高岩遼「スターにならなければいけない」母との約束果たした10年の軌跡
INTERVIEW

高岩遼「スターにならなければいけない」母との約束果たした10年の軌跡


記者:小池直也

撮影:

掲載:18年11月22日

読了時間:約14分

母との約束

高岩遼

——『10』はボーカリストとして10年間の集大成ですね。

 もともとソロアルバムを出す、という発想はもちろんありました。僕は岩手の宮古市から、スーパースターになりたくて、富と名声を手にしたくて上京してきたんです。そのために僕は来てますから。それで音大に入り、一応4年間ジャズを学んで、その後SANABAGUN.やTHE THROTTLEをやって。

 学生の頃から銀座とかでジャズのボーカルをずっと続けていて「どうしたらスターになれるか」「どうやったら有名になれるか」と考えていたんです。そこで「とりあえずソロアルバムを出そう」と思い至りました。たしか22歳の時です。自分で仲間を集めて、色々なところから金を借りて、ビッグバンドを結成したんですよ。それが上京して初めて作ったRyo Takaiwa With His Big Bandというバンドでした。

——そのバンドでライブもされていたんですか。

 大学のレコーディングスタジオを借りて、デモを作ったり、ライブも3、4回くらいやりました。でも、これからだという時に「何か違うな」と。お金も予算もなかったので空中分解してしまったんです。そこから時が経って、僕には血を分けた兄弟たちができました。SANABAGUN.にTHE THROTTLEにSWINGERZの仲間たちです。どれも僕が首謀者なので、責任もあります。なので、まずバンドでよろしくやれてないと、キャプテンとしての顔が立たないなと感じていました。そんな事もあってソロアルバムは出したいけどまだだな、という状態が続いていたんですよ。

 でも、ついに去年の3月くらいに恵比寿のBATICAというライブハウスで「遼くん、何かやろうよ」とレーベルの方に声をかけられて。そこで「やるならビッグバンドしかやらないぜ」という話をしたんです。それからTokyo RecordingsのYaffleを紹介されて、このプロジェクトがスタートしました。

——プロデューサーのYaffleさんの印象は?

 プーさんみたいな奴だなと(笑)。かわいいなという印象に加えて、生粋の東京の人なのに、決してそういう風に見せない人柄でした。ただ僕が28年間ミュージシャンとして生きてきて、出会ったことのない人種だったんですよね。

 今までやってきたバンドではプロデューサーを付けたことがなかったんです。でも自分の作品を作る時は、自分のエゴだけでやってもセールスを出していけないんじゃないかという危惧もあって。そのためには僕と真逆のというか、そういう器のある人が隣にいて欲しかったんです。彼と会った時は「劇薬が生まれる」と感じましたよ。面白くなりそうだなと。

——もともとビッグバンドでデビューしたいという想いもあったとか。

 やはり、この時代に誰もやってないんじゃないかということが大きかったですね。「今フルビッグバンドを従えて誰がやってるの?」って。もちろんレイ・チャールズやフランク・シナトラもカウント・ベイシー楽団と一緒にやったりして、そういう音楽ももちろん好きなんですよ。でも何より「格好よくない?」っていう気持ちで、実現するには不可能と思える様な目標をずっと持っていました。

 そもそも18歳の時に、格好いいことをすると母親に約束したんです。「ソロデビュー作出す時はぜってぇビッグバンドでやるから。ちょっと見てて」と。だから派手なものへの憧れというものはやっぱりありますよね。きっと自分に似合うんじゃないかという、おごりではない自信もありました。

——新作は曲調的にはいわゆる4ビートなものから、ヒップホップ的なビートのものまで様々ですね。

 フランク・シナトラみたいな往年の作品を焼き直しすることは絶対に嫌でした。何かそこはジャズアルバムではなく、ポップスをやりたいというイメージでしたね。ジャズを超えた、何かその先のというか。アメリカへの憧れで育ってきて、聴いている音楽はそれしかないですが、日本人として自分の言語で最先端の表現にチャレンジしたかったんです。なのでカバーも少ないし、基本的に日本語の歌詞の曲ばかり。

——制作についてはどの様に話し合われたんですか。

 「こういう風にしたい」とは伝えましたが、基本的にトラックメイキングは全部Yaffleに任せました。メロディに関しては僕が全部ディレクションしています。トラックを組んでもらって、それに歌をのせて、それに対してバッキングを作っていって、という工程を繰り返しました。遊んでるみたいで楽しかったです。ビッグバンドは20人くらいいるのに、使い方は随所みたいな。極上ですよね。Yaffleの作ったデモに僕の仮歌を入れた音源を聴きながら、バンドのみんなはレコーディングしています。

 プレイヤーの人選に関しては最初に「絶対平成2年生まれ以下の人としかやんねえぞ」とわがままを言いました。ビッグバンドだからといって、おじさん世代の先輩たちを従えて「よろしくお願いします」と僕が気を使ってやったって絶対いいものは生まれないと思ったんです。僕は世代をレペゼンしていきたい人間なので、このアルバムも平成2年生まれ以下で作れたら最高だなと考えたからですね。そこから僕とYaffleとスタッフでメンバーを選んでいきました。

 選び方はまずスキル。今回は下手な奴がまずいないので。『山野楽器ビッグバンド・ジャズ・コンテスト』でソリスト賞を獲った奴らもいるし、一線でスタジオミュージシャンやっている奴もいます。あとはいい奴。ミュージシャンといっても、クセのある生き方をしてない奴ですね。礼儀があるやつ。腕が第一ではありますけど、一緒にやっていて楽しい方がいいじゃないですか。

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