Koji Nakamura「生活音が音楽として結び付く」今こそ求められる多様な音楽
INTERVIEW

Koji Nakamura「生活音が音楽として結び付く」今こそ求められる多様な音楽


記者:平吉賢治

撮影:

掲載:19年06月26日

読了時間:約13分

「盤とストリーミング」の二極化。配信は無しの『Epitaph』

――今、配信からストリーミングが主流となることを示唆する状況が多々見られると感じます。

 今回はもともとストリーミングができたからダウンロードはやめようかなと。「ダウンロード必要ないじゃん」って思っていて。システム的にワンクッション手間があるじゃないですか? ストリーミングはそれがないし、ダウンロードは凄く中途半端じゃないかと思って。ミュージシャンからしてみても気持ちの整理がつきやすいというか。ダウンロードって結局、その先は所持者の判断じゃないですか? それをコピーしたりとか、どう扱うかはモラルじゃないですか。

 でもストリーミングとCDという世界になったときに…まあCDも取り込んでコピーはできるけど、今の子は面倒くさくてやらないんじゃないかなって。そうしたら「盤とストリーミング」で二極化した方がこっちからしてみるといい流れかなと思うから。ストリーミングで気楽に聴いてもらって、本当に好きになったら盤を買ってくれるというか、それでいいかと。中間のダウンロードは不安定というか。手間もちょっとかかるし。

――『Epitaph』の楽曲を配信リリースはしないというのは、今仰ったことが理由でしょうか?

 ストリーミングじゃなくても良かったとは思うし、この先起こることってWeb空間に音楽が溢れていて、それをどう固定化するかというのがアルバムという概念になるとは思うので、基本的には画集と一緒かな。例えば、“モナリザ”って検索するとWeb空間にはモナリザはいっぱいあるけど、じゃあ手元で感じられるくらいのモナリザを見たいと思ったら画集を買うしかないから。そういう世界になってくると思うし。本物は本物を買うという。本物に近いものはお金を出して買うという。色んな人に、これが売れた、あれが売れたという理由を聞くと「ちゃんと作っているから」という理由が多くて。宣伝はWebでやっていてという。

――今はストリーミングで音楽を聴くことができますが、あえて完成させずにどんどんバージョンを上げていくという方法もとれるかと思う部分もあります。

 それは僕もちょっとけっこう考えていて。音楽って、例えばある曲をYouTubeで検索するとライブ映像が流れたり、オフィシャルPVがあったり、どこかのTVスタジオライブだったり。それを観る人の楽曲の固定化ってバラバラだと思うんです。あの時の何年のライブ映像を強く思っている人もいるし、レコードだった時の音源を思っている人もいるし、バラバラな感情が楽曲に重なっていくというか。

 それが作品になっていくというときに、一体どういう選択をするかというのがは個々のアーティストの判断でしょうけど、それは自分でもある1曲ができたときに、この曲を今録音して、今この瞬間のためだけに出して、アルバムとなった時はもう一回アルバム用にレコーディングし直して、ということも思うし。でもまだ盤にはなっていないから、「もう一回やってみたいな」と思ったりすると、1曲なんだけど3バージョンあって「じゃあそれを盤に落とし込もうよと」なったときに、3曲入れるのか、自分がいいと思ったのを入れるのか、どうするんだろうなというのは今課題ですね。

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