高校生の頃には舞台にも踏んでいる。いま夢だったその世界にいる。しかし彼女は喜びに浮かれてはいない。

 「私がやりたいのが芝居と音楽。やりたいと思ったらやるタイプなので、気付いたら行動していた感じです。『俳優として活動している自分を想像できたか』と聞かれますが、『想像していた』よりも『絶対にやる!』という気持ちでした」

 物腰は柔らかいが芯がある。性格はどちらかというと「前に出たい」タイプ。しかし音楽や芝居となると変わる。「みんなに楽しんでもらいたいので自分を表現したいという気持ちはないです」。

 バンドメンバーを見渡してリズムを刻むドラマーの姿にどこか重なる。

さとうほなみ

さとうほなみ

 そんな彼女が俳優として体当たりで挑んだ作品がこのほど配信される。

 中村珍さんの『羣青』(小学館IKKIコミックス)を原作にしたNetflix映画『彼女』(廣木隆一監督)。裕福で何不自由ない暮らしを送ってきた永澤レイと、夫から壮絶なDVを受けている篠田七恵の逃避行を描いた作品だ。

 高校時代から七恵に恋をしていたレイは、彼女のために夫を殺害する。自分のために殺人まで犯したレイに疎ましさと恐ろしさを抱く七恵と、そんな彼女を生かすため、すべてを受け入れるレイ。互いに愛を欲しながら、絡み合わない想いをぶつけあう。正しいことも悪いことも、愛も憎しみも限界を超える。

 自由に生きているように見えて、実は同性愛者であることを家族に言えず生きづらさを感じている永澤レイを水原希子、人生に希望を見出せないものの死ぬこともできない篠田七恵をさとうほなみが演じる。

 描かれるのは非日常だが、その描写は彼女たちの日常をのぞき見しているようなリアルさがある。撮影現場はどうだったのか。そして、さとうほなみの「私らしさ」とは。

さとうほなみ

リアルな感情を出せる環境

――出演が決まった時の心境は。

 原作が好きで、これが映像化されるのであれば出たいと思っていました。なので、お話しを頂いた時は本当にできるんだという気持ちでした。

――出演が決まる前は「レイ」と「七恵」、どちらを演じてみたいと思っていましたか?

 何回か読んでいくなかで、その時々の心情や環境によって捉え方は変わりましたし、読み進めていく中でも今まで見えなかった部分が見えてきました。最初に読んだときは七恵だったんですけど、2回目に読んだときはレイ。でもそれも変わっていって、最終的にどちらも決められないなって。作品自体が素晴らしいので2人の人物像もそうですが、お話し自体にも強さや魅力があるので、本当に好きでのめり込んでいました。なので、どれを演じたいというよりもその世界に入れることが楽しみでした。

――演じられたのは七恵ですが、どのように向き合いましたか。

 七恵は、家族に愛されず、友人もいない、夫には暴力を振るわれる、自分の心の内をさらけ出せる人が周りに全くいない人です。そういう境遇のなかで、自分の事をずっと好きでいてくれ、気にもかけてくれるレイには、自分のみっともないところを見られていて嫌な思い出もあるけど、彼女しか自分の本来の姿を知ってくれていると思える人がいない。そういうところは感じるようにしました。私自身も不器用なところがあるんです。自分自身の周りの人にも連絡を取らないとか、「連絡が取れないぞ、さとうほなみは」って(笑)。そういうところはすごく周りの人に迷惑をかけたなと思っています。

Netflix映画『彼女』

――物語的に、水原希子さんとどう向き合っていくか、このこと自体が役作りのようにも感じますね。

 そうですね。順撮りにして下さったことが一番大きかったです。レイと七恵が10年ぶり会った時のギクシャクした感じや、2人で逃避行してだんだんとお互いしかいなくなっていく。物理的にも心の拠り所としても2人だけの世界になっていく、そして最後に本当に幸せを感じる。そうした一連の流れが順撮りで出来たことで自然と生まれた感情もありました。

――そのなかで廣木監督から求められたものは?

 廣木監督は役者を第一に考えて下さる方でした。本番に入る前に希子ちゃんと何回かリハーサルをやって、それを監督が見て下さったんですけど、ここをこうして欲しいというのはなくて、自分達が思うことを好きなうようにやってみて、というスタンスでした。もちろん本番では自分たちの意思だけではまかり通らないところもあり変更になったところもありますが、まず自分たちがどうしたいか、ここをどう動いて、何を思ったか、というのを考えさせて下さる監督さんでした。普通に生きているだけでも人間は考えているので、何かを演じるよりもそういうところを意識していました。

――役として生きるための環境を作って下さったんですね。

 それはとっても感じます。

――環境もそうですが、水原さんとではないとああいう演技ができなかったように思います。“レイ=水原希子”と向き合った時に湧いてきた感情、対峙して感じたことは。

 もともと思っていた希子ちゃんの印象は「明るい」「ずっと笑っている」という太陽のような存在。でも芯の強さも持っているという印象でした。それで、レイと七恵として対峙してぶつかり合ったときに、七恵はレイの愛を試すし、泣かせたり怒らせたり、笑わせたりして色んな表情を見ている。その中でレイは真っすぐに向かってくるし、希子ちゃんとしても真っすぐに向かってくると感じられて、それに対してありのままにやっていたという感じではありました。なので、希子ちゃんには少なからず影響を受けていましたし、演技でぶつかって来たときは私も素直にぶつかり返していました。

さとうほなみ

さとうほなみの私らしさ

――レイと七恵はずっと「自分とは」「幸せとは」を追い求めているように感じます。それにちなみ、さとうさんの私らしさは?

 自分が楽しいと思うことをずっとやっていきたいと思っていて、それは私にとっての芝居ですし、音楽。その過程が苦しくても辛くても、その先が「楽しい」と思えるから苦にはならない。そうしたことも含め、自分が好きなことをずっとやれているというのが根底にあって、強いて言うならそこが私の「自分らしさ」だと思います。

――音楽ライターと話す中で、ドラムも出来て芝居もできるって、褒め言葉で「ジェラシーだよね」って(笑)。

 それは、すごく嬉しい!

――小学生の時に憧れた芝居をいまこうして本格的にやれていることは想像できましたか?

 想像と言うよりも「絶対にやる!」という認識というか、「やりたい」と思ったものは「やるぞ!」とずっと思っています。

――過去に何かを実現させるためにはどうすればいいか、という質問に、まずはやってみるべきだと答えていました。それなんですね。やりたいものは行動に移して絶対に実現させるみたいな。

 夢ややりたいことがあるとき、出来る限りのことを尽くしてやりたいと思っています。お芝居をしたいということに関しても、当時小学生でしたが、いろんな所に(オーディション応募用紙を)送ったり、小学生ながらに出来ることはやっていたので、自分のなかでは当たり前と言うか、やりたいことをやっている、気が付いたら行動していた感じです。

――「ほな・いこか」さんも「さとうほなみ」さんも同一人物と過去に話していますが、さとうさんにとって音楽、芝居はどんな存在?

 自分がやりたいのが芝居と音楽。音楽に関しては、ゲスの極み乙女。とマイクロコズムの音楽性が好きですし、芝居も見るのもやるのも好き。よく「2つを両立させるためには…」と聞かれるんですけど、私のなかでは全く違うことをしている認識はないんです。なかには全く違うと答える人もいると思うけど、少なくとも私のなかでは違いはない。私がやりたいというなかに2つがあって、それを楽しくやらせて頂いています

――となると、自己表現としても捉えていない?

 自分を表現するものとは思ってもいないです。音楽を聴いて下さる方が音楽を楽しんでもらえたらいいし、芝居も演じている以上は私ありきの部分があってほしいけど、作品自体を楽しんでもらいたいと思っています。正直なところ私は「自分が自分が」と思っている性格だけど、2つに関しては自分を表現するものとは捉えていないです。

――やっぱりどこかドラム気質に見えるというか。リズムの根幹でありバンドの要。「自分が自分が」というよりどっしりと構えて周りを見ているというか。でもプレイでは所々に個性が出ていて。

 褒めて下さっているのかどうか分からないけど(笑)、嬉しいです、ありがとうございます(笑)。

さとうほなみ

(おわり)

【取材・撮影=木村武雄】

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