ボーカル&手話パフォーマーのHANDSIGNが19日、メジャー1stシングル「HANDSIGN」を発売する。2005年に結成。“手話ダンス”を武器にこれまで米・ニューヨークのアポロシアターで開催されたコンテスト『アマチュアナイト』への挑戦を皮切りに、国内のアーティストのドームツアーへの参加など活躍の場を広げている。日本ではまだまだ認知度が低い「手話ダンス」だが、彼らはどの様な想いで表現しているのだろうか。今回は満を持してのメジャーデビューについて、彼らの結成から現在に至るまでの流れやYouTubeで200万回再生を超えた、足立梨花、栗山航やみやぞんの出演する「僕が君の耳になる」のミュージックビデオ(MV)についてなど、HANDSIGNのTATSUとSHINGOにインタビュー。「2020年に向けて、もっと手話がアメリカみたいにメジャーになって欲しい」と語る彼らに話を聞いた。【取材=小池直也】
ドラマ『オレンジデイズ』がきっかけ
――お2人は元々はダンサーだったという事ですが、なぜ今の様な活動に?
TATSU もともと手話ダンサーとして活動していたのですが、歌も取り入れ今はボーカル&手話パフォーマーとして活動しています。手話ダンスをはじめたのは(TBS系)ドラマ『オレンジデイズ』を見たのがきっかけです。奔放な彼女(柴咲コウさん)のため、丁寧に手話を覚える妻夫木聡さんが格好いいなと。
その時僕はジャパニーズ・レゲエが大好きだったので、それに手話を取り入れれば、自分がいいと思う音楽が耳の聞こえない人にも届くんじゃないかとも思い、最初は見た目の格好良さから入りました。SHINGOは幼なじみで、いつも隣にいたので「一緒にやろう」と誘ったんです。
SHINGO も小学校からの幼なじみなので『手話!!』って思いましたが、「何かやろうよ」と誘われたら、僕が「うん」と答えてしまう関係性なんです。
TATSU ザ・イエスマンですから(笑)。それから手話の本を買ってきて、即実行に移していきました。
――普通にダンスしているだけでは飽き足りなかった?
TATSU ブレイクダンスを中学校の頃から始めました。昔からダンスでも笑いを入れてみたり、人と違う事をしたがる性質だったんです。そこで出会ったのが手話だったという事なんです。手話を取り入れたのは大学生の時でした。その頃は今より全然真っ黒で日サロに通いまくっていて。ヒゲもボーボーのドレッドだったんです。
そんな格好でしたけど、クリスマスに僕がイベントを主催したんです。大学の友達と知り合いとかが200人くらいクラブに集まりました。そこで「サンタ」というユニットをTATSUと組んで、サンタの衣裳にサングラスで踊ったんですよ。そこでKEN-Uくんの「DOKO」という曲で手話ダンスを披露しました。「格好いい」と言われるかと思ったら「感動した」という声が強くて。
自分ではめっちゃ格好いいと思ってやった手話ダンスが、こんな衣裳でやっているのにも関わらず感動されてしまった。今までダンスしてきましたけど「感動した」と言われた事はなくて。そこから本格的に手話ダンスで、色々な人に伝えたいという気持ちでHANDSIGNを立ち上げたんです。
――その時手話ダンスを観ていた人たちは、意味をわからず観ていたわけですよね。
TATSU そうなんです。意味はみんな分からなかったみたいですけど、感動したと。
SHINGO 見た事のないものに出くわした、という事はあったのかなと。あとは、手話の持っている温かい何かが伝わったのかもしれないですね。
TATSU それからRYO the SKYWALKERさんに歌詞を一部変えて、歌ってもらって、それで手話ダンスをするのを2、3年続けました。でもそのなかで「本当に手話がちゃんと伝わっているのか?」という疑問もあったんです。だから『オレンジデイズ』の手話監修をされてた方に見て頂きました。そうしたら7割くらい間違っていたんですよ。惜しいところがたくさんあったんですね。そこからはちゃんと学んで、初めて耳の聞こえない方が多くいるイベントで踊った時はしっかり通じていました。