私はエンタメに救われた、趣里にとって音楽とは:「生きてるだけで、愛。」
INTERVIEW

私はエンタメに救われた、趣里にとって音楽とは:「生きてるだけで、愛。」


記者:鴇田 崇

撮影:

掲載:18年11月16日

読了時間:約7分

作品を通して誰かの心に少しでも寄り添えたら

――すでに映画を観た、特に女性の評判もいいそうです。映画の公開を迎え、いまの率直な心境はいかがでしょうか?

 生きる上で難しいことがたくさんありますよね。たとえば自分だけが違うのでは? と思って、すごく孤独感を感じてしまうこともあるし、自分の心が疲れてしまうこともある。この映画の寧子は社会に出て行くことが難しい人なのですが、心の中では前に進みたくて、でも変われなくて、というところで葛藤しています。

 誰にもわかってもらえないのではないかと葛藤している人は、寧子だけではないですし、映画を観た反応は人それぞれですが、そう思っているのは自分だけじゃないということを映画を観て感じてもらえるだけでもいいのかなと思っています。当初映画を撮り始める時に、この作品を通して誰かの心に少しでも寄り添えたらいいなと思いました。

――本作はラブストーリーだけじゃなくて、愛よりも生きるほうに重点を置いていますよね。

 そうですね。男女の仲というよりも、人間愛の割合が多いという印象を受けました。人とわかりあっていけるのかみたいな問いもあると思います。

――寧子はエキセントリックな言動がありますが、実は特殊なことではなくて、観ている人の中には自分を当てはめる人も多そうですよね。そういう意味では無色透明なキャラクターだと思いますが、そういう役柄を演じる場合、どういうことを意識していますか?

 寧子が中心でない物語の場合は組み立て方が違うと思ったのですが、この小説と同じように映画も彼女の人生が真ん中にあるので、完全にお客さんの気持ちが寧子から離れていはいけないと思っていました。また、本当に苦しみながら生きているということをおろそかにしてしまうと、ウソっぽくフィクションになってしまうと思いました。原作に寄せるともっとポップでコメディーになるけれど、リアルで人間っぽいところを目指し、本当にもがいている人間の姿を映したいと監督はおっしゃっていました。であれば、自分の苦しみに目を背けてはいけないと思いました。

趣里

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――寧子以外の人もみな普通ではなさそうというか、登場人物みな独特ですよね。

 普通ってなんなんだろう、とは思いました。普段の会話の中で「普通は…」などと言ったりしますが、それは自分にとっては普通なだけであって、誰かにとっては普通じゃないかもしれないということを、思うようになりました。自分にもまだこういう感情があったのかと自分でも驚くこともあって、まだまだ新しいことはたくさんありますよね。寧子を通して自分というものは、つくづくわからないものだなと思いました。

――今回の寧子というキャラクターを通じて、女優として改めて想いを新たにしたことはありますか?

 今回の現場で改めて作品創りに携わる楽しさを実感しました。部屋の美術セットや照明に助けていただいた事も多かったです。物理的に寒いときにケアをしていただいたり、優しさを感じて、多くの方々に支えていただいていることを強く感じました。心が荒みかけた時、その時の温かい気持ちを思い出します。皆の想いがひとつになっていた、うれしい現場でした。

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