音楽は“ゆらぎ”、竹島 宏 大切なのは歌手だというプライド
INTERVIEW

音楽は“ゆらぎ”、竹島 宏 大切なのは歌手だというプライド


記者:村上順一

撮影:

掲載:18年08月24日

読了時間:約15分

 歌手の竹島宏が8月15日に、シングル「恋町カウンター」のCタイプをリリース。2002年7月に「いいもんだ いいもんだ」でメジャーデビュー。今年デビュー17年目を迎えた。「恋町カウンター」は3月にリリースされた楽曲とともに“恋町ダンス”という振り付けが話題となり演歌、歌謡曲ファン以外にも広がりを見せている。中学生の時に「演歌歌手になりたい」と進路相談で話していたという竹島。インタビューではルーツを探るとともに、「恋町カウンター」やCタイプに収録されたカップリング曲「スキャンダル」について、またNHK『紅白歌合戦』への想い、自身にとっての音楽とは何なのかなど多岐にわたり話を聞いた。【取材=村上順一/撮影=冨田味我】

豪華絢爛なものに惹かれていた

竹島宏(撮影=冨田味我)

――竹島さんが歌手を目指そうと思ったきっかけは坂本冬美さんのコンサートだそうですね。

 曾祖母の知り合いが行けなくなってしまい、代わりに僕が観に行けることになりまして。人生で初めて観たコンサートが坂本冬美さんでした。小学5年生で演歌のことも何もわからない状態でしたが、単純に迫力がすごいと思いました。そこから、中学3年生で進路について考えることがあって、演歌をやってみようと思いました。その考えの一つに人と違うことがしたいというのがありまして。

――当時どのような音楽を聴いていたのでしょうか。

 小学生の時は親が聴いていたクラシック全集を僕も聴いていました。なぜかクラシックを聴くのが当時楽しかったんです。意味もわからず聴いていたんですけど、おそらく音からくる何かを感じていたんでしょうね。演歌を初めて聴いた時と同じで、なぜかは説明は出来ないんですけど。ロック系の物に引っかかったかと言うとそうでもなくて。

――演歌とクラシックではあまり共通点はないですよね? 演歌のバックにオーケストラに近い大編成のバンドがついていたりするイメージはありますけど。

 もしかしたら豪華絢爛なものに惹かれていたのかもしれません。というのも福井の実家の周りには何もないんですよ。午後10時になったらお店も全部閉まってしまうような環境だったので、それもあって豪華なものに惹かれてしまうのかもしれないです。東京に初めて来た頃、繁華街のネオンが眩しく感じました。今でもネオンのキラキラ感は好きで、おそらく故郷にはないものに惹かれたんだと思います。

――演歌に興味に持ち始めた頃からカラオケで歌ってみたりも?

 歌ってました。坂本冬美さんのコンサートを観た後から、いろんな演歌を聴き始めて、千昌夫さんの「北国の春」から鳥羽一郎さん、山本譲二さん、香田晋さんなど沢山聴いてました。あと、その頃から演歌以外にもDEENさんやWANDSさんなどJ-POPも聴くようになって歌ってましたね。

――きっと当時から歌はお上手だったんでしょうね。

 そんなことなかったです。特に周りからも上手いと言われたこともなかったですから。両親は音楽にあまり興味がなくて、自分で勝手に練習していました。田舎なので自宅の窓を開けて歌っていたんですけど、間違えたタイミングでどこからか笑い声が聞こえるんですよ。 あとから分かったんですけど、隣の家のおじさんが僕が練習するのをずっと聞いていたみたいで、間違えるたびに笑われて。もう公開練習ですね(笑)。

――そこからメジャーデビューまではトントン拍子だったのでしょうか。

  進路相談で「演歌歌手になりたいです」と話したときは、周りは「何を言ってるんだ」みたいな感じで。それもあって周りは真剣には考えてはいなくて…。僕は演歌歌手になるのに高校には行かなくていいと思ってましたから。でも学校の先生に諭されて、渋々なんですけど高校を受験しました。

――ちなみにあまり勉強はお好きではなかったのでしょうか。

 勉強は嫌いではなかったですね。ただ「演歌歌手になるんだ」と頭が切り替わってしまった瞬間に「もう勉強いらないでしょ」という感覚になってしまいました。実際歌手になるあてもなかったので、おとなしく地元の高校に通いました。でも通い始めてからも演歌のことしか頭になかったので、高校に入った途端に勉強しなくなってしまいました。テスト勉強とかも本当にしなかったのでいつも赤点で。でも、それが歌手になると決めていたので恥ずかしいということが全然なくて。僕が言った高校が進学校で大学にいく話になったんですけど全然行く気にはなれなくて、親も先生も困っちゃって(笑)。専門学校でもいいから入った方がいいんじゃないかと話しも出たのですが、行く行かないと擦った揉んだがありました。

――結構、戦いがあったわけですね。

 はい。テスト中も勉強をしていかないので、答えることが出来なくて時間が余ってしまうんです。もう問題の意味もわからないみたいな。だから、テスト中は暇で答案用紙の裏に演歌の歌詞を書いて「これはいい歌詞だな」みたいなことをしていて。挙句の果てには歌い方のポイントまで書き始めちゃったり(笑)。進学校だったので先生からは「大学に行ったら自由な時間が沢山あるから好きなことができる。東京の大学にはいろんな人が来るからその人たちと交流して、そういった中で歌手になればいい」と言われて。それで「そうなんだ」と思って…。

――説得されてしまったわけですね。

 そうなんです。我が強い割に流されやすいと言いますか(笑)。素直に先生の言うことを聞いて結果的に大学に入学しました。そして大学に行って就職活動をする代わりに、僕は歌手になるための活動をしようと心に決めていました。 実際活動してみてもオーディションに落ちたり、なかなか芽が出なかったんです。「参ったなあ」とか言っていたんですけど、心の中では実際はそんなに参ったとは思っていなくて…。きっと、その時はそんなに真剣ではなかったんですよね。でも、途中でまずいなと思って、なんとかしないと何も決まらないまま大学を卒業してしまう事になると思って。

――焦りますよね。

 そんな時にたまたま知人に紹介されたカラオケの審査会があって、その審査員で来ていた作詞家の久仁京介先生が僕に声を掛けてくれまして。なぜ僕に声を掛けてくれたのかというと、別に歌が上手かったわけではなくて。大学生という若さで演歌好きな人はなかなかいないし、面白いやつだなと思ってもらえたみたいで。 その流れで今の事務所に入って、バイトとして最初は電話番をしたりしていました。でも、それも事務所が募集していたわけではなくて、原宿に遊びに行ったついでに、前に社長の名刺をもらっていたので、アポなしで行ってみたんです。

――すごい行動力ですよね。

  突然来たので社長もびっくりしたみたいで。「どうしたの?」と聞かれたので「近くまで来たので遊びに来ました」みたいな(笑)。そうしたらこれから花火大会があって行くから一緒にどうかと誘われたのでついて行きました。その時にバイトで使ってもらえないかと訪ねたらOKがでまして。そして、バイトをし始めた頃にその事務所で歌番組の制作を始めるということになって、アシスタントに選ばれたんです。そこで顔を出すようになってデビューに繋がっていきました。

――お話を聞いていると行動力と社交的なことが道を切り開いていますよね。

 でも、僕は全然社交的ではないです。その時は若気の至りと言いますか、イケイケな感じで行けてしまったんですよね(笑)。おそらく他の方だと誰かに憧れてとか、憧れの先生について習うとか音楽的な修行期間を経ての道筋があると思うんですけど、僕の場合は歌手になるという思い込みだけでデビューまで来てしまったので、歌手としての素地みたいなのがなかったので、当時は周りの方にも迷惑を掛けていたんじゃないかなと思います。

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