大友良英「観ている人と映像を繋ぐ」大河ドラマ劇伴担当が語るその奥深さ
INTERVIEW

大友良英「観ている人と映像を繋ぐ」大河ドラマ劇伴担当が語るその奥深さ


記者:榑林史章

撮影:

掲載:19年08月22日

読了時間:約14分

2つのコードが生む『いだてん』の一貫性

――『いだてん』は、時代背景が明治、大正、昭和で、音楽の時代考証もあったり?

 すごく考えました。テーマ曲ができるまでの1年は、時代背景を調べることに費やしました。ただ今の人にとっては、昭和30年も大正も明治も、どれも同じように昔なんですね。音楽も、昭和初期の歌謡曲を聴いてもただ古いだけで、大正時代からどう新しく変わったか分からない。そもそも明治時代は、当時の音源がほぼ残っていない上に、やったところで今の耳で聴いてしまうと江戸時代の音楽と大して変わらないものになりかねない。だから、当時実際に流れていた音楽で時代を表すのは無理だという結論に、早い段階で辿り着きました。じゃあ、どうやって金栗さんの大正時代と、田畑さんの昭和初期の時代を分けているか。

 明治、大正時代は、革の太鼓を中心にボコボコした音を使って、あまり和音を付けずに、ユニゾンの単旋律で素朴な音楽を中心につけています。それに対して田畑の時代は、シンバルやドラムセットが出てきて、かなり複雑な和音やモダンなリズムが出てくるように差を付けています。でも実際の田畑の時代の音楽には、そんな複雑な和音やリズムはないし、明治時代も実際には太鼓でボコボコ鳴っているユニゾンの音楽があるわけじゃない。つまりフィクションの音楽で、ストーリーを作っているんです。

――なるほど。時代が変わったことが音楽で伝えられれば、その当時の音楽でなくてもいいんですね。

 例えば時代劇で流れる音楽は、実際に江戸時代にあった音楽が流れているわけではない。観ている人が江戸時代だと思うような、江戸時代風の音楽をねつ造しているわけですよ。それと同じように、大正、明治、昭和と時代分けをして、ドラマに応じて作っている。だから、新しい概念で作らなきゃいけないと思いました。

 例えば「富久マラソン」という曲がありますが、革の太鼓がボコボコ鳴っているところに、三味線の音と管楽器がユニゾンで鳴っているんですけど、そんな音楽はどの時代にも存在していませんから。そうやって新しく作ることで、その時代感を表現しています。

 太鼓をどう叩くかでも、時代感が変わります。太鼓を大勢で野蛮に叩くと、金栗さんが熊本の田舎から出てきた感じや、近代ではない感じが出せるんです。そういう、人々が感じやすいステレオタイプを利用しながら作っています。ただそれが変な差別にならないようには、気を配っています。

――劇伴を作る面白さは、時代感を表す音楽を新しく作るところにもあるんですね。

 はい。すごく分かりやすく言うと、マイナー調の曲を聴くと悲しく感じたり、メジャーコードの曲が流れると楽しいと感じるように、現代の人が聴いてどう感じるか。ただ、単にステレオタイプに合わせるだけでは面白くないので、自分なりに発見、発明をしながら作っていますけど。でも、完全に新しすぎると誰も理解できなくて、悲しいとか楽しいという感情も生まれないので、そこをどう上手く突けるかですね。

――情報、分析、観察など、科学的な視点も必要。それは『いだてん』に限らずだと思いますが、作品中に通じる何かメインとなるものは考えますか?

 作品によって、楽器やリズムなどいろいろですけど、『いだてん』では、2つだけのコードを行き来することをメインにしました。<チャ~ララララ~>というメインテーマのメロディ部分のコードは、CとDを行き来しているだけです。もちろん他のコードやメロディも使うんですけど、そういう縛りを付けた部分を所々に使うことで、作品に一貫性を生み出しています。

――2つのコードの行ったり来たりで、左右の足を交互に出して走っていることを表現している。

 そうです。『いだてん』は、基本的にずっと走っている人の話ですから。恋愛して結婚してめでたしめでたしみたいな起承転結の話ではないし、何かの結論に達するわけでもなく、ただ走っているうちに話がどんどんでかくなっていく。だからコードが行き来するという縛りをつけて、その中で膨らんだり寂しくなったりするようにバリエーションを付けていこうと。

――でも縛りを設けると、自由が束縛されるわけですから、作りづらくならないですか?

 僕は、縛りがあるほうが好きですね。その中で、どう面白く遊べるかを考えるのが楽しい。縛りがないと確かに自由でどこにでも飛んで行けるけど、劇伴を作る上でそれでは面白くないんです。何の音楽であっても、自由にどこにでも飛べる状態だと、結果的にはただ色々あるだけで焦点のぼけたもになりがちです。個人で曲を作っている人は、少なからず自分の中で毎回異なる設定の縛りを作っているはずです。コード2つという縛りで作った曲が中心にあるからこそ、メリハリが付くと言うか、他の曲が引き立つという効果もあります。『あまちゃん』なんかは、コード1つで死ぬほど簡単なメロディで押しまくったんですから。

――だからこそ、『あまちゃん』のあのメロディがすんなり入ってきて、印象に残ったのかもしれないですね。

 『あまちゃん』って、ある種の突き抜け感があったじゃないですか。田舎町のスナックで話が進んで、客観的に「これって基本的に何も展開してないじゃん!」って思うようなところもあって。じゃあコードも展開させないようにしよう、と。どこまで行っても<スッチャカスッチャカ>と鳴っていて、くだらなくて、誰でも歌えるようなものを前提に作ったのが『あまちゃん』の劇伴でした。

――作品の本質をいかに読み取るか、ですね。

 はい。そこから縛りを考えるまでが、いつも時間がかかります。この作品は何を言いたいのか、何が見どころなのか、考えながら段々腑に落ちていく。今はすごく理屈で説明していますけど、やっている時は、理屈じゃなくもっと感覚的なんですけどね。

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