平成最後の紅白となった第69回NHK紅白歌合戦が幕を閉じた。サザンオールスターズの35年振りのNHKホールでの紅白歌唱、米津玄師のTV歌唱初披露、DA PUMPと五木ひろしの“いいねダンス”、MISIAのデビュー曲サプライズ披露、ユーミンのNHKホールサプライズ登場、YOSHIKIの異例両組での出場など、2018年の紅白は見どころ盛りだくさんだった。

 “平成最後の”というフレーズが目立った今回の紅白だが、“平成最初”の紅白はどうだったのだろう? と振り返ると、音楽界の普遍的な部分と音楽界の変化が入り交じる、何とも興味深い点が垣間見れた。

グループ形態の変化・30年前も出場した大御所

 1989年(平成元年)12月31日の紅白。出場者の顔ぶれは、小林幸子、森進一、細川たかし、そして北島三郎など、「歌謡曲・演歌歌手」が大半を占めていた。アイドルグループはというと、光GENJI、ピンク・レディー、少年隊など4、5組で、今年の紅白と比べると少なく、また2〜5人という少数人数のグループ編成が主流だった。大所帯のアイドルグループのAKB48や欅坂46、乃木坂46らが紅白に出場という現象は、平成30年間という時代の変化を感じずにはいられない。

 また、平成最初の紅白では姿を見せなかった形式の出場者がいる。DA PUMPや三代目 J Soul Brothers(2019年から「三代目 J SOUL BROTHERS」)、Perfumeなどのボーカルグループ・ユニットという形式だ。ダンスボーカルグループやユニットという活動形式は、平成という時代で培われ、メジャーシーンに認知された新しい形式なのであろうか。

 バンドに関しては、平成元年はBAKUFU-SLUMPに聖飢魔II、ザ・タイガースと、3、4組の出場となっており、2018年の紅白でもSuchmosにセカオワなど、こちらも同数程度という並びであった。しかし、シンガーソングライターの出場者はこの30年で増え、2018年紅白では福山雅治・あいみょん・aiko・米津玄師など多数の顔ぶれだった。特に近年は、DAWやテクノロジーの進化による、「音楽制作の一人完結作業」が比較的困難ではなくなった時代の流れも手伝っているのであろうか。

 また、YOSHIKI・HYDEや椎名林檎・宮本浩次という、大物バンドのメンバーがフューチャリングするというのも平成後期ならではのラインナップと感じられた。

 そして、平成最初の紅白も、平成最後の紅白も出場した大御所が4人もいたことには驚きを禁じ得ない。北島三郎・石川さゆり・五木ひろし・坂本冬美らは、平成を代表する歌手ということを物語っているようである。

バブル崩壊期からの音楽シーン好景気

 平成という時代の30年間は、一般的な音楽の聴き方にフォーカスしても、おそろろしく変化した。平成元年は、CDという音楽再生メディアが一般的になっていた時期だろう。アナログレコードプレイヤーとCDコンポ、ラジカセが家庭に混在していた時期ではないだろうか。

 バブル期からバブル崩壊時期である1990年〜1993年頃から、CDの「ミリオンセラー」という、1000円程度の縦長サイズのシングルが100万枚以上バンバン売れるという、今では想像しがたい現象が起こり始め、長期に渡る経済低迷期と反比例して、音楽界は当時っぽく言うとイケイケムードだった。

 KAN「愛は勝つ」・槇原敬之「どんなときも。」・THE 虎舞竜「ロード」・広瀬香美「ロマンスの神様」などなど、これらは前述した時期にミリオンヒットを記録した作品だ。

 1990年代中盤に差しかかると、“小室哲哉旋風”が巻き起こり、“小室ファミリー”による作品がヒットチャートを席巻した。また、楽曲・アレンジ面でも変化がみられ、大胆な転調の手法や、シンセサイザーやダンスビートを導入した楽曲色が一般的になった時代でもあるだろう。

J-POP黄金期とロックフェスの飛躍

 カセットプレイヤーによるリスニング環境が下降気味になり、MDが普及した頃だろうか。宇多田ヒカルという新星の出現、ソウルやHIP HOPにエレクトロミュージックを取り入れたアレンジ、サンプリングの手法、クラシックロック・リバイバルなど、ありとあらゆるミックスアレンジのサウンドがヒットチャートを賑わせた。“J-POP黄金期”と評された時期でもあるだろう。

 CD市場も賑わい、音楽ファンが大いに盛り上がっていた1990年代後半から2000年代初期にかけては、音楽フェス「フジロックフェスティバル」「サマーソニック」の開催が始まった時期でもある。

 洋楽勢に活気があったフジロック・サマソニ両フェスの当時のラインアップは、レッチリ、レイジ、エイフェックス・ツイン、ソニック・ユース、レディオヘッド、ザ・フレーミング・リップス、オアシスなど、2019年現在では“生きる伝説”クラスのアーティストが出演する垂涎の顔ぶれだった。

テープからMD、スマホの次は?

 2000年代初期では、故・スティーブ・ジョブズ氏率いるApple社による音楽メディアの革命的な変化が起きた。iTunesの登場によるmp3音源の一般普及に、1990年前後から遡ること「カセットプレイヤー」→「ポータブルCDプレイヤー」→「MDプレイヤー」→「MP3プレイヤー」→「スマートフォン」というポータブル・モバイル機器での音楽リスニング環境の変化、そしてYouTubeなどの動画サービスにspotifyなどのストリーミング配信も平成という期間内の出来事である。

 平成はインターネットを利用した音楽活動が活発になった時代だ。レーベルやレコード会社に所属していなくとも、ネットを通して個人が動画配信サイトなどで作品を発表したり、アグリゲーターを介してiTunesストアなどに楽曲を配信したりすることが珍しいことではなくなった。これは2000年代中盤の頃であり、平成初期の1990年代では考えられないことだっただろう。

 「自分達で動画をアップロードして、音楽活動をする」という、今ではどちらかと言えば常套手段の活動方法で、ロックバンド・神聖かまってちゃんがメジャーシーンまで辿り着くという軌跡を提示したのは2010年のこと。ニコニコ動画などの配信サービスでの音楽活動を表面化させたのも平成という時代の出来事だ。

 紅白出場者の30年間の変化も、音楽シーンそのものの変化も、平成という30年間で飛躍的な変化を遂げた。音楽シーンにとって“平成”は、激動の時代であったように思える。紅白歌合戦は時代の激動の部分も普遍的な部分も表れ、その時代の記憶として刻まれ、新たな時代への架け橋となるのだろう。今年からの新時代、音楽シーンはいかなる変化と飛躍を遂げるのだろうか。【平吉賢治】

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