<記者コラム:オトゴト>
 「ロックとは何か?」これは私に限らず、あらゆる人にとって謎、永久的な謎ともいえる問題なのだが…実は先日、某ロックバンドのライブを見た際に、ふと何か腑に落ちるような感覚をあった。

 それはそのバンドのライブも後半のこと。日本のロックシーンでも有名なバンドであるとだけ言っておこう。そのバンドがステージで一息ついたタイミングで、とある社会問題をキーワードとして、ある意味“平和を訴える”的な意味合いで作った曲である、というようなMCをした、と記憶している。

 恥ずかしながら、私はこのバンドの音を全く聴いたことがない。ましてやライブなど…。なので、こうしていきなり社会問題に言及した曲と言われ、プレーしたことに何か違和感を覚えていた。最初は“何で、この一曲だけ…?”と。ところが、それがステージが進むにつれて、なぜか“なんで、もっとそういうことを言い続けないのだ?”と言う気持ちに変化していった。

 そこが大きなポイントだったのだが、そもそもロックという音楽が大きなパワーを生み出す、などといった印象を持っているのは、何かを訴える力がある、あるいはあったからなのではないだろうか。ロックの歴史の中では様々なところで、完全な力を発揮し切れないまでも大きなアピールで思いを告げ、人々の心に強い印象を残していた。

 これに対して、一つ気になるエピソードがある。実は以前、“音楽ライター講座”なるものを受講したことがある。この講義の中で“今年の音楽界の総括を述べよ”という質問が出席者に投げかけられ、ある一人の出席者が、とある有名なロックフェスのステージの印象から、“社会問題に強く言及するアーティストが多かった”と答えた受講者がいた。

 これを耳にして素直に“そんなの、昔からたくさんいるじゃんか?”と疑問が湧いた。時代により問題は様々、その大小もあるかもしれない。しかし、それに対して声を上げてきたアーティストはたくさんいた。が、彼がそう言ったということは、実は近年そういったことが忘れ去られている、あるいはもともとそういう面があることを知らない、意図的に消そうとした…とにかく、今ではなかったことになっているのではないか、ということだ。

 その理由は様々だが、例えばビジネスとすれば売りにくくなるなど、そういう考えも大きいのだろう。ロックは音楽という枠だけではくくり切れない、特殊な力を持ちながら、商品、ビジネスの一環などといった側面を捨てられないままでいる。それ自体が、ロックに携わってきた人間を支えてきた根源であるが、反面、足かせにもなっている感じである。

 その意味では、もしロックがロックという本来の意味を求めるのであれば、実はどこかでその音楽などを“売る”などといった側面を、捨てる方法を考えなければならないのではないだろうか? などと考える一方で、“いやちょっと待てよ、ロックはそういうものじゃない、という人もいるだろう。「楽しむだけのもの」という考えもあるだろう。“自分の意見が絶対ではないだろうに…”などと考え、とりあえず一度は自分の思いを元の鞘に収める次第であった…。【桂 伸也】

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