木川尚紀「生きていく上での一つの道」“作業着歌手”が語る演歌への想い
INTERVIEW

木川尚紀「生きていく上での一つの道」“作業着歌手”が語る演歌への想い


記者:村上順一

撮影:

掲載:19年09月09日

読了時間:約10分

 作業着で歌う演歌歌手の木川尚紀(きがわなおき)が8月21日、シングル「泥だらけの勲章」でメジャーデビューした。4歳で母親を亡くし、父と祖父母に育てられた木川は、家業である農作業時に流れていた演歌に興味を持ち、小学生から歌手になることを夢見ていたという。2度の就職を経験するも歌手への夢を諦めきれず、今年の7月に退職し夢を叶えた。インタビューでは生い立ちから、なぜ作業着で歌うのかその理由を聞くとともに「生きていく上での一つの道」だと話す歌にかける想いを語ってもらった。【取材・撮影=村上順一】

3つの目標

木川尚紀(撮影=村上順一)

――デビューされるお気持ちをお聞かせ下さい。

 念願のCDデビューですが、これから新しいスタートという事で気を引き締めて、頑張るぞという気持ちが一段と増しました。

――デビューされて、やってみたい事はありますか。

 自分の目標が3つありまして、地元の鹿島スタジアムで歌うこと、2つ目が茨城県ひたちなか市で開催されている『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』に出ること、3つ目はNHK『紅白歌合戦』に出演することなんです。

――既に明確な目標があるんですね。さて、プロフィールを拝見させて頂いたのですが、4歳の時にお母さんを亡くされてしまったとのことで。その時のことは覚えていますか。

 それがあまり記憶に残っていないんです。写真を見るとこうだったのかなとか、少し思い出すくらいで…。

――カップリングの「てるてるぼうず」は母親への思いを綴った歌ですが、どのような思いで歌いましたか。

 この歌詞を書いて頂いた田久保真見さんに、僕のお話をさせていただきました。その中で家族ものの曲を作ってくれたんですけど、もし生きていたらこうだったのかなと、母親のことを思いながらこの曲は歌っています。病気になってしまって。かすかな記憶に残っている思い出としては、一緒に農作業したりしていたのは覚えています。

――そこからはお父さん、おじいちゃん、おばあちゃんに育ててもらって。

 そうなんです。特に僕はおじいちゃん、おばあちゃん子だったので、その思い出の方が濃いんです。

――それもあって演歌に興味を持ち始めたんですね。

 家業が農家だったので、農作業中も家でもずっと演歌が流れていました。僕は軽トラの上で歌ったりしていました。その時に流れていたのが、三波春夫さんや三橋美智也さん、春日八郎さんの曲でした。テレビでも演歌じゃない曲が流れると父にチャンネルを変えられたりさていたので、ほぼ演歌しか聴いてないんです。

――実家が農家とのことですが、どんなものを作られていたんですか。

 ちんげん菜を作っていました。茨城県行方市はちんげん菜が有名で日本の生産量1位なんです。それを幼少期の頃から遊びながら収穫していました。実家は本当に田舎で畑ぐらいしかないんですよ(笑)。

――さて、木川さんから見て、演歌の魅力はどこにありますか。

 今の曲にはない歌詞の内容だったり、曲の作りがすごく好きです。一つひとつがすごくしっかりしているイメージがあります。演歌の愛してるというストレートではなくて、「あなたについていきます」といった表現が特に好きなんです。

――演歌一筋のご家族から、木川さんが演歌歌手としてデビューすることにすごく喜んでいらっしゃるのでは?

 父は最初、演歌歌手になるということに対して大反対だったんです。父も演歌歌手を目指した時期もあったみたいで、「歌の世界は甘くはない」といつも言われていました。でも、心の中では応援してくれているみたいなんです。僕には妹がいるんですけど、その妹には僕の活動の話をしているみたいで。僕に直接は絶対言わないんですけど(笑)。

――おじいちゃん、おばあちゃんは喜んでくれていますよね?

 おばあちゃんは喜んでくれています。実はおじいちゃんは僕が高校1年生の時に亡くなってしまったので、この姿を見せてあげる事が出来ないんです。先日もお盆だったのでお墓参りをした際にデビューの報告しました。

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