串田アキラ「絶対に歌い切る」デビュー50周年を経ても変わらぬ歌手の矜持
INTERVIEW

串田アキラ「絶対に歌い切る」デビュー50周年を経ても変わらぬ歌手の矜持


記者:村上順一

撮影:

掲載:20年03月04日

読了時間:約12分

「太陽戦隊サンバルカン」が歌えていなかったら今はない

串田アキラ

――そのように切り替えて、アニメや特撮の仕事がくるようになったのでしょうか。

 それも大変だったんですよね…デビューして3年で結局一旦辞めてるんです。それでまたバンドをやった時に凄く楽しくなりました。3年間自分で切り替えてやったぶん、それだけプラスになって、前にやっていた時のバンドの状態よりも違う考えになったので、それがどんどん上昇して気持ちも良くなったということがありました。

 バンドの世界だけじゃなくてもコマーシャルソングもやっていましたから、うんとどこかへ行っちゃったので、それが良かったのかなと。それで『ステージ101』の時に一緒にやっていた仲間達が曲を作ってくれて、それが『マッドマックス』のテーマ「Rollin' Into The Night」だったんです。それを渡辺宙明先生が聴いてくださって、推薦してくれたんですよ。それで今度は「子供向けの曲を歌ってみないか」ということになって「太陽戦隊サンバルカン」に繋がりました。

――子供向けの曲を、と言われたときはすんなりと受け入れられましたか。

 その時は「面白そうだな」と思いました。「子供向けだし楽勝でしょ」って(笑)。

――レコーディングでは苦労されたようで。

 そうなんです。子供に対しての格好良さがわからなかったんです。レコーディングでは細かい注文はなくて「子供が聴くのにカッコ良く歌って」と、それしか言われなかったんです。自分の中での格好良さはソウルフルな感じだったので、そういうふうに歌ってみたんですけど。

――洋楽的な格好良さですよね。

 そうです。でもそれでは「違う」となって。何十回も歌ったんですけど、これ以上やっても無理だと思ってもうだめだと思いました。もう一回歌ってだめだったら「辞めさせて頂きます」と言おうと思ったんです。それで、最後に譜面をじっくり見て歌ったら「やればできるじゃん」と言われて。

――どこが違ったのでしょうか。

 譜面を見てその通り歌っただけ、その時は自分でもよくわからなかったんです。どんどん離れていっていたのは確かで、譜面を見たのが良かったんでしょうね。おそらくフレーズ自体が変わっていたんだと思うんです。音の切りかたや長さも。もしも「太陽戦隊サンバルカン」が歌えていなかったら、今はないと思います。仕事で出会えたたくさんの人たちとも会えていないと思いますし、「太陽戦隊サンバルカン」があるから今があるんです。あの時のテイクでOKが出ていなかったらどうだったんだろうと(笑)。あの1曲というのは自分の人生の分かれ道に立っていた曲なのかなと思います。

――分岐点ですよね。「太陽戦隊サンバルカン」を経て活動が活発になりましたが、その時にコツを掴んだのでしょうか。

 コツを掴んだのは「宇宙刑事ギャバン」の時です。「宇宙刑事ギャバン」のレコーディングはスムーズで「いいね! これでOK」という感じでした。自分でもびっくりして「早い、どうしたの?」と(笑)。改めて考えて、ヒーローだから強いとかギャバンの格好良さはあるんですけど、ヒーローの秘めた優しさとか、それを歌の中に感じました。「これか!」と思いましたから。それで「太陽戦隊サンバルカン」を聴いたら、それがちゃんとあったんです。そこで、これがあるからみんな聴いてくれるんだと。詞とメロディが良ければある程度は聴いてもらえるんだけど、残る何かがそこにあるのかなと思いました。

――その後『キン肉マンGo Fight!』を歌われますね。また違ったヒーロー像だと思うのですが、どのような思いで歌われましたか。

 そうですね。レコーディングはあまり意識しないんですけど、自分なりに把握していってというのはあります。『キン肉マン』の場合は二枚目ではないし、絵を見た時に「これ?」と思ったんです(笑)。でも違う格好良さがあるんだなと思って。やっぱり残るフレーズはありますね。フレーズで格好つけて優しさをつけたりとか、そんなことはなくて、何かジワッとした違うところがあるなと思いました。

――一昨年「キン肉マン Go Fight!」を作曲した芹澤廣明さんに取材をした時に、この曲は「串田さん以外に考えられなかった」とおっしゃっていました。今聴くと、ヒーローの歌なのになぜマイナー調の切ないメロディを含むのか疑問に思っていたんです。それを芹澤さんにお聞きしたら「本当は寂しい孤独な男なんじゃないか」とお話ししてくださって。

 聴いている人も知らず知らずのうちにそれを感じていると思うんです。<ああ 心に愛がなければ>というフレーズに対しては色んな人が言いますね。芹澤がどこかで「串田だったから」と、そういう形で言ったのを聞きました。最近会ってないから会いたいんだけどね。曲を書いてもらう前、「ステージ101」の頃はよく音楽の話をしていました。住んでいる所が近かったから一緒に帰ったりして。その時に色々話をしたこともあって俺を選んでくれたんだろうなって。「串田だから」ということを考えて書いていたみたいな気もするんです。

――今聴いてもグッときます。

 特撮ものでは山川啓介さんの詞が特に、当時の男の子に対しては凄くて。自分で歌っていても自分に言い聞かせているような部分もありました。歌っている本人もそう思いました。

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