超絶技巧の難曲である「デビルズダンス」を弾きこなしたことから、豪地元紙にその演奏力を讃えて“デビルズアヤコ”と呼ばれた女性ヴァイオリニスト石川綾子だ。シドニー音楽院を首席で卒業し、全豪コンクール1位を獲得した経歴を持つ、まさにエリート。美しいルックスによるジャンルに捉われない演奏で、クラシック界のみならず幅広い層の音楽ファンから根強い人気を得ている。今年9月にはベスト盤『ジャンルレス THE BEST』をリリース。11月18日と26日には東京と名古屋での『石川綾子 ジャンルレス THE BEST Concert Tour』を控える彼女に、自身の軌跡や長年弾いてきたからこそ感じるヴァイオリンの魅力について語ってもらった。【取材=村上順一/撮影=片山 拓】
ヴァイオリンで何を表現したいか
――石川さんは“デビルズアヤコ”というインパクトのある異名があります。これはどなたがつけてくれたのでしょうか?
昔、オーストラリアのシドニーに住んでいたのですが、「デビルズダンス」という超絶技巧の曲を演奏させていただいて、その翌朝現地の新聞が“デビルズアヤコ”参上という見出しで載せていただいたことがきっかけでした。そこから音大の教授やお友達から“デビルズアヤコ”と呼ばれるようになりました(笑)。
――現地の記者がつけてくださったものだったんですね。その背景を知らないと色々誤解を生みそうですよね?
そうなんです。よくプロレスラーの方と間違われることもあります! 前に和楽器バンドのメンバーさんとコラボさせていただいた時に、「どんな怖い人が来るのかビクビクしてました」と仰ってました(笑)。“デビルズアヤコ”は、ヴァイオリンを持つと豹変するという意味を込めてつけてくださったそうです。
――ここまでヴァイオリンが弾けるようになるまでには、並々ならぬ努力があったと思うのですが、辞めたいと思った時期はあったのでしょうか。
ありましたね。4歳から始めて、やっぱり幼少期はお友達とお外に遊びにいきたいとか、お兄ちゃんと一緒にスポーツをしたい時期もありました。でも、遊びに行くより練習を優先していました。突き指も怖くて外で思いきり遊ぶということはなかなか出来ませんでした。そのみんなと遊びたいという葛藤もあって、ヴァイオリンを続けられるかなという不安は子供の頃はあったと思います。
――ヴァイオリンと共に生きて行くと決心されたのはいつ頃だったのでしょうか。
ターニングポイントは何回かありまして、5歳からロンドンに住むことになりまして、そこから音楽学校に通い始めることになりました。なので、いつのまにか音楽が生活の中心になっていきました。それもあって自然と決心と言いますか、音楽でやっていきたいというモードになっていきました。
最初の大きなターニングポイントは日本に戻ってきて進路を決める時でした。中学1年生の時にヴァイオリンの先生から「音楽の道に進みたいのだったら、綾子が思っている以上に茨の道だから覚悟を決めないといけないよ。」と言われまして。そこで家族会議をしまして、先生に「茨の道に決めました」とFAXを送りました。
――すごい言葉のFAXですね。
その翌週からスパルタのようなレッスンが始まりました!先生がとても厳しくなったのを覚えています(笑)。結局そのあと、父の転勤でオーストラリアのシドニーに行くことになってしまったので、受験することはなかったのですが、ビシバシとレッスンをしていただき、感謝しています。
――オーストラリアの音楽生活はどのようなものだったのでしょうか。
オーストラリアは英語圏なので、アメリカやヨーロッパから良い教授がたくさん集まっています。私の音大の先生はポーランドで活躍した方で、英語圏だからオーストラリアに来たとおっしゃっていました。多国籍文化なので、西洋の文化もすごく取り入れていて刺激的でした。
――コンクールで優勝されたりして、オーストラリアの永住権も持っていますが、いずれはオーストラリアに住む可能性も?
そうですね、いずれのんびりと暮らすのも良いかもしれませんね(笑)。オーストラリアは気候が暖かいということもあり、人の気質も大らかなので、音楽の表現の仕方も自由な感じです。日本の場合だと譜面通りにいかに完璧に弾けるかというところを重視しがちに私自身なっていましたが、オーストラリアで学んだことは表現力の大切さでした。
――同じ楽譜をみて弾いても、弾く人の表現力で音楽は大きく変わりますものね。
そうなんです。あと私がオーストラリアに行った時に言われたことがありまして、「何のためにヴァイオリンを弾いているの?」と。私はその時、ただ上手くなる為にヴァイオリンを練習していたので、ルーマニア人の先生からそれを言われた時に衝撃が走りました。
その先生の答えは「表現をしたいからでしょ」。譜面通りではなくてヴァイオリンを通して私が何を表現したいかが大切だということを、曲を通して何を感じるかを、当時中学生だった私に意見を求めてくれたことに感動しました。表現して良いんだということを、その時初めて気づかせてくれました。
そこから表現することがどんどん面白くなって。中学、高校生の時に音大の図書館に忍び込んで、作曲家についてや楽曲の背景などを調べるようになりました。それを踏まえた上で何を表現したいかということを、先生に持ち帰るということが楽しみになっていきました。
――確かにクラシックというのは、譜面通りに正確に弾く美学があって、表現の自由はあまりないイメージでした。その表現をするために背景を調べていくのが楽しかったんですね。
本当に楽しかったです。指を動かす基礎練習だけではなくて、音楽は表現することなんだ、という自分の意見を言っていいんだということを教えていただいたので、シドニーに渡って良かったと思っています。
おじいちゃんみたいな温かい音色を再現したい
――今年9月に『ジャンルレス THE BEST』というベストアルバムもリリースされました。オリジナルアルバムとベストアルバムとでは趣が変わると思うのですが、ベストをリリースされた心境は?
リリースが出来て凄く嬉しいです。この1枚を聴くと今までの石川綾子が全部わかっていただけるような作品になっています。クラシックの素晴らしさを広げるため、アニメやシネマ、ボカロなどタイトルを分けてリリースさせていただいてたのですが、その中の人気曲を1枚のアルバムに詰めました。初めて聴いてくださる方にも良いと思いますし、ずっと聴いてくださってきてくれている方には、一緒に歩んできてくださった歴史を感じていただけたら嬉しいです。
――新曲も含め15曲収録されていますが、選ぶのも大変だったのではないでしょうか?
どれも名曲ばかりなので、確かに大変だったのですが、選曲も楽しかったです。よくコンサートで披露させて頂いている人気曲を中心に、かつピアノとヴァイオリンだけでも魅力的に聴かせられる曲を選びました。
――先ほども話しておられた楽曲の背景を調べるということが、過去作品でもおこなわれたのでしょうか。
まさに先ほどの先生の教えが活かされています。アニメの曲もボカロの曲も弾かせていただく時に、原作について凄く調べます。アニメの場合はもちろん作品を観ますし、どのシーンでこの楽曲が使われていたのか、このシーンで視聴者の方がどういう気持ちになっているのかなど知りたくて・・。それが本当に大好きなんです(笑)。それを知るか知らないかで、全くもって表現の仕方って変わってくると思います。
歌詞とか凄く楽しい曲なのに、実際に作品を観てみると悲しいシーンで流れていたりすることもあります。例えば「君の知らない物語」は、明るくて青春でキラキラしている感じなのですが、実際にアニメを観ると、心臓を鷲掴みにされてしまうくらい、目を覆いたくなるようなシーンがたくさん出てきます。そういう気持ちを持って弾くとまた違う表現が出来るんだなと思います。なので、レコーディングやコンサートギリギリまで勉強させて頂いています。
アニメや原曲のファンの方は、その楽曲についてものすごく詳しいので、フワっとした演奏では心に届かないと思っています。
――ちょっと意地悪な質問かもしれませんが、このベストに収録されている曲の中で、思い入れがある楽曲は強いてあげるのであればどの曲でしょうか。
どれも思い入れは強いのですが、強いて挙げるならばオリジナル楽曲の『誓い』です。これからオリジナルも発表していきたいという思いも込められています。この『誓い』 は自分の中で思い入れがありまして、私が凄く落ち込んだ時期があって、ファンの方々が励ましてくださったことがありました。その時の感情をメロディに落とし込みました。なので、この曲を弾くとその時の気持ちも思い出しますし、ファンの皆さまの愛情もすごく込められています。
――コンサートでもこれからのマストナンバーになりますね。ちなみに作曲はどのようにおこなっているのでしょうか。SNSではDTM(デスクトップミュージック)で制作されているようなお写真も見られましたが。
最初はメロディを歌って録音して作っていきます。様々なアイデアを歌で入れていくんです。その後からヴァイオリンでそれらを再現していきます。そこから譜面に起こしてブラッシュアップしていきます。音を録るときにLOGIC(DTMのソフト)を使います。
――基本的に制作はアナログなんですね。その過程も見てみたいです。
いえいえ、恥ずかしくて見せられないです(笑)。
――レコーディングといえば、石川さんはマイクの位置にものすごくシビアだという記事を見ました。エンジニアのニラジ・カジャンチさんが石川さんはものすごく耳が良いと話していたのが印象に残っています。
私はヴァイオリンは特に音色が命だと思っていまして、クラシックヴァイオリンの音色を届けたいという思いがあります。私が使用しているのは1763年の楽器なのですが、昔のアンティークの深い、おじいちゃんみたいな温かい音色を再現したいんです。マイクを通すとどうしても音が変わってしまうので、なるべく変わらないように、生に近い音をお届けしたいと思っています。
――CDや生の演奏を見てヴァイオリンを始めたという人もいると思うのですが、難しい楽器なのでちゃんと音が出ないと思います。例えばピッチや美しい音色で弾くためのアドバイスはありますか。
そうなんですよね。ピアノのように押したらピッチ通りの音がなるという感じではないので、出だしでつまずいてしまう人も多いかもしれません。ピッチに関していえば、始めたばかりの方は慣れるまで最初はシールを指板に貼って指に感覚を覚えこませるというのが良いと思います。音については、私の先生が教えてくれたように、アイロンをかけるような感じで、弓を弦に当てると良い音が鳴ると教えてもらいました。
ボウイングは弓をふわっと滑らせるようにやってしまいがちなのですが、シャツを伸ばすように、ちょっと圧力を掛けて弾くと良いんです。(※ボウイングとは運弓法=うんきゅうほう=ともいい、擦弦楽器にあって弓をどのように動かすかという方法)
人と繋がれたことが一番良かった
――生に近づけたいんですね。ヴァイオリンの音はすごく深みがあるのですが、長年弾かれていて気づいたことなどありますか。
ヴァイオリンはすごく奥が深いなと思います。よく言われているのは、何百年も昔から国を越え、海を越え引き継がれてきている楽器なので、この中にいろんな人の魂が宿っていると言われています。なので、弾けば弾くほどこんな音もあったんだと未だに発見があります。
――基本使用されているヴァイオリンはその1本だけでしょうか。
2本ありまして、コンサートなどのメインで使用しているのは1763年の方です。もう1本はもっと古くて1600年台のものがあります。木だからこそヴァイオリンの音色が活きるのはコンサートだと思っていまして、レコーディングでも実は直で聴く音というよりは、コンサートホールの真ん中から後ろ側に座ったときに聴こえる音色というのを目標にしています。それはなぜかと言いますと、ヴァイオリンの音がコンサートホールの床や天井など、全体と共鳴して響き渡った音が私は素晴らしい音色だと感じていまして、レコーディングの音色もそれに近づけるようにセッティングしてもらっています。
――音像のイメージはそこにあったんですね。
コンサートでは席によって聴こえ方が違うので、いろんな場所で聴いていただいて、その違いも楽しんでもらえると思います。
――石川さんがヴァイオリンを弾いてきて、良かったなと感じる瞬間はどこでしょうか。
人と繋がれたことが一番良かったなと思います。ファンの方々や、スタッフの方々もそうですし、ヴァイオリンをやっていなかったら出会えていなかった人たちと繋がれたことです。素敵な出会いをもたらしてくれています。音楽という目に見えないもので、何にも接点がない人たちが繋がって、同じ空間にいるということは奇跡だと思います。
――今後コラボしてみたい人はいますか。
たくさんいますけど、演歌歌手の方とコラボしてみたいです。歌の“タメ”具合とか“こぶし”にゾクゾクしてしまいます(笑)。それをヴァイオリンでも表現して、隣で演奏させていただきたいなと思っています。
――確かにヴァイオリンの歌い方は演歌のそれに近しいものを感じますね。さて、11月18日と26日に東京と名古屋でコンサートがあります。どのような内容になりそうですか。
『ジャンルレス THE BEST』を引っさげてのコンサートになりますので、現在の集大成というべきコンサートになると思います。素晴らしいクラシックホールで演奏させていただきます。アルバムとはアレンジをガラリと変えまして、カルテットやパーカッションなどクラシック編成で臨みます。アルバムとはまた違ったアレンジで楽しんで頂けたらと思います。
――ロックアレンジだった楽曲もクラシックサウンドで聴けるわけですね。
そうなんです。その中でもTOTO(米・AORバンド)さんの「CHILD'S ANTHEM」は、このクラシック編成でどうやって表現できるかなとリハーサルでみんなで作りあげていきました。
――最後に『ジャンルレス THE BEST』もリリースし、一つの節目を迎えた石川さんですが、次の目標は?
より多くの場所を巡る全国ツアーをやってみたいです。各地でコンサートを数え切れないくらい開催して、生の音色を直接感じていただきたいです。私の方から直接みなさんに会いに行けるように頑張りたいです。これからもジャンルレスにお届けできたらなと思います。