「荒井さんの映画であれば、何が何でもやろう」覚悟を決めた出演
――近年、なかなかこれほどエロチックな映画はあまり見たことがなかったので、私は正直最初にこの映画を見たときにはちょっと戸惑った感じもありました。最初にオファーをいただいて、“出る!”と決めたときは、女性としてはハードな濡れ場やヌードなどもあり、結構出演に際して勇気がいる選択だったと思うのですが、それでもお二人が出ると決めたモチベーションというか、その理由というのはどのようなものだったのでしょうか?
縄田かのん 今回の作品に出演するきっかけは、この映画を企画された荒井晴彦さんのワークショップに参加したことなんです。荒井さんは、この作品の脚本を担当された荒井美咲さんのお父さんでして。その荒井晴彦さんが企画された映画だったら何が何でもやりたい、と心の中では思っていました。やっぱり数々の素敵な作品を作られた方ですから。
――たとえ脱ぐ役でも?
縄田かのん そうですね。脱ぐのって、どちらかというと結構勢いでできちゃうことで(笑)。どちらかというと脱ぐよりも、普段の自分の表情とか、ポロっと出るものを見せることのほうが勇気のいることだと思っています。なので脱ぐこと自体はそこまで抵抗がなかったですね。
――以外に男の人のほうが、脱ぐのには抵抗あるという話もよく聞きますね。
縄田かのん そうですよね(笑)。でも私はそれよりも”こんな顔をして、こんなことを言っているんだ”というのを映画で見せたときに、どんなことを思われるか?そっちのほうがセンシティブになります。
――その意味では、この作品はまさしく、そのままの自分を出された作品とも見えました。
縄田かのん だから本当に、裸よりもそっちのほうが怖かったですね。
――やっぱり中神さんも?
中神円 そうですね。なんか女性の裸とか性とかをぞんざいに扱っている作品だったら、当然裸になんかはなりたくないです。でもその服を脱ぐまでの過程というのがものすごく繊細に、ていねいに描かれていたので、それであればやりたいと思いました。
縄田かのん 本を読んだときの印象は、決して性を売り物にしていない作品だと思いました。むしろそこの性というものを、うまく表現できなかった人たちに対して解放してくれるような作品だと思ったので、そのために脱ぐのだったら大丈夫だと思いました。
――深く作品に傾倒された様子がうかがえます。共演の方では三浦貴大さん、藤原隆介さんに柄本明さんも出られたりというところもありますが、特に三浦さんがやられた貴也という存在がまた、二人の位置関係から微妙な位置関係にありますね。もともと三人で均衡を保っていた感じにもなっていましたし。
縄田かのん そうですね。“三竦(すく)み”といわれていました。
――ストーリーの展開の中でも、あの貴也の行動がストーリーに大きな影響を与えた感じもありました。まず役柄という部分に関しては、あの位置ににあった貴也という存在を、どのように捉えましたか?
縄田かのん まさしく貴也、十百子、そして自分と三つで精神バランスを保っていたと思うんですけど、それが貴也の一言、行動によってそのバランスを崩してしまったというのは、すごく感じていて。対して演じる上では、円ちゃんとは二人でずっとリハーサルをやっていたけど、三浦さんとは一回くらいしかできなかったんです。でもその意味ではこの近しい中に、また違う貴也という人物が入ってきたときの現場の雰囲気が、多分この関係からそのまま作用した感じになったかなとも思いました。
――ではわりと役柄に自分が近いような感じの中で、三浦さんもわりと近い感じだったのでしょうか。以前、三浦さんにもインタビューさせていただいたことがありましたが、とても気さくな方という印象を受けました。劇中では途中で気分の悪くなった十百子を気遣い、貴也が背負うシーンがありましたが、実際に三浦さんならああいったこともしてくださるのかと(笑)
中神円 どうなんでしょうね(笑)。でも確かにオープンマインドというか、人に対して心を解放されている方だな、と思いました。同じ空間にいて、居心地のいい感じでもありましたし。
縄田かのん 本当にフラットな方で。一緒に芝居もやっていて楽しかったです。
――例えば自分が本当にそれぞれ夢鹿、十百子という存在であれば、ああいった貴也という存在も欲しいな、と?(笑)
縄田かのん それは欲しいですよね(笑)。ただ、劇中で貴也の行動からくる絶望感はちょっと(笑)











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