INTERVIEW

藤原季節

僕は負けない。決意を新たに。
主演映画『佐々木、イン、マイマイン』


記者:木村武雄

写真:木村武雄

掲載:20年11月26日

読了時間:約9分

 俳優・藤原季節が、27日公開の映画『佐々木、イン、マイマイン』で主演する。細川岳の高校時代の同級生とのエピソードが原案。脚本は内山拓也監督が手掛けた。俳優志望の悠二と圧倒的存在感を放つ同級生の佐々木、その仲間たちの過去と現在を通して、青春時代特有のきらめきと戻らない日々への哀愁を描き出す。主人公・悠二を演じた藤原季節は本作の撮影後に強くなった思いがあるという。「僕は負けない。」――。その真意とは。盟友・村上虹郎との共演で感じたこと、そして「困難な道のりだろうと自分にはそういう使命があるはず」と決意を新たにする、藤原季節の“役者道”とは。【取材・撮影=木村武雄】

強くなった思い「僕は負けない。」

――出演の経緯を教えて下さい。

 細川さんとは映画『止められるか、俺たちを』という作品で一緒になったことはありますが、初対面に近くて、内山監督は初対面。そんな2人が「この映画で人生を変えようと思っている。構想から何年もかけてここまで辿り着いた」と話している作品に、なぜ僕を選んで下さったのか、最初は戸惑いました。

 僕自身も「いつかは人生を変えてやろう」とは思っていましたが、その重みを感じていたので、声にすることはできなくて。だから、よほどの覚悟を持ってオファーして下さったと思いました。

 そうしたこともあって、内山監督には率直に「この役割を担えられるか不安です」と伝えたら、「僕の中ではあなたはもう悠二だから全く心配していません」と即答されて勇気づけられましたね。それも、それ以上追及することが出来ないような強い自信で言われたので、「これは逃げられない戦いになったな」と思いました。

――重圧のある役柄にどう向き合いましたか。

 リハーサルが大変でした。内山監督が描いている悠二像に近づきたいと思って僕が考える悠二像を作り込んで行くんですけど「毎回違う」と言われて。もう分からなくなって落ち込んで渋谷の街に数時間佇むみたいな。リハーサルのたびに消耗していました。

 そんな時に、何も考えずに「自分は悠二なんだ」と信じ込み、作り込んだ全てを忘れて演技してみたら、初めて内山監督に「それで行きたい」と言われ「そういう事だったんだ」と気づいて。悠二に近づくのではなく、自分の中にある悠二を引き出すほうがいいんだと。それはある意味で、自分が抱える恥ずかしさや惨めさと向き合う事でした。

――惨めに思うことはあったんですか?

 もうそればっかりです(笑)。いつも悔しくて惨めな思いをしています。悔しいことばっかりなんです。自分が役者をやっていても何も世の中に影響を与えることができない。何の為にやっているのか日々考えています。

――それと向き合ったことで自分自身が変われたことはありますか。

 瞬間的に変わったというよりも、撮影を終えてから1年かけて自分の感覚が変わっているというか…、自分にも俳優として捨てきれないプライドみたいなものがあるんだと自覚していきました。自分が俳優をやっていく思いや、どこかで悔しい思いをしている俳優達への思いが一層強くなりましたね。

――悔しがっている俳優達への思いというのは?

 「僕は負けない、俳優を続けていく。 だから一緒に映画を作ろう」という気持ちです。それが1年前よりも遥に強くなっていて。この作品の影響が大きいです。

――ブログでも本作のことを綴っていて、共演した俳優を少年達と例えて「(彼らは)狙っている。不甲斐ない演技したら撃ってやるぞ」と。この言葉は先ほどの考えからきている?

 この作品で、クラスメイトや工場で働いているバイトなどセリフがない役も、オーディションに受からなかった俳優達に声をかけて集まってもらったんです。現場は独特な緊張感もありつつ、ピリッとした感覚があって、居酒屋で喧嘩する人達もそうですが、みんなインディーズの界隈でも名を挙げているような良い俳優ばっかり。その人達に見られているので不甲斐ないものは見せられない、とプレッシャーがありました。

 今思うのは、その人達や佐々木に関わることがなかった人達に愛される映画になって欲しいなと。

 今回共演をした虹郎は、僕が俳優として世間に認知されず悔しい思いをしている時から一人の俳優として認めてくれていました。今回サポートする側に回ってくれたのもすごく感謝しています。

――そんな村上さんとのシーンはどんな気持ちでしたか。

 悠二は売れない俳優ですが、演技を真剣にやろうとしています。なので、悠二が売れない俳優であることを自ら表現したくないなって思って。『ロング・グットバイ』という戯曲だったんですけど、お客さんの前で上演するつもりで真剣に虹郎と演技しました。映画には一切映っていないんですが、エキストラでお客さんも入っていたので、その方達の前で一通りやりました。

――虹郎さんとの演技で感じ取ったものは?

 それは言葉ではないもので感じ取ったので、言葉にするのは難しいんですけど、オープニングやラストで悠二がステージに上がって行きますが、その後も20分くらいカメラを回し続けました。虹郎が映らないと分かっているのに全部のセリフを覚えてきたのも感動しましたし、エキストラの方達からも拍手をいただいて。映画という枠組みを一瞬超えられた、かけがいのない時間でした。

――虹郎さんとの関係は、劇中の佐々木との関係に似ていますね。

 そうかもしれないですね。彼、演技も良いんですよね。虹郎の映画が映画館でやっている時に「見なきゃ」と思う感覚ってすごいなって。

哀愁さ、藤原季節の芯の部分は役にも

藤原季節

――本作のテーマは「青春」をうたっていますが、私にはいかにけじめをつけるか、終わりと向き合うべきなのかを訴えているように思いました。

 僕は、終わりと向き合ったときに「終わらせねぇぞ」という意思をこの映画から感じました。青春映画という枠組だけに収まるものではないと。一人の人間をそんな簡単にカテゴライズできない、という思いもあります。それを内山拓也監督がそのまま映画にしてくれました。時間をかけて撮影したものを2時間程に収めるのでまとまってしまう部分が結構あると思うんですけど、僕がこの作品を観たときは良い意味で決して何もまとめられなかったなと。答えが出たわけでもなく、まとめられなかったことが、僕にとっては嬉しかったんです。内山監督が、命や人間とどう向き合っているかということも見えたし、エンドロールが流れている時に静かに感動が押し寄せて来る、それが体現できた作品だと思います。

――藤原さんのブログの文体からは悲しみが伝わってきますが、芯のところにはそうしたものを抱えているのかなと。

 そうかもしれないです。本来、それを出すのはあまり良くないことなのかもしれません。周囲からは「明るいことを発信していけ」と言われますし(笑)。でもたとえそれを発信したことで遠回りになっても、それも含めて人は一面だけじゃないということを言ってしまいたい…、僕はそんな人間なんです(笑)

――文章は性格が出るので、いつも自分と向き合っている人なんだなと伝わってくる。哀愁も出ていますし、今回の芝居にも哀愁を感じたので、藤原さんの根っこがそのまま出ているのかなと。

 そういう部分があるかもしれないです。今回哀愁や悲しみを自ら出そうとすることは唯一監督に禁じられたことでした。僕が少しでも自ら感情を表に出そうとしたら「抑えて、抑えて」と何度も撮り直して。そうすることで何かが抑制され閉じ込められたのだと思います。そのほうが見ている方に悠二への想像力を働かせてくれたのかなと思います。

――抑えても滲み出るものが。

 抑えても滲み出るものを撮ってくれていたんだなと今では思います。演出は厳しかったですけどね、何度も撮り直して(笑)

――内山監督はインタビューで、藤原さんと悠二は一心同体になっていたと。

 悠二は、内山拓也監督と細川岳さんが生み出したキャラクターなので、僕自身は悠二のヒントを内山監督の中から探し出そうとしていました。内山監督はどんな食事をしてどの順番でおかずを食べて、飲み物を飲むときどういう持ち方をして、煙草の吸い方はとか、今でも全部自分の体に残っていて。先ほど自分の中にあるものを出した、と話しましたが、もしかしたら、そうやって取り入れたものが無意識に表れていったのかもしれないですね。

――それは、最初に作り込んでいった次のステップでの話ですか?

 そうです。彼らと向き合う事がこの映画と向き合う事だなと思ったので。一人の人間と向き合うのはすごく大変な作業なんですけど、勇気を出して内山拓也と細川岳にはぶつかりました。本当に大変でした。今、内山拓也と「また映画やりたいです」と声を大にしては簡単に言えない。それほど向き合いました。

進むべき道、「困難な道のりだろうと」

藤原季節

――それと、ブログに『たかが世界の終わり』の配信舞台で演出された内田健司さんに言われた「なぜ変えられるって思うんだよ。変えられないんだよ。そのことをどうして受け入れられるんだってことを僕は言いたいんだ」というのが忘れられないと書かれていますが、真意は?

 変えられないという事はいくつかあると思いますが、そのなかに人間が死ぬということがあります。それを簡単に受け入れてしまっていいのかと。戯曲を書く、演じるという行為、そして人間は死ぬ生き物なのになぜ「残るもの」に命を費やすのか、次の世代に何かを託そうとするのか、ということは、自分は消滅する生き物であるという事を受け入れられない結晶だなって思うんです。変えられないものに必死に抵抗しているんですよ。だけど、セリフの中で僕の諦めが見えてしまうときがある。身体の中で起きていることに嘘をついた表現をする、というのは受け入れてしまっているんですよ。ある意味で色んな事を自分の中で許してしまっている。

――それはあくまでも演技の中でのことですか。

 演技の技術であると同時に自分の生き方でもあると思います。世の中から受けている風ってこんなもんじゃないと思うんです。もっともっと激しくて苛烈なものだと思っていて、そのことに目を背けると意外と生きやすかったりすると思う。俳優をやっていくのであれば、そのことに目を背けてはならないということを内田さんから感じて。怒りや悔しさはこんなもんじゃない、ということを演技に投影する、それが可能なんだなという事を蜷川組から学びました。

――さて、今後はどのように歩まれていきますか。

 僕は悲しんでいたいのかなと思います。この悲しみを背負っていたい。そういう俳優でいたいのかもしれません。困難な道のりだと思いますが、俳優をやっているからには向き合わないといけないなと思うんです。日本で起きた事ってまだまだ映画化されていないものもたくさんありますし、日本の戦争映画って外国に比べてまだまだ少ないので、そういうことも表現できる俳優になっていきたいと本気で思っています。困難な道のりだろうと自分にはそういう使命があるはずだと信じていきたいですね。

(おわり)

ヘアメイク:中村兼也(Maison de Noche)
スタイリング:八木 啓紀

シャツ39,000円・パンツ29,000円(ともにSTUDIO NICHOLSON/CHI-RHO)
ブレスレット38,000円・リング40,000円(ともにIVXLCDM/IVXLCDM 六本木ヒルズ)

問合せ先
CHI-RHO
〒150-0022
渋谷区恵比寿南2-8-2 キョウデンビル202
03-3710-6969

IVXLCDM 六本木ヒルズ
〒106-0032
港区六本木6-10-1 六本木ヒルズウエストウォーク4F
03-6455-5965

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