串田アキラ「絶対に歌い切る」デビュー50周年を経ても変わらぬ歌手の矜持
INTERVIEW

串田アキラ「絶対に歌い切る」デビュー50周年を経ても変わらぬ歌手の矜持


記者:村上順一

撮影:

掲載:20年03月04日

読了時間:約12分

 昨年デビュー50周年を迎えた歌手の串田アキラ。『宇宙刑事ギャバン』や『キン肉マン』など数多くの特撮、アニソンを歌唱してきた。昨年11月にキャリアを集約したベストアルバム『Delight』をリリースし新たなスタートを切った。「大切なのはずっと“歌い切る”こと」と話す串田に、この50年での活動を振り返ってもらい、歌い続けるためにおこなっていることなど歌手活動の本質に迫った。【取材・撮影=村上順一】

音楽スタイルとの葛藤があったデビュー当時を振り返る

串田アキラ

――デビュー50周年を迎えた心境はいかがでしょうか。

 僕もこんなに長くやるとは思ってなかったです。よくここまでたどり着いたと言いますか。レコードデビューをする前からもやっているわけですから。16歳の頃から歌っていたので、もう少しで歌手としては60周年を迎えます。

――そのなかで色々な悩みや葛藤があったとお聞きました。

 デビュー前にもありました。バンドをやっていたんですけど、簡単にバンドはできないということです。最低でも4人は相手がいるわけですから、みんなの気持ちが合わないとできないし、好きなものもあるし。僕が当時好きだったのはソウルやR&Bだったんですけど、メンバーはハードロックなどが好きな人が多かったんです。ギターが前面に出たものが良いとか、ド派手なほうがいいとか。あとはすぐメジャーになりたいとか。

 僕はどちらかというと音楽をやっていればいいという感じだったので、そのなかで煮詰めていって良い形に持っていければという考えでした。バンドを解散させたこともありましたから。なかなか世の中上手くいかないなというのはありました。最初は楽器を鳴らしてバンドができればいいというメンバーが集まったんだけど、やっぱりやっていくうちに欲が変わってきますよね。

――ドラムを叩きながら歌っていたとのことですが、もともとドラムをやっていたのでしょうか。

 そうです。ドラムセットを買ってまでやったんですけど、そのうちバンドを作っていくと「俺、ドラムやりたい」という人が出てきたので、その時はギターに持ち替えて演奏しました。最終的に、ドラムが大事な時に急遽いなくなってしまうということがあって、自分でまたやることになって叩きながら歌う感じになったんです。それがまた一番大変だったんです。米軍のキャンプで演奏していたので新曲はどんどんやっていかなければならないんです。わずかな間でアメリカのヒットチャートはどんどん変わっていきますから。複雑な曲も多いなか、譜面もなしで歌いながら叩くので凄く大変でしたね。

――その中でも特に大変だった楽曲はどんな曲でしたか。

 ドラムを叩きながら歌う一番大変な曲はジェームス・ブラウンでした。どちらかというと僕はテンプテーションズが好きだったので、そちらだと歌が大変でした。それまではキーボードがいたんですけど、最終的には3人でやっていたんですけど、3人でR&Bをやるのはこれまた大変で(笑)。でも、これ以上のものはないというやりがいがありました。デビュー前はそこで「極めてきた」、ということを感じていました。だからデビューが遅かったんです。

――1969年に「からっぽの青春」でデビューされて、そこでも葛藤はあったのでしょうか。

 レコード会社がブラックミュージックっぽいフィーリングで売り出そうと思ったらしいんですけど、それがだんだん暗い感じになってきて。

――ブラックの意味合いがちょっと変わってきたと(笑)。

 そうなんですよね。そこで「自分のやる世界ではないな」と、ずいぶん感じました。「これはソウルじゃないじゃん」と。それから3カ月して「辞めたい」と(笑)。デビューが9月だったんですけど、12月くらいまでは「からっぽの青春」のための色んなキャンペーンをやっていました。12月に入ったくらいから『ステージ101』(NHK総合の音楽番組)のレッスンとかやってました。いきなりレコード会社の人がNHKで何をやるのかなと、僕は全然話を聞いていなかったんです。そうしたらメンバーが揃っていて、そのなかに中村八大先生がいらっしゃって「とりあえず1曲歌って」と。

――いきなり?

 譜面もないしどうしようかというなかで、先生にちょっとコードを伝えてスティーヴィー・ワンダーの曲を歌いました。終わってスタッフの方から「明日から来てください」と言われて「え、何?」となって(笑)。そこから『ステージ101』のメンバーになったんです。

――それはオーディションだったのですね。

 自分では何がなんだかわからないうちにそういう風になって。それから段々始まったはいいけど、やっぱり「自分の音楽じゃない、違うな」というのがありました。それで「辞めたい」と話したんですけど「3年我慢してくれ」と言われました。「自分に合わないのを3年もやるのか…」と思ったんですけど、「じゃあ、好きなことに変えてしまおう」と、自分の気持ちを切り変えました。周りはびっくりしていましたね。「急におとなしくなった」って(笑)。そこで突っぱねてもどうにもならないんだと、自分なりに考えていました。

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