<記者コラム:オトゴト>
 ヘヴィロックバンドHEAD PHONES PRESIDENTが23日に、ワンマンライブを実施、このタイミングでしばらくライブ活動を休止するという。バンド自体はライブ活動の休止のみ、バンドとしての活動を辞めてしまうというわけではないということで安心したのだが、その話を聞いた時に、ふと活動の“休止”あるいは“解散”“引退”といった区切りのタイミングというものを、どうとらえるかということについて考えていた。

 思えば、これまでもいくつかのバンドの解散、あるいは無期限活動休止という場面に出くわした。様々な機会で出会ったアーティスト、バンドたち。その対面した時の印象も様々だが、別れの時は決まって、いたたまれないというか…寂しい思いになったものだった。ライブをやる側としたら、“最後の時間なんだ、目一杯楽しめ!”くらいに思いながら、気力を振り絞ってステージに臨むのだろう。

 だが、戦線を離脱するのは、聴く側にとって、必ずしもベストのタイミングであるとは限らない。というより、むしろファンにとっては不測の事態。正直な気持ちとしては“そんなバカな!”と思わざるを得ない、そんな思いにさいなまれる人も少なくないだろう。また活動停止”などと発表されると「どうしたいのだ!? なんでそんな中途半端な結果に…戻ってくる気はあるのか?」などと混乱を呼ぶこともある。

 そういった面を考えても音楽家、アーティストという生き方、仕事というものは、いつも不安定なものだ、と改めて感じる。何かの目標を到達したらゴール、などと決まったものは何もない。その事実は、例えばメジャーデビューしたから、などというタイミングで約束されたものに切り替わるものでもない、ある意味、絶壁の淵にいつも立たされているようなものではないだろうか。

 そんな彼らに対しては、彼ら自身のその生き方が、その音楽で人を引き付けた機会、経験を元に、ただより良い方向に向かってくれることを祈るばかりだ。いつだか、その音楽に強烈な印象とともに、自身の意思に大きく影響を与えてくれた、ある一つのバンドがあった。

 詳しくは書かないが、それが“無期限活動休止”と報じられた途端に、その音楽が心に響かなくなってしまったことがある。デジタル情報に落とし込まれた、不変の音楽情報であるはずなのに、だ。

 だからせめて、彼ら自身の未来がより良いものになる、そう願って止まない。それは私の中に入り込んだ音楽、その瞬間に私の心を打った音楽を、単なる一過性のものとしたくない、そういう思いがあるからだ。【桂 伸也】

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