<記者コラム:オトゴト>
 先日、知り合いのミュージシャンからこんな話があった。「最近の若い子(ベーシスト)は、“エディ・ゴメスを知らない”という世代になってきているんだとさ」。

 唐突な話になってしまったが、この知り合いのミュージシャンというのはジャズベーシストだ。何かのセッションか、あるいは仲間内との話かでそういう話があったのか、とにかくそんな話が耳に入ったという。

 まあ、考えてみればよくある話、と片づけられる話なのか…。例えば80年代の、親父やお袋世代の「ニューミュージック」などと呼ばれる音楽を、成長したその子供世代が知らないという構図に似たようなところなのだろうか。

 いや、しかしまあ、私にはショックな話だった。エディ・ゴメスといえば、ジャズ・ジャイアンツの一人として知られるピアニストのビル・エヴァンスのトリオで頭角を現し…いや、これまでの経歴からすると、ゴメス自身がジャズ・ジャイアンツの一人として挙げられてもおかしくない、そんな存在のはずである。

 私がジャズという音楽に触れ始めたのは、実はそれほど古くはなく、90年代後半から00年代頭だった。その頃、ジャズ・ベーシストとしての入門は(未だにそう語る人もいるのではないかと思うが)ポール・チェンバースか、はたまたレイ・ブラウンか、というところ。

 その二人から比較すると、ゴメスという存在は革新的なベーシスト、テクニックなどは“雲の上の存在”に感じられるほどに飛びぬけており、今聴いても“凄い”と思う人も多いのではないだろうか。

 ただ、その話を聞いた時には、様々な思いが頭の中をよぎった。例えばベーシストを志す青年に対してであれば、ジャズという音楽柄から、普通は“基礎は重要、古いものからちゃんと聴きなさい”などという意見もあるかもしれない。特に血液にまでジャズが流れているような、いわゆる“ジャズおやじ”からは「無礼者! 今すぐ(ゴメスを)聴いてこい!」などと怒鳴られるかもしれない。

 その一方で、レジェンドを敢えて聴かないというのも、新しい音楽を作っていくことには必要、そんな時代が来ているという見方もある。かつて「そんなもの知るかよ!」とばかりに古い音楽に関係なく生まれたロックは、それまで刻まれてきた音楽の歴史をあざ笑うかのように多くの理論を打ち崩して注目を集めてきた。

 ジャズが誕生して100年。1世紀という時を経て、ジャズというフィールドが新世界を迎えるために、敢えてレジェンドを捨てていく、そんな覚悟も必要なのかもしれない。【桂 伸也】

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