手話はひとつの言語、HANDSIGN 広げたい音楽の新たな表現方法
INTERVIEW

手話はひとつの言語、HANDSIGN 広げたい音楽の新たな表現方法


記者:小池直也

撮影:

掲載:18年09月18日

読了時間:約12分

よりエンターテインメントの側面を伝えていきたい

――最初は見た目の格好よさみたいなところから入って、段々と心境の変化などはありましたか。

TATSU 色々な人に出会って「ちゃんと伝えていかないと」という気持ちになりました。「合ってるか合っていないかわからないけど、とりあえず格好いいからやってみようぜ」から始まったんですけど。間違ったことを伝えてはいけないと思います。。ラップやダンスなど他のものとコラボすればそれだけ広がりが生まれ手話が当たり前の日常がいつかくると思ってます。よりエンターテインメントの側面を伝えていきたいという想いが湧いてきました。

――実際、様々なところを周ってパフォーマンスしてきましたよね。

TATSU 結構行きましたね。ホール、クラブ、ストリート、学校、海外など多くの場所でパフォーマンスしてきました。

SHINGO 「格好いい手話」と「ちゃんとした手話」というふたつの思いは、活動を続けている中ではどちらかに偏りがちになることもありました。格好いい手話ダンスもしたい、学校で子どもたちに伝えるのも大事。そこのせめぎ合い、バランスが難しいなと感じる時もあります。だから、どちらにも寄らない様にいろんな状況を学びつつも、音楽シーンにも通用できる様に活動していきたいなと。

――メジャーデビューする心境はいかがですか。

TATSU もともとダンサーだったのですが、歌を歌い始めてから「メジャーデビューという選択肢もあるんだ」ということが分かったんです。去年公開した「僕が君の耳になる」のMVの再生回数が伸びていって嬉しい反面、ここからどれだけ自分と向き合って活動していくのかという葛藤はありますね。

――米国などに比べて日本人はシャイだと言われますが、歌う事に抵抗はありませんでしたか。

TATSU シャイの代表でしたよ(笑)。本当に僕は初めて行ったボイストレーニングも大変で、1曲仕上げるのに半年かかりました。とはいえ、歌いたいという気持ちがあったんです。

SHINGO 僕も昔から歌ってみたいという気持ちがありました。でも、なかなかきっかけがなくて。そんな時、海外支援でカンボジアに行った時にこどもたちに手話ダンスを教えたり、学校設立に関わったんです。そこで感じた自分たちの気持ちを歌詞にして、みんなで踊れる様な曲を作りました。それがいいきっかけになりましたね。

TATSU まだまだ歌は練習していかないといけません。

――今回のシングルはいつから制作を?

TATSU 「僕が君の耳になる」は2年前から、「この手で奏でるありがとう」は去年の10月くらいに作りました。この2曲に関しては実話を基に制作しているので、ご本人にまずインタビューをして。フックになる様なところをメロディにはめ込んで作りました。あとはあまり人が書かないような歌詞にする様には心がけました。<僕が君の耳になる>、<僕の手が枯れていくまで>、<世界で1番静かな家庭>とか。作曲家の中村泰輔さんに、入れたい歌詞などを提案して相談し合いながら作っていきました。

――音楽の制作と、振り付けを考える作業に共通点はありますか。

TATSU 全然違いますね。振りの方が作りやすいです。歌詞は本当に山の手線3周くらいしなきゃいけなくなりますから(笑)。僕は家で歌詞考えると全然駄目なんですよ。でも外の景色が動くカフェに8時間くらいいたりとかして、究極が山手線3週(笑)。今回の曲書くのにコーヒー10杯くらい飲みました。振付はスタジオでやります。ダンスは中学校からずっとやってきていますから。

SHINGO 「この手で奏でるありがとう」に関しては、歌を作りながらMVの台本を同時進行で考えていました。脚本を重視して、それに合わせて曲を作っていくやり方ですね。

TATSU ドラマバージョンで心に響くものを作りたかったので、台本を何度も書き直して大変でした。

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