『イノセント15』『聖なるもの』など新人女優として活躍を続けるだけでなく、映画監督としても長編映画監督デビュー作『海辺の金魚』の公開を控えるなど、国際的な注目も集めている小川紗良が、『ビューティフルドリーマー』に出演した。これは日本映画界の鬼才監督による野心的な企画と若い才能たちで創造する新レーベル<シネマラボ>の第1弾作品で、『踊る大捜査線』シリーズや『サマータイムマシン・ブルース』などのヒット・メイカー、本広克行監督が、押井守の脚本「夢みる人」の実写映像化に挑み、まさしくドリーム・プロジェクトと言っても過言ではない。
その注目作の物語は、映画を撮ったことがない先勝美術大学映画研究会の部員たちが、映画という“夢”を創るため、すべてを賭ける青春の姿を描くストーリー。主演の小川は、監督としてメンバーをリードする主人公のサラ役をナチュラルに好演する。雑多な部室の様子など自身の体験とリンクする要素にノスタルジーを感じつつも、「どれだけ規模の大きな作品に関われるようになっても、始まりの小さな個人的な純粋な思いみたいなものは忘れずに作っていきたいなと思っています」と想いを新たにすることもあったという。本人に話を聞いた。【取材・撮影=鴇田崇】
即興芝居、手探りの中に楽しさも
――とても映画愛に満ちあふれた作品で、映画ファンには観てほしい作品になりましたよね。
そうですね。初号試写で観た時、にぎやかで、ある種のコメディータッチの作品で、すごく笑いがあり、その一方でエモーショナルな展開もあり、まるでジェットコースターのような映画だなって思いました。部室の中で部員たちのやり取りが中心になるなかで、部室は人が集まっていてごちゃごちゃしているものですが、その風景は今の状況下では実現しないんですよね。そう思うと、とても癒される映画でもあるなって思いました。
――あの映画研究会の部室の光景は、懐かしいものになりましたよね。
わたしももともと映画サークルにいたので、後進たちの情報はなんとなく入ってきたりはするのですが、今は新歓すらできないので、リモートで歓迎会をやったりしているそうです。人が出会って一緒に何かを作るってことが難しい状況のなかで、この映画が上映されることは、純粋に懐かしいって感じてもらえる映画なのかなって思いました。
――同じ作品で感想が変わるってすごいことですよね。
見え方が変わってしまったんですよね。撮影している時は、ただひたすら楽しく過ごしていましたが、それが今や貴重な経験に思えます。
――本広克行監督とは、どういうお話をされたのですか?
この作品は即興芝居が中心だったので、それを作り上げるために稽古をみんなでしっかりやったんですよ。映画研究会っぽいあるあるの小ネタのアイデアを出してくださって、それをみんなでやってみたり、そういうことはありました。
――即興はどういう狙いがあったのでしょうか?
もともと本広監督はしっかりとした脚本を元に映画を撮られていた方なので、たぶん自由に挑戦できる場が出来た時に、新しいことをやってみようという試みだったのかなと思うんです。ご自身も即興芝居に興味があったと言われていましたね。
でもやってみて、わたしは大変でした(笑)。即興芝居をあまりやったことがなかったので、最初はどうしたらいいかわからず、みんなで手探りをしていた記憶があります。今思うと、いろいろなことを楽しく撮影していたかなと思います。
個人的な純粋な思いは忘れずに
――今回のシネマラボプロジェクトはとても野心的で挑戦的だと思いましたが、監督もされている立場から、どのように見ていますか?
なかなか挑戦的なことが難しかったり、若い人にはチャンスがあまり多くなかったり、いろいろな制約があるなかで、こういう実験的なことができる場があるってことは、ひとつの糸口になるのかなって思いました。
――『カメラを止めるな!』で上田監督がちょっとだけ夢を見させてくれたと思うのですが、結局日本映画界の大手じゃないところでのお金がない感じは変わっていないですよね。
もっと若い人にチャンスがあったり、ちゃんと世界に出ていける作品があったりとか、映画のお金の流れ方ひとつにしても、作り手が報われる形があってもいいのになって思うことはあります。
――この作品と出会い、映画人としての意識に変化はありましたか?
今の時代はさまざまな形があるとは思いますが、映画って基本的には映画館で観たいもので、大きなスクリーンでみんなと一緒に観るものなのに、実はすごく個人的なものなのかなと思うんです。まずは監督の個人的な想いが投影されていて、今回の映画では本広さんの映画愛が反映されている。始まりがものすごく個人的なもの。観る時は暗闇で、スクリーンと一対一になって個人的な視点で観る。個人の小さな想いを、いかに大勢の人に届けてみんなのものにするかという映画なのかなと思っていて、どれだけ規模の大きな作品に関われるようになっても、始まりの小さな個人的な純粋な思いみたいなものは忘れずに作っていきたいなと思っています。
道を作って行きたい
――また、映画には音楽も重要な役割を果たすと思いますが、ご自身が監督する場合、映画音楽についてはどのような考え方ですか?
音楽が前面に出すぎないようにはしていますね。前面に出すぎず、そっと主人公の気持ちに寄り添っているみたいな感じです。出しゃばりすぎないけれど、縁の下で支えているような音楽を作りたいなって、映画を撮る時はいつも思っています。
――主張しすぎないように調整をしていると。
そうですね。感動的な場面で感動を煽るような音楽を流すことはあまりしたくないなと思っていて、象徴的なシーンで分かりやすく1回だけ使うことはありますけど、基本的には主人公の気持ちをそっと支えるのが映画音楽の役割なのかなって思っています。
――今後、試してみたいアイデアはありますか?
今までの映画もそうだったのですが、地方で撮って、その土地の民謡であったり、盆踊りの音楽などを採り入れたりしていたのですが、その土地の音楽を採り入れて作ってみたいなと思っています。
――女優で映画監督という立場の人は多くないと思いますが、自分の役割と言いますか、何かやり遂げたいことはあるのでしょうか?
今は女性の監督も増えていて、役者さんで撮るという人も増えているとは思いますが、なかなか制度が整っていなかったり、女性で監督の場合は人生で結婚や出産があった時にブランクが空いてしまったり、なかなかやりにくい状態が続いていると思うんです。だから、そういうことを一個一個、流さずに向き合いながらやっていって、今後わたしがどれだけ生きるのかわからないけれど、今後もし続けていけるのであれば、やりやすくなるような道を作っていけたらいいなって思います。
――シネマラボプロジェクトが、そういうことへも布石になればいいですよね。
わたしが朝ドラの「まんぷく」に出た時って安藤サクラさんがママさんヒロインみたいに言われていたのですが、お子さんを育てられながら出ていらっしゃいました。現場にお子さんを連れていらして、保育士さんをつけたり、NHKのスタジオにも専用の施設が作られていましたが、そういうノウハウは映画の現場でも可能だと思うんです。最近ではふくだももこさんがインタビューで保育部を創設したほうがいいと言われていて、それって俳優や監督じゃなくても、メイクさんやカメラマンの女性とかが出来ても預けられる人が現場にいたらいいと思うし、子役がいる場合も助かりますよね。保育の知識が少ない人が多いなかで子どもがフラフラしている環境は、怖い部分もあるので、その状況下で専門知識がある人がひとりいれば、全然違ってくると思うんです。そういう現場のスタッフイングのあり方も、全然変えようがあるのかなと思っています。
――最後になりますが、映画を待っている方々へメッセージをお願いします。
今ではなかなか実現しにくいような人の距離感の中で、いろいろな珍事件が起きていく映画なので、それを純粋に楽しんでもらえたらうれしいです。