やりたいことをやる、Runny Noize お笑いと音楽を続ける理由
INTERVIEW

やりたいことをやる、Runny Noize お笑いと音楽を続ける理由


記者:小池直也

撮影:

掲載:18年08月13日

読了時間:約14分

カナダの経験が開いた芸人への道

Runny Noize(撮影=冨田味我)

——そもそもバンドマンからなぜお笑い芸人を志そうと思ったんですか? せっかくキャリアを積み上げてカナダまで行ったわけですし。

けんと その時は23歳くらいでした。人生で一番くらい悩みましたね。半年くらい悩んでました。すざきにもまだ言っていなかったんですよ。普通に考えてカナダまだ行って、帰って来て「お笑いやりたい」なんて言ったら、頭おかしいじゃないですか。だから、こだまに相談してたんです。その時はバンドメンバーになるとは思っていなかったですけど。「芸人やりたいねん」と言ったら「ええんちゃう? 時代的にバンドより売れると思うで」と背中を押してくれて。そこからすざきを誘いました。

——カナダはアートや音楽に対してオープンな空気があると聞いています。

けんと それもあったと思いますよ。確かに考え方が自由になったのかもしれない。

すざき 芸人になる事については僕も驚きましたけど、カナダに行っていなかったら断ってたかもしらんくらいです。だからこそ「ええんちゃう?」とけんとに答えられたというか。僕は「カナダに行く」って決めた時点で自由になった様な気がします。向こうでの経験ではないんです。周囲の何人かに反対はされたんですけど、それを押し切って行ったという事で僕は自由になれたんじゃないですかね。

けんと 現地もやっぱりカルチャーショックみたいのはすごかったです。チャイナタウンでおばさんが立ちションしてたりするし(笑)。当時のバンドメンバー4人でカナダに行って、僕ら以外の2人がすぐ日本に帰ってしまったんです。遊びでコメディ映画を撮って、向こうのライブハウスで上映した時にウケたんですよ。子どもの頃の夢が芸人だったから、またやりたくなったんです。

 それから日本に帰国する4日前にカナダで強盗にあってるんです。3人に囲まれて銃を突きつけられて持ち物全部盗られたんですよ。でも鞄に入ってたトイレットペーパーだけ返してくれたんです。こんな経験誰かに話さなかったらもったいないじゃないですか。芸人なったら話せるなと。それから帰ってきた時は23歳くらいだったので、始めるなら今しかないというのも理由ですね。

 あと帰ってきてすぐに東日本大震災がありました。ほんまにいつ死ぬかわからないなと。「せやったら、やりたい事やるしかないな」と思ったり。今思うと、色々な事がその時期に集約されていた気がしますね。僕の中で芸人って昔から好きだからこそ簡単になれるものではないと思っていたんです。でもダメ元でもやってみたいと思えたんです。

てつや 僕ちょうどその時、音楽辞めようと思っていたんです。2人がいきなり芸人になって、音楽もやろうとしていた。その姿を見て辞めないでいようと思ったんです。もう働かなきゃいけない年齢だし、僕は音楽が仕事にならないから辞めようと。そうしたら逆の方向に行こうとしている奴らがいる。その時に「こんだけやる奴じゃないと成功しないよなと」と思ったんです。

——やりたい事がやりづらい雰囲気みたいのが社会にあるのかもしれませんね。

すざき 確かに反対してくる方の話を聞いているとそういう風に思えたりもします。

けんと SNSでも「勇気をもらえました」とか「私もやってみようと思えました」という声も頂くので、そういう存在になれていたら嬉しいですね。

(おわり)

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